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[旅の日記]

赤穂浪士の里 播州赤穂 

 赤穂浪士で有名な播州赤穂、この町を本日は散策します。
播州赤穂へは、山陽本線相老駅から赤穂線に入ります。
ここから先は単線で、電車は瀬戸内海側を走ります。が、海岸線が見えるわけではありません。
小さな駅が並ぶなか、播州赤穂駅は大きく立派な駅舎です。
そして駅前のロータリーには、大石内蔵助像が出迎えてくれます。

 それでは、駅前から赤穂城へと続くお城通りを進みます。
広々とした通りの両側には、この地方が特産の塩味饅頭の店が並びます。
すると道の先に、溝の彫られた場所があります。
「上水道モニュメント」です。
赤穂は上水道の整備が、古くから行われてきました。
1616年築造の赤穂上水は、1616年東京の神田上水、広島の福山上水と並び、日本三大上水道のひとつに数えられています。

 その先には、「息継ぎ井戸」があります。
この先に訪れる「赤穂浪士」に謂れのあるもののひとつで、江戸での浅野内匠頭による刃傷事件の第一報を伝えるため、江戸を発ち4昼夜籠に半揺られて赤穂に入ります。
その時に、この井戸の水を飲んで一息ついたと言われたことから、「息継ぎ井戸」と語り続けています。

 それでは、ここで食事にします。
赤穂は瀬戸内海の恵みがいっぱいで、いまは牡蠣のおいしい時期です。
隣の駅の坂越港で揚がる牡蠣が、その日中に新鮮なままで食卓に並びます。
頼んだのは牡蠣三昧の料理で、生牡蠣、焼牡蠣、牡蠣のフライ、牡蠣の吸い物、そして牡蠣ごはんです。
レモンの効いた生牡蠣、熱々で香ばしい焼牡蠣、ご飯が欲しくなるフライ、そしてそのご飯さえもミルク味がおいしい牡蠣ごはんなど、同じ牡蠣ばかりなのにちっとも飽きがきません。

 身体も暖まり、先を急ぎます。
堀で囲まれた石垣の先に、赤穂城跡があります。
堀に架かる大手門を渡ってみます。
堀の中に入り最初に目に入るは「近藤源八宅跡長屋門」です。
赤穂浅野家の軍学指南近藤家の屋敷のあったところです。

 そしてその手前には、「大石良雄宅跡長屋門」があります。
こちらは、のちほど大石神社から内部を見学します。

 それでは、「赤穂大石神社」に向かいます。
1701年江戸城中松の廊下で、勅使接待役の浅野内匠頭長矩が、指南役の当家筆頭吉良上野介義央に斬りつける事件が起きます。
日頃から吉良上野介に冷たく扱われていた浅野長矩が、反抗するために起こした行為です。
この件に関し、浅野長矩は即日切腹の刑となったのに対し、吉良上野介には何のお咎めもなく終わったのです。
赤穂藩国家老 大石良雄内蔵助をはじめとする赤穂藩の旧藩士である47名が、その結果を不服として集まります。
そして1703年12月14日の未明に、吉良邸へ討ち入りをし、怨み晴らします。
吉良上野介の首を泉岳寺にある浅野長矩の墓前に供え、この「元禄赤穂事件」は幕を引きます。
赤穂浪士は切腹の処分を受け、劇的な終焉を遂げました。
その後、「忠臣蔵」として人形浄瑠璃や歌舞伎で演じられることになります。

 「赤穂大石神社」の鳥居の先には、赤穂四十七義士の石像が並んでいます。
「赤穂大石神社」は、赤穂四十七義士ならびに中折の烈士萱野三平を主祭神とした神社なのです。
そしてこの神社は、赤穂城三の丸大石内蔵助、藤井叉左衛門両家老屋敷跡に建てられました。
先ほど正面を見てきた「大石良雄宅跡長屋門」の屋敷と庭園を、内部から見ることができます。

 「赤穂大石神社」の南には、「赤穂城跡」があります。
本丸櫓門を潜ると、浅野長直が築いた本丸跡が広がります。
天守を持たない平城で、天守台のみが今日に残っています。

 次に訪れる「赤穂市立歴史博物館」は城の東側にあります。
5連の白壁土蔵の建物は、赤穂城米蔵跡に建てられたものです。
ここでは、赤穂の塩作り、元禄赤穂事件、赤穂上水道が展示されています。
干潮と満潮の高低差が激しい赤穂の特徴を活かして、この地方では古くから入浜式塩田が盛んでした。
「赤穂の塩」として、その製法は瀬戸内海の各地に広がっていきます。
通りに塩味饅頭の店が多かったのも、塩を活かしたご当地名産だったことに、改めて気付きます。

 城の西側には、「赤穂市立民俗資料館」があります。
旧大蔵省塩務局の洋館です。
塩作りで栄えた赤穂ですが、海外からの安い塩に対し自国の産業を守るために、政府は1905年に塩専売法を施行して塩作りを国有化します。
その後、大蔵省から専売公社に管理が移って行きますが、資料館として建物を今に残しています。
「赤穂市立民俗資料館」は、明治以降の生活用品を展示して、当時の暮らしぶりを紹介しています。
残りわずかの赤穂で採れた塩を、入館記念にいただいたのでした。

 少し城の方に戻ってみます。
通りに面したところに、奇妙な建物が見えます。
その建物は、ごみごみとしたという言葉がぴったりの一見するとがらくた屋敷のようです。
壁にはビール、醤油、足袋などの昔の看板が所狭しと並べ、入り口はタバコ屋の店頭を模っています。
そして店の前には、ダイハツ ミゼットやスバル360などの懐かしい車が並んでいます。
よく見ると「玩具博物館」の文字が、看板の影に隠れています。
中を覗き込むのですが、「御用の方は…」と書かれているだけで、人が居る気配もありません。
ちょっと怪しげな様子もある場所です。

 ここから北に向かい、駅の方向に進みます。
「お成り道」の両側には、古い建物が並びます。
そして突き当りにあるのが「花岳寺」です。
1645年創立の寺は、赤穂歴代藩主である浅野家、永井家、森家の菩提寺として造られました。
曹洞宗に属し、永平寺を本山にもつ寺です。
「花岳寺」には赤穂歴代藩主の墓があるとともに、忠義塚の奥には赤穂四十七義士の墓もあります。

また宝物館には、赤穂四十七義士の木彫りの像が展示されています。
 「花岳寺」の外に出ると、東の「高光寺」に続く道沿いにも古い街並みが広がります。
ここは「備前街道」で、「木南家住宅」や「山崎家住宅」などが並びます。
周囲を眺めながら、街歩きを楽しみます。

 そして町をうろうろした後、播州赤穂に戻ってきます。
実はこの後、赤穂鉄道の旧赤穂駅を探しに行きたかったのです。
どの案内書にもその姿は載っていないものの、地図には駅の記載がありますのでとりあえず探しに出かけます。
結構歩き回ったのですが、残念ながら見つけることはできません。
石碑だけでも建っていれば思ったのですが、それらしき場所には店が建っていました。

 再び戻ってきた駅では、今日のお土産を探します。
塩味饅頭か清酒忠臣蔵もしくは塩か?
結局選んだのは、今回は家族への饅頭です。

 ちょっと寒かった街歩きですが、赤穂の歴史に触れ合うことができたのです。
そして、冬の散策を楽しんだ1日でした。

 
   
   
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