にっぽんの旅 東海 静岡 修善寺

[旅の日記]

修善寺 

 本日は、三島駅から伊豆箱根鉄道の駿豆線で19.8km、30分離れた修善寺に向かいます。
この駿豆線、そこいらにあるローカル線と思って乗ったものの、ちょっと感じが違います。
車体は青と白のスマートな姿しています。
そして一旦走りだすとスピードは出るし、駅での対向車両との待ち時間もなく、単線ということを忘れてしまうほどです。
あっという間に修善寺に着いてしまいました。

 さて修善寺駅前で先ずは腹ごしらえとばかりに蕎麦を食べます。
地図を見ながら、修善寺温泉のある方向を見定めます。
食べ終えると早速歩き始めます。
狩野川に架かる橋を渡ったまではいいのですが、どうも温泉らしき風景に巡り合えそうにはありません。
これは方向が間違っているのでは?と再び駅に戻り反対方向を探ります。
道路標識を見てもそれらしき地名は載っておらず、たまりかねて道行くお婆さんに声を掛けます。
返ってきた返事は「修善寺温泉まではだいぶんあるよ、あそこからバスに乗りなさい」ということ。
ちょっとためらったものの、眼の前にバスの止まっているのが見え、素直にその忠告に従うことにしました。
今しがた歩いてきた見覚えのある道をバスは越え、その先を突っ走っていきます。
やはりバスでの移動が、正解だったようです。

 修善寺温泉は、桂川にへばり付くようにできた温泉町です。
バスが1台がやっとUターンできるほどのスペースが確保された修善寺温泉のバスターミナルから、けっして広くはない温泉のメインストリートを、ぶらりと歩いて行きます。
最初に眼に入ってきたのは、日枝神社です。
温泉街にあって人気のない日枝神社は、その昔修禅寺の鎮守さまでした。
また修禅寺に幽閉された源範頼が自害した場所でもあります。
今は、境内に幽閉地跡の表示と庚申塔がひっそりと建ています。

 そしてその先にあるのが、この地名にもなっている修善寺です。
平安時代に弘法大師が興した名刹で、鎌倉時代には源頼朝に謀反の疑いをかけられ源頼家が幽閉されたところです。
宝物館には北条政子が納めた般若経が、展示されています。
源氏歴史の舞台ともなったところで、観光客も多く活気ついていました。

 さて、修善寺を出て桂川の河原には、伊豆最古の温泉と言われる「独鈷の湯」があります。
病身の父親を洗う少年の姿を見て心打たれた弘法大師が、独鈷杵で川の岩をたたくと、湯が湧き出たと伝えられるところです。
温泉が立ち並んぶ河辺で水の流れを眺めていると、ゆったりした気分になります。
さらに河辺の散策路を西に進んで行きます。
朱色の橋を渡ると、そこにあるのは「竹林の小径」と呼ばれる竹林です。
両側に竹を植えられた石畳の遊歩道をゆっくりを歩いて行くと、昔ながらの消防団のポンプ置場に出くわします。
木製、瓦屋根の建物と鐘、そして柱の上の鐘に、消防の赤い灯が映っており、風情をかもしだしていました。

 修善寺の街をお店を覗きながら歩いていると、もうひとつ面白いものを見つけました。
射的場というか、パチンコ屋(スマートボールの方です)というか、とにかく昔の温泉地にあった遊戯場がそのまま現役の店として残っています。

 さて方向を変え、再び修善寺近くの対岸に戻ってくると、そこには木造建築の古いお堂があります。
北条政子が息子源頼家を弔うために建てたお堂で、指月殿といいます。
ここは、伊豆で現存する木造建築のもっとも古いものになります。
本尊の釈迦如来坐像は、鎌倉時代に造られたものです。
また隣接する源氏公園には、十三士の墓がひっそりと並んでします。

 その他桂川沿いには、筥湯(はこゆ)と呼ばれる頼家が入浴したと言われる名湯もあります。
修善寺自体は小さな町ですが、都会から離れ都心の忙しさを忘れさせてくれる不思議な空間です。
そろそろ現実に戻らなければなりません。
修善寺温泉バスターミナル(単に停留所といった方が適切かもしれませんが)でベンチに腰掛け、一夜干しの干物を小脇に抱えて修善寺駅行きのバスを待つ自分の姿に気付いたのでした。
時間さえあれば、もっとゆっくりしたいものです。

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