にっぽんの旅 近畿 大阪 天王寺

[旅の日記]

天王寺界隈 

 本日は天王寺界隈の気ままな散策です。
先ずは「四天王寺」から出発しましょう。

 「四天王寺」は聖徳太子が建立七大寺のひとつで、日本書紀にも記録が残っているように593年に築かれた由緒正しい寺です。
蘇我馬子の飛鳥寺と並び、日本における本格的な仏教寺院としては最古のものです。
中門、五重塔、金堂、講堂が南北に一直線に並び、中門から東西に走る回廊が五重塔、金堂を囲んで講堂で1周して結ぶ、いわゆる四天王寺式伽藍配置をしています。
伽藍の外に目を向けると、中門、講堂の並びの先に六時礼讃堂があり、その前の池には所狭しと亀の大群が生息しています。

 「四天王寺」を出た鳥居の前には、参道沿いに和風の建物があります。
そしてその店の屋根の中央には、釣鐘が吊るされています。
ここが、「四天王寺」名物の釣鐘饅頭を作っている釣鐘屋です。
早々に本日のお土産を買うことにします。

 そこから西の方向、新世界に向かいます。
途中、骨仏で有名な「一心寺」があります。
骨仏とは、遺骨を砕いたものをコンクリートに混ぜて仏像に仕上げたものです。
「一心寺」の山門は、皆が想像する古めかしい寺の門とはちょと違います。
まるで近代美術館にあるオブジェを見ているようなような門を入り、「一心寺」を訪れてみます。
「一心寺」は、「四天王寺」の別当であった慈円の要請によって、1185年に法然が草庵を結ぶことから始まります。
また大坂冬の陣、大坂夏の陣では、徳川家康の陣が茶臼山に隣接したこの寺に置かれました。

 「一心寺」のすぐ近くの国道25号線の向かい側には、「安居神社」があります。
ここは大坂夏の陣で、真田信繁(幸村)が戦死したことで有名なところです。
901年に菅原道真が太宰府に左遷された際、河内の道明寺にいた伯母覚寿尼を訪ねて行く途中で立ち寄って休憩したことから、安居の名が付きました。
その後の942年に、菅原道真が祀るために「安居神社」が建てられたと言われています。

 この辺りは南の天王寺まで天王寺公園、そして公園の中に天王寺動物園が広がっています。
そんなところに「大阪市立美術館」があります。
この敷地は、住友家の本邸があった場所で、東洋紡績(現トーヨーボウ)の阿部房次郎、関西信託(現在三菱UFJ信託銀行)の山口謙四郎、衆議院議員の田万清臣など、個人のコレクションが展示されています。

 さて天王寺公園を出ると、JR阪和線・関西線・環状線、地下には御堂筋線・谷町線、道を挟んで近鉄南大阪線、阪堺上町線が集まる巨大ターミナルです。
昔はこれに加えて南海天下茶屋線や阪堺平野線も、ここに集まっていました。
そして300mの高さを誇り、日本で最も高いビルがここにはあります。
近鉄デパートが2014年に改装さて、高層ビル「あべのハルカス」として生まれ変わったのです。
ただしここは地震の発生が予想される上町断層の上に当たり、ちょっぴり心配ではあるのですが。

 天王寺の南側が阿倍野で、以前は小さな商店がひしめき合って建っていました。
阿倍野地区の再開発で、「あべのハルカス」とともに整備されたのが「あべのキューズモール」です。
「あべのハルカス」「あべ地下」からも地下道でつながっている巨大なショッピングモールです。
しかし華やかなモール街には寄らず、今日はその先の怪しいところに足を運びます。

 「鯛よし百番」は飛田新地の南端にあります。
大正建築の建物で、昔の遊郭を利用した料亭です。
ところが、そこに行までの町の様子が、なにか変です。
女性の名前を掲げた家が並び、扉の空いている玄関には薄く色っぽい着物を身に着けた女性が座り、こちらを覗いて微笑んでいます。
へぇー、今でもこんな光景ってあるんだ。
横で門番をしているおばちゃからは「にいちゃん、寄って行ったら」と声をかけられますが、現在からかけ離れた町の風景に困惑してそれどころではありません。
本当は詳しく伝えたいのですが、写真を撮ることも許されず、足早に町を出てきたのでした。

 さて夜は再び「あべのハルカス」に戻ります。
日本一の高さ300mの展望台「ハルカス300」までは、高速エレベータで一気に上がります。
そしてこの展望フロアから、大阪の町を眺めることができます。
北の大阪中心地、西の大阪港、南の堺方面、そして西側は生駒山まで続く東大阪の灯りが、一望できるのです。
足元には天王寺公園と通天閣も見えます。
巨大なマスコット「あべのべあ」も出迎えてくれいました。
こうして天王寺の夜は更けていったのでした。

 聖徳太子の時代から江戸、大正の裏側と近代的な高層ビル、あらゆる時代がひとつに詰め込まれた天王寺です。
大阪の表と裏を発見した散歩でした。

   
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