にっぽんの旅 九州 沖縄 首里城

[旅の日記]

国際通りから首里城 

 本日は、沖縄の中心地の散策です。

 沖縄の中心と言えば「国際通り」です。
ゆいレールの県庁前駅から牧志駅までの1.5km足らずが、土産物、市場、雑貨店が並ぶメインストリートです。
県庁前の通りの入り口には、シーサがしっかり門番をしています。
早速、土産物屋に寄ってみます。
店内には定番のおかしに加えて、ハブ酒や泡盛が並んでいます。
バブがどくろを組みながら漬けられたお酒はけっこな値段がついており、おいそれと買う訳にはいきません。
お酒よりも腹を満たそうと、公設市場に向かいます。

 第一牧志公設市場では、探していた豚の顔の皮を見つけることができました。
ただし眼鏡つき。ペッタンコになった包装済みのものであれば、眼鏡の付いていないものもあったのですが…
市場は、魚屋を中止とした店が何筋も並んでします。
赤や青の色鮮やかな魚やカニ、エビが陳列しています。
実はここで気に入った魚を買って、2階の食堂でさばいてもらうこともできるのです。
さすがに1匹買っても食べきれないので、ここでは食感の良いアオブドウを新鮮で安く購入することにしました。

 さて市場の2階には、数件の食堂があります。
魚を買わなくても、1品物や定食が準備されています。
たくさんの種類が入った「おさかな定食」をたのむことにします。
マグロ、タイ、イカ、そして名前も覚えられないなにがしかの刺身と、海藻の味噌汁、それに大盛りのごはんが付きます。
決して上品ではない盛り付けと店の雰囲気ですが、取れたての新鮮な魚をふんだんに使った料理には、箸が進みます。
あっという間に、たいらげてしまいました。

 市場を出て、商店街を奥に入っていきます。
商店街のアーケードが切れさらに進むと、シーサやコップなどの焼物の店が軒を並べている壺屋地区に出ます。
前回の沖縄旅行ではシーサを買って帰ったので、ほかに土産になるものはないかと冷やかし半分店を覗いて回ります。
あいにく壺屋焼物博物館は休館日だったのですが、途中のごく普通の店先でサンゴで作ったシーサといった沖縄しかない芸術品を見ることができました。

 腹も膨れ買物にも飽きたので移動して、「識名園」を訪れます。
ここは1799年に造営された琉球王最大の別邸です。
池を配した廻遊式庭園で、御殿を中心にして築山や花園、そして池にはアーチ橋が架かっています。
橋の形といい、池の小島の六角堂といい、中国の影響も見え隠れします。
中国皇帝の使者への接待の場にも利用されたそうです。

 さて次は琉球王国が誇る「首里城」です。
1406年に尚巴志が琉球王国支配のため居城したことが始まりで、1879年に尚泰が明治政府に明け渡すまでの500年間、琉球王国は外的との争いもなく平和に統治されてきました。
首里城の建設は14世紀ごろと言われており、第二次世界大戦で灰と化しましたが、1992年には見事に復元され今の姿を保っています。
まずくぐるのが2000札の絵柄でも有名な「守礼門」です。
その名の通り、朱色に塗られた守礼門ですが、そんなに大きなものでもありません。

 そして次にくぐるのが「歓会門」です。
ここは、首里城の正門で訪れる人への歓迎の意を込めて名付けられた門です。
門の両脇の石垣の石はただ並べただけのものではなく、寄木細工のように互いに切欠きをつけた石を、巧妙に組み合わせて積まれています。
石垣を破壊しようにも簡単にはいかず、敵から城を守るための工夫の跡が見て取れます。

 階段を上った先の「瑞泉門」は、門も前にある湧水「龍樋」に因んで名づけられました。
「漏刻門」では、櫓の中の水時計で時刻を計ったことからこの名前がついており、籠で運ばれてきてもここで降りる場所になっています。
そしていよいよ「広福門」に首里城に入る券売所があります。
当時は、戸籍や寺社の管理をしていたところでもあります。
こうして外敵に備えていくつもの関門をこしらえてきたのですが、御庭(うなー)に続く最後の門が「奉神門」です。
別名を「君誇御門」との呼び、真っ赤な大きな門が印象的です。

 「奉神門」をくぐり御庭中に入ります。
正殿とその両側に北殿、南殿があるこの字型の建物です。
正面の屋根には、唐破風妻飾は中央に火焔宝珠と大蟇股、両脇に金龍と瑞雲の彫刻が施されており、赤の漆で塗られています。
そして両脇には正殿大龍柱(阿形と吽形)が添えられ、琉球石灰岩の台座は与那国島産の砂岩で作られた高さ4.1mのものです。
今回訪れた時には、あいにく漆の塗りかえをしており、建物の一部がシートで覆われています。
本来の正殿の姿は、何年か前の旅行記の写真をご覧ください。

 2階に上がると、御差床(うさすか)という国王の王座としての儀式や祝宴が行われたところがあります。
天井も高く格式をつけている部屋です。
金と赤で飾られ、国王の座った大きな椅子が残されています。
そのほか、中国・東南アジアとの交易で得た漆器、染織物、陶器も展示されており、当時の琉球の繁栄を示しています。

 本土の城ほども建物自体は大きくありませんが、大きな違いはその装飾がきれいなことです。
赤と金を尊い色とする文化は、中国の影響が濃く出ているようです。
中国や東南アジアの影響を受け発展した琉球文化が見て取れるのでした。

   
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