[旅の日記]
白糸の滝 


「白糸の滝」、同じ名前の滝は全国にいくつかありますが、静岡県の「白糸の滝」には思い出があります。
最初に来たのが小学校の修学旅行、いや中学校の富士登山だったかもしれません。
そして2回目は、就職して4年目の秋です。
「白糸の滝」を見てから富士五湖を車で巡ったのですが、この時は寒くて服を求めて走り回ったことを覚えています。
結局服屋を見つけられずに、代わりにあったスポーツ用品店でテニス用のパーカーを買ったのです。
形といい色といい、思いのほかそのパーカーが気に入り、長く好んで着ていたものです。
それから30年以上、ふとあの時の「白糸の滝」を見に行きたくなったのでした。
JR富士宮駅から出る路線バスに乗って、「白糸の滝」に向かいます。
滝までは30分のちょっとした旅行です。
富士宮の市街地を過ぎると、周りは田舎の様相を隠し切れません。
僅かずつですが、バスはずっと坂を登り続けているような気がします。
富士宮を出発では多くの人が乗っていたバスですが、滝の近くになるとわずか2人の寂しいものでした。

白糸の滝観光案内所前のバス停で降り、ここからは滝に向かって歩いて行きます。
バス停の正面には「熊野神社」の鳥居が建ち、その奥に小さな社殿が建っています。
「白糸の滝」までの通路の途中で、最初の滝に出会います。
ここが「音止の滝」で、水が吸い込まれて滝壺に落ちていく正にその場面を滝の上から覗くことができます。
木々の隙間から見える滝は、落差25mのもので豪快で雄々しさがあります。
ここのところ雨が多かったので、水量も増えていたことでしょう。
「音止の滝」という名前は、この地方の曾我祐成、時致の兄弟に関係しています。
父の仇である工藤祐経を討とうとした曾我祐成と曾我時致は、滝の音で会声がかき消され思うように策略を練ることができません。
そこで神に念じたところ、たちどころに滝の音が止んでその甲斐もあって曾我兄弟は見事に本懐を遂げることができたのです。
そのことから、この滝が「音止の滝」といわれるようになったということです。
蘇我兄弟については、後程ゆっくりその足跡を辿ることにします。
さて「音止の滝」をさらに下って行くと、そこには視界が開けた空間があります。
岩で囲まれた中央は、パックリと口を開けたようになっています。
周りを形作るの岩々からは、どこからともなく水がしたたり落ち常に岩肌を潤しています。
そしてその先に水が集まって落ちてくているところがあります。
これこそが本日はるばる見に来た「白糸の滝」
なのです。
日本三大名瀑に選ばれる見ごたえのある滝です。
富士山の豊富な湧き水が溶岩の隙間から湧き出し、糸を引くような無数の滝で構成されています。
そして圧巻されるのは、水量は毎秒1.5t、横幅200m、高さ20mといったその壮大さです。
しばらくは時間を忘れて、水の流れ落ちる様をしっかりと脳裏に焼き付けておきます。
滝壺に溜まる水は澄んだ青色をしており、その冷たさに驚かされます。
ここに来るまでの売店に、清水でないと育たないワサビが売られていたことを納得したのでした。
さて普通の観光客ならここまでで、滝を見ると次なる目的地に移動するのでしょうが、この散策は違います。
滝の周りの自然と歴史にとことん触れるみることにしましょう。
滝から10分ほど歩くと、地元の人しか訪れないようなひっそりとした通路があります。
そしてそこにある大きな岩が、「曽我の隠れ岩」です。
先ほど「音止の滝」で話題になった蘇我祐成、時致の2人の兄弟の話です。
曾我祐成が5歳の時、父 河津祐泰が同族の工藤祐経に暗殺されます。
1193年の富士の巻狩りが行われた際に、祐成は弟 時致と共に父の無念を果たすために工藤祐経を殺害を計画します。
その時隠れたとされるのが、この「曽我の隠れ岩」なのです。
そのすぐそばには、兄弟に討たれた工藤祐経の墓もあります。
それでは次に、蘇我兄弟の墓も訪れることにします。
「曽我の隠れ岩」から20〜30分ほど歩いたでしょうか、数件の民家が並ぶ片隅に「曽我八幡宮」があります。
曾我兄弟の孝心に感心した源頼朝が、1197年に渡辺主水に命じて応神天皇とともに蘇我兄弟の英霊を祀るために建てられたのが、この神社です。
祭壇には、応神天皇の騎馬像と曾我兄弟の像が安置されています。
蘇我兄弟は工藤祐経の仇討ちに成功しますが、兄 祐成はその後仁田忠常に討たれます。
一方の弟 時致は、将軍 源頼朝を襲おうとして御所五郎丸によって捕らえられます。
調べの途中で仇討ちに至った経緯を知った頼朝は助命を考えますが、工藤祐経の遺児 犬房丸の要望により処刑されてしまいました。
まさに代々に渡って憎み合う両家の姿を、見ているようです。
その蘇我兄弟の墓地が、杉林に覆われた小高い山の中腹にあります。
ふたりはここから滝に臨む上井出の町を眺めていることでしょう。
さてさらに南の方に歩いて行きましょう。

ふと東の空を向くと、富士山
の優美な姿が見えています。
そう、ここは富士山から10kmも離れていない至近距離まで来ていたのでした。
富士山を見ると心が和むのは、やはり日本人なのでしょうか。
最後に源頼朝にまつわる場所を、もうひとつ訪れてみましょう。
「狩宿の下馬桜」と呼ばれるその場所は、1193年に頼朝が富士の巻狩りを行った時に馬からおりたとされるところです。
桜に馬をつないだということから「駒止めの桜」とも言われています。
日本最古級のシロヤマザクラで、日本五大桜のひとつにも数えられています。
その奥には井出家の大きな屋敷とそこに続く門があります。
富士の巻狩りの際には、現在の井出家の北東の場所にあった本陣で頼朝が寝泊まりしていたとされています。
屋敷の外では、どこそこに富士山からの豊富な湧き水が流れています。

ここに居る限り、水には事欠かなかったことでしょう。
今回は富士宮からバスによる移動のため遠出はできなかったのですが、前回に車で移動したときは「朝霧高原」まで足を伸ばしました。
富士の大自然の中、放し飼いにされた牛を目にすることができます。
そしてその牛から採れた牛乳で作ったアイスクリームも忘れられない味となったのでした。
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