にっぽんの旅 東海 静岡 御殿場

[旅の日記]

御殿場からの富士山と金太郎 

 今回の旅は、御殿場で1泊し翌日は駿河小山に移動します。
御殿場へはJR御殿場線で、沼津から30分余りの場所です。
かつては東海道本線の1区間として、日本の大動脈のひとつを担ってきた路線です。
ところが1934年の丹那トンネル開通に伴って東海道本線は熱海経由に路線を変更し、御殿場線は単線にまで規模を縮小してしまいました。
御殿場駅には当時の急勾配に強いSLのD52が、飾られています。

 それではここで腹ごしらえとしましょう。
海沿いではないものの、駿河湾からの新鮮な魚を扱う店が駅前には数多くあります。
駿河湾と言えばシラスでしょう。
シラス丼は、シラスに温泉卵がついたものです。
薬味のネギとも合い、あっという間に腹に入ったのでした。

 さて御殿場に泊まる理由はだたひとつ、日本一の富士山を見るためです。
今回の宿泊は奮発して、山を越えると芦ノ湖が広がる金時山の傾斜に建てられた立派なホテルです。
そして部屋からは、真正面に富士山を眺め見ることができる場所です。
しかし実のところ、初日は5合目より上は雲に隠れ、裾野の稜線が見える程度の状態です。
仕方なくその日は、ご当地の酒を味わうことにします。
豪勢なホテルのフランス料理の後に待っていたのは、最初は「御殿場高原ビール」です。
ピルスナー、デュンケル、ヴァイツェンの3種類のビールを味わいます。
そのあとは日本酒、ウィスキー、焼酎と、富士山の豊富な伏流水を使って作った酒の数々です。
いずれも味わいのあるものでした。

 翌日はゆっくり起きて、昼前に御殿場駅へと山を下りてきます。
と、その時のことです。
今までかたくなに山頂に架かっていた雲が晴れて、山のてっぺんが顔を出したのです。
中腹にはまだ雲が残っていますが、大型台風が九州を直撃してこちらに向かって来ようとしているにしては、幸福なひと時です。
思わず記念撮影をしたのでした。

 富士山を眺めて満足したので、町の中心地まで降りていきます。
涼しかったホテルでしたが、駅前ではまだ9月のうだる暑さが続きます。
ここに大きな火山岩の固まりである富士山弾が、飾られています。
次の富士山の噴火も噂になっていますが、こんなものが空から降ってくると思うとぞっとします。
確かに富士山は活火山なのですから、いつ噴火してもおかしくないのでしょうが。

 昨日から食べてばかりなので、本日の昼食についてはここはやさしくそばをいただくことにします。
この地方は昔から「みくりや」と呼ばれており、郷土料理の「みくりやそば」が有名です。
祝いごとの席で客人に出す御馳走料理で、手造りそばを出します。
麺には水を加えずに、つなぎとして山芋や自然薯を使っています。
そして出汁に使う水は御殿場の水であることが、「みくりやそば」の条件になっています。
濃い目の出汁で、中にはニンジン、シイタケ、鶏肉などが入っています。
鶏肉に出汁がしみ、美味しく食することができました。

 さてここからはJR御殿場線に乗り、2駅先の駿河小山に向かいます。
駿河小山は無人駅で、降りるときに車掌に切符を渡します。
わざわざ駿河小山に来たのは、誰もが知る「金太郎」に会いに来たからです。
駅前はとても栄えた町とは言えず、観光案内所とポツリポツリと通りに店が並ぶ程度です。

 最初に向かったのは「金時公園」にある「金時神社」です。
駅からは日に何便か出るバスが近くを通るだけで、基本的には歩いて行かなければなりません。
酒匂川を越え途中から民家の前を通る細い道を通りながら、30分近くも歩いたでしょうか。
右手に見える広い広場が、「金時公園」です。
その奥に「金時神社」はあります。
金太郎の持つまさかりが目印です。
左手に噴水をもつ小さな池を見ながら、その先の拝殿に向かいます。
金太郎は坂田金時のことで、この拝殿の場所にかつての金時屋敷がありました。
坂田金時は源朝臣に見出され、朝臣の家来になります。
その後、坂田靭負金時と名前を改め、源朝臣頼光の四天王のひとりとなったのでした。
拝殿の脇には、「第六天社」があります。
ここは金太郎親子が信仰のために、よく訪れた場所です。
母八重桐が魚やご飯を捧げたのを真似て、金太郎が池で獲ったメダカを器に入れて生きたままで捧げたということです。
今でも子供の病気を回復を祈って、生きた魚を供える風習があります。

 さて駿河小山にあるもうひとつの公園「豊門公園」にも寄ってみましょう。
途中の落合商店街には、金太郎を模ったタイルが歩道に埋め込まれています。
落合商店街にから石段を登ったところに「熊野神社」があります。
そこからさらに坂を登った丘の上に「豊門公園」はあります。
何気なく寄った公園ですが、敷地内には6箇所の登録有形文化財が集まっています。
噴水の先にある西洋館は、正面に塔を配しモダンな建物です。
西洋館に向かって右手には日本的雰囲気の和館があり、隣の洋館とつながっています。
これは「豊門会館」として利用されており、1910年ごろに東京向島にあった建物を移築したものです。
まさかこの町で洋館に出会うとは、思ってもみませんでした。

 日本人の信仰の対象である富士山と、こちらも日本人の心に残る金太郎が以外にも近くであったことを知り、それらを巡る旅でした。

     
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