にっぽんの旅 東海 三重 鳥羽

[旅の日記]

真珠だけではない鳥羽 

 本日は、三重県の鳥羽を訪れます。
昔から、廻船交通の船の「風待ち港」として栄えてきました。
近鉄電車で伊勢、鳥羽、志摩と順に南に名所が続くのですが、鳥羽はそのちょうど中央に位置します。
真珠が有名な鳥羽ですが、決して真珠だけではありません。
そんな鳥羽の街を歩いてみましょう。

 とは言っても、やはり鳥羽駅に来れば最初に訪れるのは、真珠で有名な「ミキモト真珠島」です。
ミキモト真珠とは、うどん屋の息子 御木本幸吉が、真珠養殖に成功したことに始まります。
志摩の名産であった真珠に魅せられた幸吉は、試行錯誤を繰り返しながらついにはその養殖に世界で初めて成功します。
真珠島では真珠博物館があり、真珠ができるまでの説明と、さまざまな色の真珠、そして真珠の質の違いを実演交じりで見ることができます。
もちろん真珠の販売もしっかりしています。

 レストランでビールを飲んで休憩していると、海女さんの実演が始まるとの放送が流れてきます。
これは観ない訳はありません。
大急ぎで外に出て、海の見える屋外席で海女さんの実演を見学します。
今回の海女さんは美人で、彼女に眼は釘付けです。
サザエを持って水面に現れると、拍手喝さいの大喜びです。
時折鳥羽湾からいるか島に出かけていく船を眺めながら、お日様のもと酔いをさましていたのでした。

 鳥羽にはもう一つの名所である鳥羽水族館もあります。
こちらにはジュゴンやラッコをはじめとする愛くるしい動物や魚が勢ぞろいといったところです。
まずは、鳥羽の二大施設を廻ったのでした。

 それではここで、陸側に入ったところにある「城山公園」を訪れます。
もと「鳥羽城」のあったことろが公園に整備され、小高い丘の城跡からは鳥羽の海が一望できます。
近鉄電車の線路の脇にある「三の丸広場」から見ると、「鳥羽城址」に今も残る石垣を見ることができます。
「鳥羽城」は、中世には橘氏の居館があった跡地に豊臣秀吉の家臣であった九鬼嘉隆が、1594年に築城した城です。
その後は内藤家、天領家、土井家などと目まぐるしく城主が代わり、稲垣家の時に1854年の地震によって天守などの建物が倒壊してしまいます。

 本丸のあった場所は市立鳥羽小学校が造られ、武家屋敷跡には市役所や幼稚園に利用されています。
それでは「旧鳥羽小学校」にも訪れてみましょう。
近鉄の「中の郷駅」からの上り坂を上っていくと、鉄筋コンクリートの校舎が姿を現します。
御木本幸吉氏の出資で1929年に建てられた3階建ての校舎で、三重県最初の鉄筋コンクリートの校舎です。
廃校になってしまいましたが今でもその風格は変わらず、中の郷の街からは高台の小学校がいつでも見える位置にあるのです。

 さてここで、食事を取ることにしましょう。
伊勢鳥羽の名物で、「てこね寿司」があります。
カツオやマグロなどの赤身の魚を醤油で漬け込んだ刺身を酢飯に敷き詰めた料理です。
これに大葉や海苔を添えて食べます。
この地方の漁師飯で、かつお漁が忙しい時期に手軽に作れる食事として広まりました。
魚を酢飯に手でこねて(混ぜ合わせて)作ることから、「てこね寿司」の名が付いたと言われています。

 さて、さらに鳥羽駅から離れた方向に歩いて行きます。
「大庄屋かどや」は、旧広野家の住宅跡です。
鳥羽唯一の財産家で、初代広野藤右衛門の名を代々の当主が受け継いできました。
庄屋の中でも「大」が付くほどの別格で、鳥羽城には藤右衛門専用の間があったとも伝えられています。

 ここからは折り返すように「常安寺」に向かって歩き出します。
町の家々を見ていると、正月でもないのにしめ縄が飾られています。
伊勢の街で見かけるものと同じで、「笑門」と書かれたしめ縄を1年中玄関に掲げて無病息災を願っています。

 歩いていると通りの一角の小さな土地に、石が積まれ石碑が建っている場所があります。
ここは「ミキモト真珠」を興した御木本幸吉の生誕の地なのです。
1858年1月25日に、この地で生まれました。
生家は「阿波幸」という大評判のうどん屋でした。
幸吉も13歳になると、朝は野菜の行商、昼と夜はうどん屋の手伝いをして過ごしていたのです。

 ここで路地に入り進んでいくと、赤い看板の「江戸川乱歩館」があります。
入口の横には、江戸川乱歩の話に登場する黒猫がこちらを睨んでいます。
ここは、竹下夢二の弟子で挿絵画家の岩田準一の生家です。
準一は同じ鳥羽造船所に勤めて近くに下宿をしていた江戸川乱歩とは馬が合いました。
館内には乱歩の作品が、数多く展示されています。
展示室は乱歩の推理作品にちなんで、怪奇に満ちた異様な雰囲気が漂っています。

 「江戸川乱歩館」の先には、「常安寺」という曹洞宗の寺院があります。
鳥羽藩主であった九鬼家の菩提寺で、水軍を率いた九鬼嘉隆の子 九鬼守隆が父 嘉隆を祀っています。
そのせいもあってか、鳥羽には曹洞宗の寺が多く存在しています。

 それではここからは、鳥羽駅を目指して戻ります。
駅の近くには「門野幾野進記念館」があり、幾野進の生涯や彼の貯蔵品が展示されています。
鳥羽藩の家老 門野豊右衛門の長男として、1856年に鳥羽で生まれます。
その後は慶應義塾に進み、板垣退助の勧めもあって教員の道を進みます。
1893年には自由党から立候補し、貴族院議員として政界に進出します。
そしてその名を有名にしたのは、1904年に阿部泰蔵とともに設立した「千代田生命保険」です。
そんな功績を、「門野幾野進記念館」では紹介しています。

 そのすぐそばには、「伊良子清白の家」があります。
広場に建つ1軒家で、明治から昭和初期まで活躍した詩人 伊良子清白が鳥羽で暮らした20年余りの住居です。
医師であった清白はここで診察室を構え、海に面した部屋は当時の机やベッドが残されています。
医者で生計を立てながら作家活動を行っていた清白の唯一の著書は、1906年に刊行した詩集「孔雀船」です。

 そして今回の宿は、鳥羽の海が見渡せる高台のホテルです。
大理石で作られた天井の高いホールとそこから見えるプールは、格安の宿泊プランとは思えないほど豪華なものです。
夕食はこれまた豪華な伊勢海老です。
鳥羽で採れた新鮮な魚を食べて、翌日に備えたのでした。

 最終日は、船で鳥羽湾を巡ります。
湾内の真珠養殖の筏を見ながら、湾内を1周します。
そして対岸にそびえる「イルカ島」に上陸します。
「イルカ島」ではアシカやイルカのショーが繰り広げられ、リフトで山に上ると伊勢湾を一望することができます。
巨大水族園を有するアミューズメントパークのような場所だったのです。

 真珠が有名な鳥羽ですが、歴史のある鳥羽を巡ってきました。
今回は実現しませんでしたが、次回来るときは海女小屋で採れたままの海産物を炙って食べるような素朴な海女料理も味わってみたいものです。

 
   
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