にっぽんの旅 近畿 京都 竜馬紀行

[旅の日記]

竜馬紀行 

 本日は坂本竜馬を巡る旅です。
京阪電車の中書島駅からの出発です。
長建寺から濠川に浮かぶ十石舟を眺めながら、川沿いをぶらりと歩きます。
川向こうには木造の酒蔵が見えます。
今日は竜馬がテーマですので、酒蔵については別途お送りする伏見紀行をご覧ください。

 早速、最初のお目当てである寺田屋に到着です。
1862年に9名の志士が命を落とした寺田屋騒動の舞台になったところです。
竜馬は女将のお登勢を懇意にし、定宿として利用していました。
寺田屋には後の妻となるお龍をかくまい、1866年の伏見奉行所の捕方に襲撃された際にはお龍が竜馬に急を告げ、屋根伝いに逃げかろうじて難を逃れたとされています。
今回は、寺田屋の内部を見学してみます。

 NHK大河ドラマの「竜馬伝」で取り上げられたこともあり、入場ために列をなす賑わいです。
寺田屋は、大阪と京都を結ぶ三十石船の京側の船着場のひとつであった寺田屋浜を持つ大きな船宿でした。
台所の大黒柱は、当時定宿としていた薩摩藩主島津家からのものです。
2階には外を見渡せる畳敷きの部屋が数部屋あり、当時の状況を再現しています。
そして竜馬が襲われた部屋の柱には、刀の痕が残されています。
今でいう旅館や民宿といった感じの部屋で、賑わいながらも親しみやすさを感じました。

 さて、竜馬通り商店街を抜けて桃山駅に向かいます。
京阪と近鉄の2つの鉄道に挟まれた路地に、魚三楼はあります。
目が飛び出るような高級な京料理のお店で、おいそれと入ることができません。
ただし、鳥羽伏見の戦いでついた出格子に残る弾痕は、通りからも眺めることができます。
昼食はその先の桃山駅近くで取ることにし、魚三楼とは2桁違う庶民の味を嗜みました。

 ここからは、京阪電車で三条まで移動し、洛中の竜馬の足跡を辿ります。
三条大橋を渡り高瀬川に向かう途中で、京都らしいあらものやに出会いました。
店先には亀の子たわしがずらりと並び、近代的な道具を受け付けないかのごとく店内にはほうきや熊手が飾られています。
竜馬とは関係なのですが、ついついシャッターを押してしまいました。

 京都市庁舎まで5分程北上し、ホテルオークラ脇に建っている桂小五郎像や長州屋敷址碑を見て回ります。
ここには広大な長州屋敷があり、桂小五郎(のちの木戸孝允)は維新三傑のひとりとして竜馬とともに活躍しました。

 ここから四条まで、高瀬川沿いの木屋町通りを歩いて行きます。
ビルの脇に武市瑞山が住居を構えたという石碑がひっそりと立っています。
龍馬とは遠縁にあたる通称武市半平太は、土佐で生まれ剣術家として多くの門徒生を集めていましたが、黒船来航で時勢の動揺を受けて攘夷と挙藩勤王を掲げる土佐勤王党を結成します。
吉田東洋を暗殺して尊王攘夷に藩論を向け京で活躍していましたが、八月十八日の政変により政局が一変すると土佐藩前藩主山内容堂によって投獄させられ、1年半後には切腹させられてしまいます。
土佐勤王党は、ここに壊滅してしまいます。

 そして京の町らしく、間口が狭く奥行きが深い「うなぎの寝床」が並んでします。
江戸時代初期に間口に応じて税金が課せられるようになったため、このような形状になったと言われています。
京町家の代表的な造りとして、今も残っています。

 さらに河原町通りへと抜ける場所に、池田屋があります。
長州藩士の定宿であった池田屋でおこった池田屋騒動の舞台となったところです。
過激派尊王攘夷の志士たちが密会していた旅館池田屋に、1864年、近藤勇、沖田総司ら率いる新選組が踏み込み、20余名が取り押さえられました。
現在は食事処として、営業しています。

 池田屋の1筋南の竜馬通りには、酢屋があります。
竜馬率いる海援隊が京都本部を置いていた場所です。
酢屋とは元々は材木商の屋号で、今でも1Fは木工品の店として営業しています。
そしてギャラリー竜馬として、2Fを開放しています。

 さらに南下すると小学校の脇に、土佐藩邸跡碑が見えます。
ここから河原町方向に入り100m歩いたところに、土佐稲荷と呼ばれる岬神社があります。
1348年に創建された当時は鴨川西寄りの中洲の岬に祠として建てられましたが、江戸時代の初めに土佐藩邸が建てられたことを機会に、今の藩邸内に遷座されました。
竜馬も参ったとされ、近在の者にも敷地を通り抜けて参拝することが許されていまいた。
狐のお稲荷さんと並んで、竜馬像も祀られています。
土佐藩邸はなくなりましたが、この神社だけは当時の面影を伝えてくれます。

 ここで河原町通りに抜けます。
コンビニの隅に、「坂本竜馬・中岡慎太郎遭難之地」の碑が立っています。
ここは龍馬が酢屋から宿を移し、醤油商「近江屋」があった場所です。
1867年11月15日、偶然居合わせた中岡慎太郎とともに襲撃に遭い、竜馬はこの場所で命を落としました。
奇しくも33歳の誕生日の夜だったのです。
当時竜馬は新選組に狙われているおり、竜馬を斬ったのは誰かと囁かれていたのですが、その後名乗り出た見廻組の佐々木只三郎らの仕業だということです。
こうして、自分の考えを貫くために土佐藩を脱藩し、薩長同盟に尽力を傾けて倒幕のきっかけとなった幕末の志士は、世を去りました。

 これまでの総仕上げとして、東山の霊山資料館に向かいます。
1970年に開館した幕末維新の資料館には、5000点以上の資料が保管されています。
館内には、竜馬の足跡と暗殺までの行動を、資料とビデオで紹介しています。
特に近江屋での暗殺の瞬間を再現した模型や竜馬を斬った刀が展示されており、当時の様子を見て取れます。
そして外には京都霊山護国神社があり、中岡慎太郎と並んで竜馬の墓が高台にそびえています。

 真夏の暑いなか、下河原通りを北に歩き進むと、10分ほどで八坂神社に出ます。
祇園祭でも知られる、朱色がまばゆい建物です。
拝殿でお参りをして、奥の円山公園へ進みます。
坂本龍馬と中岡慎太郎の像を見るためです。
立っている龍馬の横で、慎太郎は左手に刀を握り片膝をついています。
さて本日はここがゴール。
暑い日差しに加えて盛り沢山過ぎる竜馬巡りは、終えました。
伏見、洛中、東山と京都に残したの竜馬を満喫した1日でした。

 
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