にっぽんの旅 近畿 大阪 谷町筋

[旅の日記]

天満橋から天王寺 熊野街道を歩く 

 本日の街歩きは、天神橋からのスタートです。
京阪電車と地下鉄谷町線が交わる天神橋駅の北側には、大川が流れています。
淀川の支流で、このすぐ西では中之島で川が分かれ、堂島川と土佐堀川になります。
天神祭りで船が行き交う場所でも有名です。

 この天神橋駅は何度も来ているのですが、これまで見逃していたものがありました。
京阪電車と平行に走る府道168号線の脇に、「八軒家浜船着場の跡」があります。
京と大坂を結ぶ淀川を行き来した三十石船の船着場として栄えました。
江戸時代この付近には8軒の宿があったことから、八軒家浜と呼ばれていました。
古くは難波宮の時代も水路の要所として賑わい、ここを起点にして熊野詣が繰り広げられたということです。
それでは、その熊野詣に至る熊野街道を歩いていきましょう。

 「八軒家浜船着場の跡」の近くには、広々とした石段があります。
かの安藤広重の絵にも描かれている八軒家浜も、岸に向かって階段状になっています。
それが今でも残されているのが「八軒家浜の石段」で、これを登ったところは上町台地です。
大阪平野の中央に、南北に11kmも伸びる細長い台地です。
「八軒家浜の石段」を登り切ったところは、北大江公園です。

 さらに南下していきます。
中大江公園を越えて、中央大通りと交差します。
中央大通りを越えたところにあるには「背割下水」です。
江戸時代に造られた石積みの下水道です。
1583年の豊臣秀吉による大坂城築城の際には、既にその原型が造られていたと言われます。
実際にいまでも地下の水路には水が流れており、その様子がガラス窓から除くことができるのです。

 長堀通りに交わる直前には、「榎木大明神」があります。
地元では「エノキさん」と呼ばれて親しまれている樹齢650年のエンジュの大木で、楠木正成が植えたという説もあります。
熊野参りと伊勢参りの街道筋であったことから、旅の目印とされてきました。
「白蛇大明神」の祠を建てて、この樹木を人々は守ってきたのです。

 「榎木大明神」からは下りの石段となり、その先には東西に長堀通りが走っています。
そして長堀通りを越えてさらに進むと、その先には「大大阪芸術劇場」なるものがあります。
大大阪とは大きく出たものですが、築100年を超える木造の長屋です。
通りからは狭い通路を通って1筋入ったところに建物ははあり、、通りの入口には次回演劇のポスターが貼られています。

 そして「空掘商店街」があります。
名前の通り、大阪城を守る空掘を掘ったところです。
本当の空堀は商店街から数十m南になりますが、この空堀から先は再び土地が高くなり上町台地が復活します。

 次に訪れたのは「高津神社」です。
浪速の地に皇都「高津宮」があった名残が、ここにはあります。
高台にそびえる「高津神社」はすぐ西に大阪湾が広がり、この辺りから難波津が見渡せる物見台だったところです。
866年に社殿を築いて祀ったのが始まりで、歴代の皇室からの造営寄進を重ねてきました。
浪速津の守護神と仰がれ、仁徳天皇を王神と仰ぐ神社でもあります。
訪れた時にはおりしも朝市が開催されており、境内は人がごった返す賑わいでした。

 さらに南へ進みます。
千日前通りを過ぎて、やってきたのは「生國魂(いくたま)神社」です。
いわゆる「いくたまさん」です。
神武天皇の東征の際に、天皇が難波宮跡である摂津国難波碕に生島神、足島(たるしま)神を鎮祭したのが創建といわれています。
詳しい創建時期は明らかではありませんが、難波宮造営の際には「生國魂神社」の樹を伐ったことが日本書紀に書かれていることから、難波宮より前からあったことだけは確かです。
そんなことから、大阪で最古の神社とされています。
広大な境内には数々の神が祀られており、皇大神宮、住吉神社、天満宮など名立たる神社が並んでいます。
八幡宮、鞴神社、家造祖神社、浄瑠璃神社がずらりと1列に並んでいるのも、圧巻です。
7月には大阪三大夏祭りのひとつである生國魂祭も、ここで行われます。

 さて天王寺駅まであと少しで、すぐ東には「四天王寺」があるところまでやってきました。
「四天王寺」は別の回でも掲載していますので今回は立ち寄らずに、天王寺界隈の坂を巡ります。
星光学園の西側にあるのは「口縄坂」です。
道の起伏が蛇に似ていることから、名付けられました。
観光客が来ない静かな道です。

 「大江神社」の入り口をかすめて、その近くにあるのは「愛染坂」です。
そしてその南には「清水坂」があります。
坂を上り切ったところには「清水寺」があり、京都の清水寺のように「清水の舞台」があります。
こちらの舞台からは、新世界をはじめとした大阪湾に続く大阪平野を見渡すことができます。
これらに「源聖寺坂」「天神坂」「逢坂」を加えたものが、「天王寺七坂」と呼ばれるものです。

 本日の散策も残り少なくなってきました。
次に訪れたのは「茶臼山」です。
山と言っても標高はわずか26mで、茶臼山古墳という前方後円墳の盛り土なのです。
今では穏やかな「茶臼山」ですが、この地は幾度となく戦乱に巻き込まれました。
大坂冬の陣では徳川家康、夏の陣では豊臣方の真田幸村の本陣が置かれた場所です。
「茶臼山の戦い」の舞台で、安土桃山時代末期に大阪城を巡る争いで多くの血が流された場所でもあるのです。

 さて天満橋から天王寺まで、熊野街道沿いを歩いてきました。
いよいよ最終地点の天王寺公園です。
普段は地下鉄谷町線に乗って景色も見ずに通り過ぎる所ばかりですが、こうして歩いてみると数々の発見がありました。
ここからは疲れた身体にビールを補給します。
天王寺の地下街であるアベノ地下センターに潜り、大阪名物のたこ焼き屋でゆっくりと足を休めたのでした。

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