にっぽんの旅 近畿 京都 伏見

[旅の日記]

伏見稲荷と寺田屋 

 本日は、京都の伏見を訪れます。
京都駅の南に位置し、市内の寺院からは少し離れた所です。
京阪本線の祇園四条駅から、各駅停車に乗り込みます。
家の間をくねくねと走る昔の風景とは違い、地下の駅から出発します。
しかしそれも京都市内中心部を過ぎると、やがて地上に顔を出し昔ながらの曲がりくねった線路を走ります。

 まずは、伏見稲荷駅で降ります。
駅は稲荷大社を模り、柱が朱色に塗られています。
改札を出ると、うだるような暑さの中を稲荷大社目指して歩きます。
JR奈良線の踏切を越えた辺りに、稲荷大社の鳥居が見えます。
ここから先は稲荷大社への参道で、その両側には食堂や土産物屋が並びます。
食堂の前のメニューサンプルには、お稲荷さんにちなんだ稲荷寿司が蕎麦やうどんとともに並べられています。

 桜門を左右に鎮座する狐の像に見守られながら石段を登ると、そこには立派な造りの本殿があります。
朱色がまぶしい稲荷造の建物です。
伏見稲荷大社は、全国のお稲荷さんの総本山に当たるのです。

 ここからから先は、千本鳥居が奥社まで続きます。
京都を紹介する案内のどこかに必ず出てき、はるか先まで鳥居が重なっている写真が、ここ千本鳥居です。
江戸時代から興った鳥居の奉納をもって信仰を表すといった風習が、今日の千本鳥居を形作っています。
道は二手に分かれていますが、どちらを通っても無数の鳥居が奥社までの参道を作り、陽の光をさえぎってくれます。

 千本鳥居を抜けたところに、奥社奉拝所があります。
ここの絵馬は狐の顔が描かれた逆三角形のもので、一般の神社とは一味違ったユニークなものです。
商売繁昌、合格祈願など数々の絵馬が掛けられています。
 さてここからは、稲荷山頂上までお参りに行くことにします。
鳥居の間をくぐりさらに先に進むと、頭上に陽の光が差す開けた所に出ます。
そして目の前には池が広がり、疲れた足を延ばしてしばし休憩です。
ここ熊鷹社では、緑色をして口をぱっくり開けた新池の片隅にへばりつくように、所狭しと拝所が設けられています。

 しかし先はまだ長く、ここからは階段を伴う険しい登りの参道に姿を変えます。
三ツ辻、三徳社と休憩所を横目に眺めながら進み、四ツ辻がこれら先の山頂(一ノ峯)までの周回路の別れ道となります。
背後には伏見の街を一望できる景色が広がっています。
今回は山頂まで右回りで進むということで、休む間もなく右手の階段を登り出します。
このころには、汗が眼鏡の上に容赦なく落ち、行く手の視界をさえぎります。
黙々と歩き、三ノ峯、間ノ峯、二ノ峯と進みます。
それぞれに下之社神蹟、荷田社神蹟、中之社神蹟が祭られており、その周りには鳥居の形をしたお供物も捧げられています。
歩き続けて30分、ついに一ノ峰がある上之社神蹟に到着です。
しかし稲荷山の最高峰であっても一ノ峰はあくまでも周回路の通過点、普通の神蹟がそこには建っています。
苦労して登りきってきたのだから、ここ奥社はもっと大きな建物かと期待をしてきたのですが・・・。
さすがに、ふくらはぎそして土ふまずがピクピクト今にもつりそうな状態になったことにたまりかね、さらには容赦なく照り注ぐ夏の太陽に負けてしまい、法外な値段であることが判っていても、休憩所の飲物に手が出てしまいました。
しはらくは動くこともできず、ベンチに腰掛け喉を潤します。
実は、奥社奉拝所から登る毎にジュースの販売価格は上昇し続けたのですが、なぜかここ一ノ峰だけは二ノ峰よりずっと安く売っている良心的な休憩所なのです。と言っても下界よりは値が張りますが。
これから先は、釼石のある長者社神蹟、御膳谷奉拝所を経て、先ほど別れた四ツ辻まで戻り、元来た道を引き返すのでした。

 さてせっかくここまで来たのだからと、少し先の中書島駅まで京阪電車で移動します。
中書島は竜馬と酒蔵の街で、かねてから訪れたかった所なのです。
車中のわずかの時間で足を休め、次の散策に備えて足腰を休息します。
末に疲れ切った身体を気遣い、中書島駅からはゆったりした行程で進みます。

 先ずは駅のそばの長建寺に寄ります。
京都で唯一御本尊が弁財天だという珍しいお寺で、島の弁天さんと呼ばれて親しまれています。
中国を思わせる竜宮造りの門をくぐると、左手に大きな梵鐘が目につきます。
そして、奥の本堂には八臂弁財天が祀られています。

 長建寺の外には奈良、大阪へ繋がる宿場町として舟が行き来していた宇治川の派流である東壕川が流れています。
今では観光用の十石舟が、のどかに川を行き来している姿を見ることができます。
対岸の伏見の酒屋街の建物を眺めながら、河辺を蓬莱橋まで歩いて行きます。
蓬莱橋で向う岸に渡ると、ここから先は伏見の商店街が並んでいます。
しかしあえて左折して、寺田屋を目指します。
寺田屋は坂本竜馬が身を寄せた宿で、ここに潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊皇攘夷派を新撰組が襲撃した寺田屋騒動の舞台でもあります。
現在は資料館として保存されていますが、なんと宿泊も可能ということです。
悲劇の舞台だっただけに、泊るには迷うものがあります。
さすがに竜馬の足跡を一目見ようとする観光客で人波が途絶えず、寺田屋の全景を写真に収めるまで20分程もかかってしまいました。

 さて陽は高いが、ここからは大人の時間! と言っても、怪しい店に消えるのではなはありません。
伏見の酒蔵巡りが始まります。
先ずは、月桂冠大倉記念館へ。
東壕川から1筋入った所に繰り広げられる木と漆喰が美しい酒蔵の街並みです。
記念館に入るには入場料が必要ですが、入場券とともに渡されるお酒と、見学途中の利き酒で十分元は取れます。
桃山丘陵からの豊富な湧水に支えられ、酒造りが盛んになったこの地ですが、400年経った今も酒造りが続いています。
酒の製造工程から始まり、伏見の酒造りの歴史を知ることができます。

 月桂冠に行ったのですから、次は黄桜でしょう。
程なく離れた場所に、黄桜記念館があります。
こちらは入場無料で、中には黄桜のコマーシャルで有名な河童が迎えてくれます。
河童の墨絵が飾られたホールでは、歴代のコマーシャル映像を見ることができます。
その奥の部屋には、全国の河童伝説が展示されている河童記念館なのです。
そして中庭では、料理をつまみながらお酒を頂くこともできるのです。

 最後に、伏見駅近くの御香宮神社に立ち寄ります。
神功皇后を主祭神として祀られているこの神社ですが、862年に境内から、香の良い水が涌き出たということで、清和天皇から御香宮の名を賜り現在の名称になっています。
その後、豊臣秀吉は伏見城築城の際に城内に移し、鬼門の守護神とします。
1605年には徳川家康が元の位置に戻し、本殿を造営します。
1868年の伏見鳥羽の戦では伏見奉行所に幕軍が據り、官軍である薩摩藩の本営となりましたが、焼失を免れ今に至るということです。

 さて本日の最後は、再び伏見方向に電車で移動し、丹波橋で降ります。
15分ほど坂道を上っていく先に、「桃山城」があります。
豊臣秀吉が隠居後の住まいとするため築いた「指月伏見城」、そして木幡山に再築されたものを「木幡山伏見城」があります。
さらには、伏見城の戦いで焼失した跡に徳川家康によって再建された「木幡山伏見城」があります。
「指月伏見城」は、1594年に秀吉が入城するものの、その直後に起きた慶長伏見地震によって倒壊してしまいます。
そこで指月から約1kmの木幡山に新たな城が築き1597年に完成しますが、翌年には秀吉はこの世を去ります。
秀吉の遺言によって豊臣秀頼は伏見城から大坂城に移ることになり、代わって徳川家康がこの城に入ります。
そして関ヶ原の戦いの際には、家康の家臣である鳥居元忠が城を守っていましたが、石田三成派の西軍に攻められて落城します。
1602年に家康によって再建されたのですが、1619年に廃城となり桃山城の部材は二条城や淀城、福山城などに移築されたということです。
今目にすることができる「桃山城」は1964年に建てられたものですが、耐震基準を満たしていないため内部に立ち入ることは許されていないのです。

 本日は思いっきり歩いて、その後は歴史に触れたりお酒を嗜んだり。
たくさんのことがギュと詰込まれた1日でしたが、最後には自分へのお土産と称し色々な種類のお酒を調達し、機嫌よく帰って行ったのでした。

 
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