にっぽんの旅 近畿 和歌山 白浜

[旅の日記]

冬の白浜 

 本日は、南紀白浜を訪れます。
白浜は黒潮の影響で1年を通じて温暖な気候の地で、太平洋の海の幸にも恵まれています。
その反面近畿を襲う台風は、ここ白浜のある紀伊半島に上陸して本州を横断することも少なくありません。
そして有数の温泉地でもあり、数多くの温泉宿が立ち並んでいます。
夏には近畿一円から海水浴客が集まり賑わいます。
軽く10回以上は訪れている白浜ですが、今回は正月をこの白浜で過ごす、贅沢な旅です。

 自動車で南紀田辺インターに着いたのは、既に昼を過ぎています。
そのまま、「とれとれ市場」を目指します。
ここは海産物を中心とした白浜の土産物が並び、獲れたての魚を使った食事もできます。
せっかく来たのですから、滞在中は魚料理に浸ることにします。
ここでは、プリプリのエビやキスが入った天丼を頂くことにします。
色々な魚の中落ちを盛りつけた刺身もあり、魚には不自由しません。

 食後は「三段壁」に向かいます。
ただし、ごつごつした岩が広がる「三段壁」本体は、こちらの記事に譲ることにして、今回は「三段壁」を横から見渡すことができる「三段壁洞窟」を訪れます。
岩場にぽっかり空いた洞窟があり、岩の上からは「三段壁」の断崖絶壁を眺めることができます。
ここから水面には、エレベータを使って降ります。
この洞窟は、熊野水軍が船を隠すために使ったとされています。
熊野水軍とは、紀伊半島南東部、熊野灘、枯木灘の地域を拠点とした水軍で、熊野海賊とも言われています。
源平合戦では源氏に加勢し、勝利に多大な貢献をしてきました。

 当の洞窟はというと、波が押し寄せるたびに洞窟奥の岸壁に叩きつけられ大きな音が響きます。
そのたびに水面が大きく上下し、とても船が置けるようなところとは思えない場所です。
しかし、岩場にぽっかり空いた洞窟は外から見ると真っ暗で、中の様子を見ることなどできないことは確かです。
洞窟の中には「熊野水軍番所小屋」も再現されています。
同じく水の神を祀る「牟婁大辯才天」も、この洞窟内にあります。

 ここで白良浜の脇にあるホテルにチェックインし、車を置きます。
これから日没までは白浜温泉を、足で巡ります。
最初に訪れるのは「熊野三所神社」です。
正月ですので神社詣りがしたく、本当はここから片道2時間ほどかけて「熊野本宮大社」まで向かいたかったところですが、正月で混んでいることもありそう簡単には戻って来れません。
そこでこの「熊野三所神社」では、熊野三山を一度に参ることができる神社です。
熊野三山とは、本宮である「熊野本宮大社」、新宮の「熊野速玉大社」、そして那智と呼ばれる「熊野那智大社」のことで、場所も離れたこれら3社を回るだけでも大変な旅です。
それをここ「熊野三所神社」に参るだけで、熊野三山すべてを参ったことになる便利なところです。
「白良浜」の端の木々の中にあり、境内は白砂が広がっています。
また6世紀後半に築造されたと考えられる、横穴式石室の「雨塚(ひさめづか)古墳」もあり、祀られています。
元旦の正午には列ができる神社ですが、1月2日に訪れた時には平静さを取り戻し、元通りの静かな浜辺の神社でした。

 「熊野三所神社」から「白良浜」を歩きます。
神社から続く砂浜は、夏は近畿屈指の海水浴場として人が集まります。
「白良浜」の石英を含む白砂は、かつてはガラスの原料として採掘されたこともありました。
いまはガラスの製法が変化したことと景観保護のために、採掘は行われていません。
逆に周辺の開発により砂の供給が途絶えたために、波による砂の流出が問題になっています。
いまではオーストラリアから砂を運び入れるとともに海中に築いた堤防で砂の流出を防ぐ工事を行ったために、流出自体は食い止められています。
浜の中央には「白浜薬師堂」がポツリと佇んでいます。

 「白良浜」の南の端には「行幸(みゆき)源泉」があります。
町を歩いていると源泉を示す塔が至る所に建っていますが、この「行幸源泉」から湧き出る湯は、白浜温泉の中でも最も古い歴史をもつ「湯崎温泉」でも使われています。
「湯崎温泉」といえば、日本書紀や万葉集でも「牟婁の湯」や「武漏の湯」として名前が残っている有名なところです。
近くには公衆浴場の「崎の湯」のあります。
源泉からは硫黄の臭いを伴う白い湯気が揚がっています。

 それでは、源泉の隣りにある卵屋を訪れます。
ここに卵屋があることは知っていたのですが、いつか寄ろうと思っていたところです。
卵といっても、もちろん温泉卵を販売しているところです。
中には簡単な机と椅子が並べてあり、その上には食塩とガラ入れの器が置いてあります。
早速腰かけると、器用に上部の殻だけを割った卵をスプーンとともに渡してくれます。
軽く塩を振り、頂上のトロリと流れそうな白身をスプーンですくうと、奥に隠れていた黄味が顔を出します。
単なる温泉卵ですが、温泉での作り立てを殻のまま食べるだけで特別の味がしたのでした。

 「白良浜」をもと来た「熊野三所神社」近くのホテルまで、戻ります。
道路の対向車線が浜側とトンネルで分かれるところがあります。
100m程度距離ですが、その中央に公衆浴場の「牟婁の湯」があります。
白浜にはここ以外にも多くの公衆浴場を目にすることができますが、「牟婁の湯」はひときわ風格があります。
今晩はホテルの風呂が待っていますので、そのまま通り過ぎていくことにします。

 やがて陽が暮れつつあり、「白良浜」にはイルミネーションが灯ります。
「白砂のプロムナード」と呼ばれるもので、砂浜に造られたモニュメントが幻想的に明るく光り輝きます。
40年以上前から白浜には通っていますが、昔はなかったイベントです。

 そして夜は食事の前にゆっくり温泉に浸かります。
口に付いた湯は、少ししょっぱめの温泉です。
苦手なサウナは外しても、中浴場、大浴場、露天風呂とホテル内で温泉巡りをすることができます。
そして湯から上がった後は、海の幸を堪能します。
刺身から始まり寿司、てんぷら、焼物を、この時ばかりは体重を気にせずに楽しみます。
和歌山で採れる高級魚 クエも、鍋でいただいたのでした。

 翌日は朝から、「熊野三所神社」から「白良浜」とは反対方向の浜辺を歩いて行きます。
砂浜が広がっていた「白良浜」とは違い、こちらはゴツゴツした磯場が続きます。
真っ直ぐに伸びた岩場が連なって、縞模様を描いています。
遠くには「円月島」が覗いています。
それではその「円月島」まで歩いて行きましょう。

 海に浮かぶ「円月島」は、南紀白浜のシンボル的存在です。
正式名称を「高嶋」といい、南北130m、高さ25mの島の中央は、浸食によって大きな穴が開いています。
その両側の南北の丘の上には、木々が生えて特有の姿をしています。
そして「円月島」の北側の陸地には、岩でできた崖に小さな穴が開いているのが見えます。
そこまで行ってみることにします。

 「番所山不動堂」は、浸食によってできた洞窟に「成田山不動明王」が祀られています。
先ほど見えていた洞窟は、この不動尊だったのです。
不動尊が浸食した穴を利用したように、そこに辿り着くまでの参道もトンネルを潜ってやってくる珍しい不動尊です。

 「番所山不動堂」の近くには「京都大学白浜水族館」があります。
実はその水族館の前に乗り場のあるグラスボートに乗って海底見学をするのと、この水族館に入るのを迷ったのですが、値段の差で水族館に軍配が上がったのでした。
小さな水族館ですが、水槽を見て行くと以外と時間がかかります。
魚が泳ぐ大水槽と、イソギンチャクやウニ、ヒトデが飼育されている小分けにした水槽を順に見て行きます。
普段は見られない鮮やかな海の生物に目を丸くするばかりでした。

 正月を自宅以外で過ごした初めての年、それも温泉に浸かりゆっくりとした過ごした白浜の旅でした。

   
   
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