にっぽんの旅 東海 静岡 富士宮

[旅の日記]

富士宮と富士山信仰 

 本日は富士宮にやってきています。
富士駅から甲府に向けて走るJR身延線に乗り、20分弱でやってきます。
富士山の登山口のひとつでもある富士宮、そんな富士山信仰の地を訪れてみます。

 富士山を身近に見られる町でもある富士宮は、町の後方に優美な富士山を臨むことができます。
ところが今は梅雨の真っ最中で心配していた雨でしたが、かろうじて今日だけは雨が上がるといった幸運にも助けられたのです。
駅前では、ビルの合間から山頂が平らでなだらかな裾野をもつ富士山のシルエットを見ることができます。
では早速、富士山信仰の原点となる「富士山本宮浅間大社」に向かってみます。

 町を歩いていると、朱色の大きな鳥居が目の前に現れます。
ここが「富士山本宮浅間大社」の参道です。
富士氏が大宮司を務める神社で、富士宮は門前町として古くから栄えてきました。
第7代孝霊天皇の時代に、富士山は大噴火をします。
周辺の住民は離散して社会は混乱し、長期にわたって荒れ果てた状態が続きました。
それを鎮めたのが第11代垂仁天皇で、山足の地に浅間大神を祀り山霊を鎮めたことが、「富士山本宮浅間大社」の起源です。
その後は噴火が静まり、浅間大社は富士山の噴火を鎮めた神として人々から崇敬を集めることになります。
806年には平城天皇の勅命を奉じた坂上田村麿が大宮の地に社殿を造営し、山宮から遷座したのが現在の「富士山本宮浅間大社」です。
富士山信仰で広まった浅間神社は全国に1300余を数え、この地にある「富士山本宮浅間大社」はそれらの総本宮に当たります。

 「富士山本宮浅間大社」に参拝した後は、この近くに「長屋門」があるということを聞いたので立ち寄ってみます。
向かう途中に「富士山本宮浅間大社」の湧玉池から湧き出る水が勢いよく流れる川を渡ります。
富士山の豊富な地下水がなせる業でしょう。

 「富士山本宮浅間大社」の東側、通りから1筋入ったところに「長屋門」はあります。
江戸幕府の側用心であった本郷泰固が、1857年に川成島天王社前(現在の新富士駅)に陣屋を築きます。
その時に構えた長屋門が、この門です。
明治に入ると屋敷は和田家に引き継がれ、昭和に入ってからは屋敷の大部分は取り壊されますが、長屋門は和田家の親戚の遠藤家に渡ります。
「長屋門」はこの地で営まれていた料亭「高しま家」の門として、使われてきました。
今では富士宮市が所有し、復元し公開しています。

 それでは「富士山本宮浅間大社」の南、お宮横丁のさらに南側にある「世界遺産センター」を訪れます。
建物の前には、水を張った池に浮かぶ美しい形のモニュメントが目を引きます。
逆三角形のモニュメントが水に反射し、富士山の形のように見えます。
中に入り建物の周囲にあるらせん状の通路を上っていくと、壁のスクリーンに富士山の自然が投影されます。
登るにしたがって、周りの風景も山頂の様子に変わっていきます。
まるで実際に富士登山をしているかのような、疑似体験をすることができるのです。
最上階まで上がると外からの陽が入ってくる開放的な空間が開けます。
本当の富士山の姿が、目の前に現れます。
本日は山の中腹に薄い雲がかかっているものの、山頂はくっきり見ることができます。

 さて富士宮に来たのですから、是非とも食べたいものがあります。
B級グルメのグランプリに2年連続で輝いた「富士宮やきそば」です。
市内には「富士宮やきそば学会」も立ち上げられ、認定店の前には専用ののぼりがあがっています。
ところがお目当ての店は、定休日でもないのに開店時間になっても何故かのれんがあがっていません。
仕方なく他の店を探すのですが富士宮の夜は早く、19時前というのに商店街はシャッターを下ろした店ばかりです。
そんな中灯りが付いている店をやっと見つけて入ります。
「富士宮やきそば」とは、指定の蒸し麺を使い、肉かす(油かす)を混ぜて焼きそばを作ります。
そして上げにサバやイワシの削り粉をふりかけて、できあがりです。
削り粉が香ばしく魚の味が染みているところが、普通のやきそばとは決定的に違うところでしょう。

 食後はホテルでゆっくり休みます。 そして翌朝も起きるとすぐに気になるのは、やはり富士山です。
2日目は薄曇りの怪しい天気でしたが、JR身延線の社内からもくっきりと富士山を見ることができたのでした。

   
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