にっぽんの旅 東海 静岡 気賀

[旅の日記]

姫街道の宿場町 気賀 

 浜名湖の北、気賀の町に来ています。
1両編成の単線である「天竜浜名湖鉄道」に揺られてきました。
途中、澄んだ水の天竜川を越えて走ります。
列車は赤い幕で彩られた気賀駅に着きました。

 浜名湖に来たからには、やはり鰻でしょう。
しかし楽しみは後に残して、まずはまんじゅうを買いに行きます。
奥浜名湖地域に鎌倉時代から伝わる食べ物があると聞いてきたのです。
その名も「みそまん」。
遠州で栽培が盛んだったサトウキビから精製して作った黒糖を使ったまんじゅうです。
皮の色が味噌のような茶色に染まっていることから、「みそまん」と呼ばれるようになりました。
皮の中にはこしあんが詰まっており、甘い食べ物です。
まずはこの「みそまん」を口にほおばりながら、町を歩いて行きましょう。

 気賀は東海道の脇街道である「姫街道」の宿場町として大いに栄えたところです。
東海道の見付から分けれ、気賀、三ケ日を通り、本坂峠を越えて嵩山、豊川から御油で東海道と合流する15里14町(約60キロメートル)の道のりです。
東海道が通る浜名湖は当時は危険と思われ、それを避けて「姫街道」を通る人も少なくはありませんでした。
特に1707年に起きた大地震では、比較的被害の少なかった気賀経由のこの道を人は好んで通りました。
本坂峠のあまりもの混雑ぶりに幕府は本坂越の通行禁止令が度々出されますが、それでも公家や武家の奥方、姫君女中衆はこの街道を使用し続けました。
そんなことから、いつしか「姫街道」と呼ばれるようになったのです。

 1601年に徳川幕府は本坂越えを監視するために、ここに関所を設けます。
箱根、新居とともに江戸に出入りする人物を監視するための重要拠点として、その役割を果たしてきました。
1605年の気賀の大火でも関所は焼け残り、当時の茅葺屋根の姿が長く残されてきました。
その後瓦屋根に葺き替えられましたが、格子状の屋根の部分は今でも健在です。
この関所を訪れようとするのですが、極めて判り難い場所にあります。
人の家の通路を通ったような場所にあり、無造作に置かれた立て看板で方向は判るもの本当に入っていいのか迷うようなところです。

 その奥には、近藤家陣屋跡があります。
気賀関所もこの近藤家が治めていました。
建物はありませんが、陣屋に植えられていたことを今に伝える椎の木が小学校の前に残っています。

 さらに1筋西に行ったところには「吉野家旅館」があります。
近藤家陣屋の庭園に建てられた旅館で、木造2階建の切妻造りの主屋がまず目に入ります。
その反対側には、藁葺屋根の北棟があります。
そして池を囲んだところには、南棟と東棟がそれぞれ建っています。

 「吉野家旅館」の道向かいには、「藺草神社」と「細江神社」が同じ敷地内に仲良く並んで建っています。
その昔、浜名湖の南の新居に「角避比古(つのさくひこ)神社があり、浜名湖の守護神として信仰されていました。
ところが1498年の明応地震で社は流され、御神体は村櫛へ漂着します。
繰り返し起こる地震で、今度は気賀の赤池に流れ着きます。
そこで漂着した場所からほど近いこの地に社殿を設け祀られたのが、「細江神社」のはじまりなのです。
それ以来、地震からの守り神と崇められてきました。

 「吉野家旅館」から「細江神社」の境内を通り抜けると、その先に「気賀歴史資料館」があります。
この地で見付かった銅鐸など、古代から気賀に人が移り住んでいた資料が展示されてます。

 資料館の北側に奇妙なものを見つけます。
通りから逸れた山道に、むしろで覆い隠されたような門に似たものがあります。
これは「犬くぐり道」と呼ばれたものです。
関所を設け人の出入りを厳しく取り締まった江戸時代ですが、交通手形のない村民は村の中の移動に困ってしまいます。
そんな中に獣が通る道を造り、ここなら村民が通行しても見逃してくれるということで設置された道です。
道には、下に隙間を作り獣だけが通れるようにした門が設けられたのです。

 それではその「犬くぐり道」を通って、当時の村民になった気持ちで街を歩き回ります。
「秋葉灯篭」は気賀の西の端に当たるところにあります。
そしてその先の「獄門畷」は、気賀に攻め込む徳川勢に敗れた人の首が並べられたところです。
気賀の悲しい歴史があります。

 さてお待ちかねの鰻料理といきましょう。
ちょっと奮発して、今日は昼から鰻の店に入ります。
本場浜名湖と言えども、それなりに値が張る鰻です。
腹をくくって注文しますが、出てきた鰻はたれが絡んで実に旨いものです。
肝吸いをすすり鰻ご飯を口に運び、これまで歩いてきた足の疲れはどこかに吹き飛んでしまいました。

 ここからは、「天竜浜名湖鉄道」の線路の反対側に移ります。
そこには「気賀関所」が再現されています。
頑丈そうな木の門を潜り、関所で手形を調べられて無事通過することができてれば、反対側の木の門から出てくる。
そんな思いを感じながら通りますが、当時は冷や冷やしながら関所で取り調べを受けて、やっとの思いで通り抜けてきたことでしょう。

 東海道沿いの沿岸部と違い、今は静かな気賀の町を歩いた1日でした。
浜名湖に来れば鰻を食べることが、どうやら日課になってしまったようです。

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