にっぽんの旅 関東 東京 大森

[旅の日記]

品川・大森貝塚 

 本日は品川のお散策です。
こんな都会に何があるの?って、それは歩いてみなければ判りません。
かつて栄えた品川宿も、しばらくはただの駅でしかなかったのですが、新幹線の品川駅ができたのを機に再開発が始り元の賑わいが戻ってきました。

 本日は、旧東海道の第1宿である品川宿を拠点に、品川から大森までをブラリと歩いてみます。
その前に是非寄りたいところがあります。
「泉岳寺」は、1612年に徳川家康が創建した寺で、寛永の大火で焼失した際に現在の地に移されました。
それよりも、浅野長矩と赤穂浪士が葬られていることで有名です。
赤穂事件については、赤穂の旅行記で詳しく述べていますが、浅野長矩の無念の死を赤穂浪士が仇討を起こした事件です。
寺の奥には浅野長矩そして赤穂浪士の墓があり、常に線香が灯されています。

 さてJR品川駅高の輪口に戻り、国道25号線を南に進んで八ツ山橋でJRの線路を越えたところに、京急本線の踏切があります。
通りかかったのが朝方ですから、品川駅を発着する電車が行きかう、いわゆる開かずの踏切です。
踏切が開くまで、目の前を通り過ぎる電車の車輪を見ながら、しばらく待たされます。
電車が途絶えた僅かの隙に素早く渡ったのは良かったのですが、どうも目的としていた東海道から逸れてしまったみたいで、再び踏切の開くのを待ちます。
目指す東海道品川宿の碑は、踏切の手前すぐのところにありました。
江戸時代に東海道五十三次で江戸から最初の宿場町であった品川は、1600件7000人の町で栄えていました。
さらに南に歩いて行くと、道の両側にビル、マンションは立ち並んでしますが、なんとなく当時の風情が感じられます。

 北品川を越え新馬場駅に差しかかるところに、聖蹟公園があります。
そしてその公園脇には、本陣跡の立て札がかかっています。
東海道を旅する武士や公家用が宿泊・休憩をした場所で、今は立て札だけを残すのみとなっています。


 さらに南に進み新馬場駅近くに、目黒川に架かる品川橋があります。
北品川と南品川の境に位置し、江戸時代には境橋と呼ばれていました。
 青物横丁駅近くには、品川寺(ほんせいじ)があります。
大同年間(806〜810年)に空海により建立されたお寺で、水月観音・聖観音両菩薩霊像を本尊とし奉られています。
寺の入口には、江戸六地蔵の一つである石の台座の上に安置された地蔵菩薩がどっしりと腰をおろしています。

 ここから先は、京急本線の鮫洲駅、立会川駅に沿って旧東海道を歩き、鈴ヶ森刑場跡まで進みます。
日光街道の小塚原刑場、甲州街道の大和田刑場とともに、江戸三大刑場と呼ばれる所です。
浪人の増加に伴い犯罪も増え、江戸に入る浪人への戒めのためにこれら各街道の江戸への入り口に形状が設置されました。
1651年から閉鎖される1971年までの間に、処刑された罪人の数は10万人とも20万人とも言われています。

 さてここで旧東海道ともお別れして、JRの大森駅へと向かいます。
この場所のもう一つの名物が、大森貝塚です。
アメリカ人のモースが、縄文人の残した貝殻に混ざり土器、土偶、石斧などが発掘した、教科書でも有名な場所です。
ところが、2つの場所が名乗りを挙げているのです。

 先ずは、1つ目の大田区にある大森貝墟に向かいます。
JR山手線を臨む場所ある貝塚碑は、1930年に建てられたものです。
マンションの片隅にあって、申し訳なさそうに入っていく必要があります。
そしてそこから5分程離れた場所である品川区の大森貝塚遺跡庭園内に、2つ目の大森貝塚があります。
こちらもJR山手線の電車が行き交う真横にあり、1929年に建てられた貝塚碑があります。
その他モース像や発掘に際した説明など、発見当時の様子を知ることができます。

 2つの説があるものの、今ではどうやら品川区側の遺跡が当時発見されたものだということが、徐々に判ってきたのです。
どちらにしても、遠い昔を想う夢のある話です。

 さて大森まで来たのなら、足を延ばして隣の蒲田駅まで移動します。
JRの電車の発車のときに鳴る蒲田行進曲で判るように、ここはかつての松竹蒲田撮影所があった場所です。
大谷竹次郎と白井松次郎の名をとって松竹キネマ合名社ができたのは、1920年2月のこと。
1936年に松竹大船撮影所に移るまでの間、日本の映画を作り続けてきました。
大田区民ホールアプリコのビルの中には、1986年の作品「キネマの天地」で使われた松竹橋が保存されています。
学生時代に映画に狂った時のことを、懐かしく思い出すのでした。

 さて最後は、揚げパンを紹介しましょう。
コッペパンを油で揚げたものに砂糖などで味付けしたでもの、大田区立嶺町小学校で終戦後の児童に安価価を上げるために考え出されたものです。
今でも、子供たちの人気の食品になっています。

 旧東海道の散策と大森貝塚と時代の全く違う2つのものでしたが、江戸に近く海の幸に恵まれた品川の歴史を探ることができたのでした。

     
   
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