にっぽんの旅 東海 静岡 駿府城

[旅の日記]

駿府城と浅間神社 

 本日は静岡駅周辺の散策です。
昨晩は清水で一泊していましたので、2両編成の静岡電鉄に揺られて新静岡駅に到着しました。
かつては静岡県内に5路線を有していた静岡電鉄ですが、現在では全長11kmの静岡清水線だけになってしまいました。

 ちょうど昼時でしたので、まずは軽く腹ごしらえを。
せっかくの静岡なので安くておいしくなおかつ適量の魚はないものかと、そしてそんな勝手なものなんかありゃしないと思いつつも、静岡の街で探してみます。
そんな時、眼に留まったのは「しらす丼」です。
しらすが山盛り乗った丼は、味噌汁つき。
醤油を垂らし、生と干した2種類のしらすの味は、600円という安さが信じられないくらいの大当たりでした。

 ここからほどなく歩いたところに、「駿府城跡」があります。
14世紀に今川氏によって築かれた駿府城は、16世紀には甲斐の武田氏に駆逐され、城館は失われてしまいます。
その後、武田氏は1582年に織田・徳川勢力により滅亡し、この地を三河の徳川家康が領有することになります。
駿府城は近世城郭として築城し直され、この時に初めて天守が築造されました。

 それでは県庁側に回り、正面から「駿府城跡」に入ります。
弥次喜多銅像を越え城内への橋の近くに、わさびの形をした石碑があります。
この地が日本初のわさび栽培の地とした記念碑なのです。

 「二之丸橋」を越えて、「駿府公園」に入ります。
中は広い公園になっていますが、おりからの猛暑でジリジリ照りつける陽射しをまともに受け、公園をゆっくり楽しむどころではありません。
公園内の建物である復元された「東御門」を見て回ります。
「東御門」から続く「高麗門」は石垣と白い城壁の中の門で、復元された門はいまだに木の香りがしような木製の門です。
その奥、現在の公園側には「東御門櫓門」が控えています。

1585年に家康が築城した「駿府城」ですが、豊臣秀吉による家康の関東移封により、豊臣系大名の中村一氏が入城することになります。
一方の家康は、その後の関ヶ原の戦に勝利して天下を取り、江戸に幕府を創設します。
しかし、在位2年で将軍職を息子秀忠に譲り、自らはここ駿府に移り隠居を始めます。
これが家康の駿府大御所時代です。
しかし隠居と見せかけ実質的な国政をこの地に置き、駿府は江戸と並ぶ政治・経済の中心地として栄えたのです。
そうした家康像が、公園には建てられています。

 駿府公園を後に、次に向かったのは「静岡浅間神社」です。
「駿府公園」の北門から1kmほど歩いたところに、「静岡浅間神社」はあります。
バス通りを歩いていくと、突き当りの朱色の桜門に気付きます。
神部神社、浅間神社および大歳御祖神社の三社を総称して、「静岡浅間神社」と呼びます。
特に神部神社は約2100年前の鎮座と言われ、登呂遺跡が現役で使われていた時代からこの地方で慕われた神社です。
神部神社は駿河国開拓の祖神大己貴命(おおなむちのみこと)、浅間神社は木之花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)を祀られており、この二社は同一の拝殿です。
舞殿の奥の大拝殿は、瓦屋根を支える真っ赤な柱が生えて見えます。
高さ25m、132畳の広さの建物です。
境内の賤機山(しずはたやま)は、古代より神聖な山としてこの地方の信仰の対象になっており、静岡の地名もここからきたと言われています。
幼少の頃、今川氏の人質として約1km北の臨済寺に預けられていた家康は、特に「静岡浅間神社」を深く崇敬していました。
賤機山に築かれていた武田氏の城塞を攻略する際は、攻略できたならば必ず壮麗な社殿を再建するとの誓いを立てたうえで、家康は社殿を焼き払い、武田軍に攻め込みました。
そして約束通り、現在と同規模の社殿を建造し直したのです。
麓山神社、八千戈神社、少彦名神社、玉鉾神社も、同じ境内に鎮座しています。

 校内の浅間神社会館は休憩所にもなっており、訪れると冷えた麦茶を出してくれます。
太陽が容赦なく照りつける今日の日に、大変ありがたいものです。
少しここでゆっくりしていくことにします。

 「静岡浅間神社」を成すもう一つの神社であり、大歳御祖命(おおとしみおやのみこと)を祭神とする大歳御祖神社は、浅間神社の南側にあります。
約1700年前の鎮座と伝えられており、この地方の守護神として現在まで信仰され続けています。
大歳御祖神社と神池を挟んだ反対側には宝物館があり、徳川家を始め今川、武田、豊臣の古文書などが保管、展示されています。

 赤鳥居から街に出た後は、しずてつが市内の景勝地を巡回しているミニバスの乗り込みます。
どこで乗り降りしても100円という、重宝な乗り物です。
JR静岡駅まで乗り、駅で買ったお茶の香りがするあん饅頭は、お勧めのひとつです。
そしていまや全国区の柏餅も、徳川家重が食べたことが最初と言われることは意外と知られていないことです。

   
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