にっぽんの旅 東海 静岡 沼津

[旅の日記]

沼津漁港 

 本日は、静岡県沼津に居ます。
駅の近くの中央公園には、ある石碑が建っています。
ここ沼津は1579年に武田勝頼が築城した「三枚橋城」がありました。
武田氏の滅亡後の1582年には、徳川家康の命により松井忠次が城主となります。
その後は豊臣秀吉の家臣の中村一栄、そして大久保治右衛門忠佐が城主となりましたが、1613年には廃城となります。
ところが160余年間は沼津には城がなかったのですが、1777年に水野忠友が「沼津城」を築城します
そうして沼津は城下町として発展していったのでした。
しかし2度の大火に遭い、城の堀は埋められしまいました。
中央公園にある石碑は本丸があったことを示す数少ない城の足跡です。

 ここからは沼津港まで歩いていきましょう。
周りを眺めながら30分の散歩です。
ところが沼津はあいにくの雨。
沼津港内港には、休漁の船が並んでいます。

そこで、魚市場「みなとしんせん館」に入ってみます。
観光客用に整備されたピカピカの市場は、アジや金目鯛の一夜干しが並んでいます。
お手頃価格で売られている大好きな金目鯛は、これから新幹線に乗る予定がなければ、確実に買って帰ったことでしょう。
市場の外、海側にはウッドデッキが敷かれており、そこから内港と外港を結ぶ辺りに「びゅうお沼津港展望水門」が見えます。

 市場の道向かいは、飲食街です。
寿司、ひもの、海産物、おにぎり、コロッケや野菜を売る店が、軒を並べています。 そのうちの「港八十三番地」に寄ってみましょう。
でもどう見ても地元のお店というより、観光客相手のお店ばかりのようです。

 そしてその奥には「沼津港深海水族館」があります。
他に類を見ない水族館で、深海生物ばかりを集めた水族館です。
シーラカンスの展示もある、面白いところです。

 ここから「文学のみち」を西に歩き、「若山牧水記念館」に向かいます。
訪れた時は2月23日の「富士山の日」ということで、記念館は無料開放されていました。
なんと幸運なことでしょう。
若山牧水が作家としてささげた生涯が、紹介されています。

 東京の生活に疲れた歌人牧水は、1920年、沼津町郊外の楊原村上香貫に移ってきます。
静かな田園と富士山が仰がれ温暖な気候にも助けられて、病みがちであった妻子も元気になったので、彼は仕事に打ち込みます。
「くろ土」「山桜の歌」の歌集、そして歌誌「創作」も、ここ沼津の地から出版されます。
その後の関東大震災の住宅難で家を追われ、千本末の小さな家に移ることになります。
しかし、1925年には市道町に約500坪の土地を買い、ここに移り住みます。
これで人生の歯車が順調に回り出したかに思えましたが、翌年創刊した月刊誌「詩歌時代」は、資金不足のため6号で廃刊に追い込まれてしまいます。
そんな中、静岡県当局の千本松の伐採計画が上がります。
美しい松林を守ろうと、牧水は反対運動を起こし、新聞に計画反対を寄稿するなどして計画の中止に凡走します。
苦労の甲斐があって、千本松の伐採計画は中止になるのですが、「詩歌時代」の負債償還のために各地を巡る羽目になります。
そして朝鮮各地に至る揮毫旅行の際に、無理がたたって健康を害し、それがたたって1928年夏に一生を終えたのでした。

 牧水がこよなく愛した「千本松原」はその西側にあります。
千本松原とは、狩野川河口から富士市の田子の浦港までの約10kmの駿河湾岸に沿って続いている松原のことです。
元々は防潮・防風のため農民が植えたもので、現在では30数万本以上あるという言われています。
松林越しに富士山を望むこともでき、現在は河湾の景勝地として日本百景、日本の白砂青松100選にも選ばれていています。

 さて、バスに乗って再びJR沼津駅に戻ります。
その日の夜は、沼津で捕れる新鮮な魚を思う存分味わいます。
サワラのかまの塩焼き、金目の煮付け、それに刺身など、ビールが進む魚づくしでした。

 翌日の帰りのことでした。
沼津駅にホームに立っていると、カメラ小僧がなにやら興奮した様子で走り出し、機関車にカメラを向けています。
「すごく珍しい…」と叫んでいるので、理由も判らずに私も釣られてシャッターを押したのでした。
ひょっとしたら、これが貴重な写真と呼ばれるかもしれませんので…

 
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