[旅の日記]
志摩のスペイン村から賢島 
7月末の今、海水浴へ行こう! ということで、今回は三重県の志摩へ泳ぎに行くことにしました。
今回の旅行は電車での旅。
志摩スペイン村から賢島のコースです。
快適で比較的安価な近鉄特急で賢島駅に着いたのは、ちょうど昼でした。
ここから向かったのは、「志摩スペイン村」です。
東京のディズニーランドを意識した、レジャー拠点です。
平日ということもあって、乗り物には待つことなく乗ることができたのはラッキーでした。
1日パスポート券を買っても、有効に使うことができたのでした。
やはり観光地には季節外れか、平日に行くべきですよね。
お勧めは奥の方にあるのですが、小舟の乗り物です。
観光船気分で何気なく乗ったのですが、一旦動き出せば暗い建物に入っていき、半分おばけやしきなのです。
予期せぬ出来事で一緒に乗っていた子供はパニック状態です。
子供には大変だったそうですが、大人には愉快なのりもので是非乗ってほしいひとつです。

1日中遊びほうけて、今夜の宿は賢島です。
夕食は大皿の中央に鯛が踊っています。
そう、新鮮な鯛の活け造りです。
コリコリしていて甘みがあって、しかも食べきれないほどの量を目の前にして、最高の贅沢です
鯛の他にもサザエやアワビを思う存分食べて、満足して床についたのでした。
翌日は、今回の旅の目的である海水浴に出かけます。
近所には海水浴場がなく、タクシーを飛ばして行かなければなりませんでした。
簡単な更衣室付きの浜は、シーズン前の静けさなのか込むこともなく思う存分泳ぐことができました。
たがまだ8月にもなっていないのに、このときは波が高かったせいかクラゲが多くで手足を刺されまくりです。
クラゲはいたのですが、しばらくは機嫌良く泳いでいました。
いい加減に満足して最後に海に入ったときのことです。
両手に子供達を引き連れ海に入ったのはいいのですが運悪く高波が来て、一瞬私の身体は宙に浮いたのでした。
一回転して立ち上がったときには眼鏡は外れ、沈もうとする眼鏡をあわてて追いかけたのです。
ふと気がつくと子供も腕から離れており、それはもう大変な数秒間でした。
遭難することもなく身体は無事だったのですが、我が家の子供はそれ以降海に入るのを嫌がるようになってしまったのでした。
そしてこの日は、レンタカーを借りて移動します。
志摩といえば是非寄りたいのが、高台からの島々の景色です。
向かったのは「横山展望台」です。
展望台の横にある駐車場に車を停めたかったのですが、「横山ビジターセンター」から先は車が順番待ちをしています。
そこでこの先は歩いて展望台を目指します。
といっても急な上りの石段で、焼けるような日差しが身体の水分を奪っていきます。
20分近く歩いたでしょうか。
その苦労の甲斐あって、そこには素晴らしい景色が待っています。
展望のためのテラスがあり、その先には海に浮かぶ志摩の島々の奇怪な形状が広がっています。
60もの小島と幾重にも折り重なる素晴らしい風景です。
ゆっくりと下界を眺めるていると、ほのかに吹く風を感じて気持ちの良いものです。
そこからもと来た階段を降り、「横山ビジターセンター」に寄ります。
館内の壁面は木がむき出しで、温かみのあり安らげる場所です。
ここでは伊勢志摩国立公園内の自然について、展示と紹介がされています。
さて車は次の目的地に進みます。
鳥羽方向に少し進んだところに「伊雑宮(いざわのみや)」があります。
ここは伊勢神宮の内宮(皇大神宮)別宮で、14社ある別宮のうちここだけが「伊雑宮」だけが伊勢国外にあります。
訪れた時は観光客もなく、田んぼの真ん中にひっそりと、それていて堂々と佇んでいます。
鳥居をくぐり境内に入ると、さらに木々の間を進みます。
本殿はその先にあります。
804年の創建で、天照大神御魂が祀られています。
伊勢神宮と同様に20年に一度、社殿を新しく立て直す式年遷宮が行われます。
そのための敷地が本殿の横に、今の本殿と同じ大きさの土地が確保されています。
鳥居の外に出ると、田んぼが広がっています。
その中でも鳥居が掲げられている田があります。
御料田で、6月24日には御田植祭が行われます。
大阪の住吉大社や千葉の香取神社と並ぶ日本三大御田植祭に数えられています。
「伊雑宮」の周囲には、神宮に関連した施設が点在しています。
鳥居の向かいには「神武参剣道場」があります。
そしてその隣りには、鰻料理店の「中六」もあります。
1929年に建てられた木造2階建入母屋造の建物で、当時は旅館として参拝客をもてなしていました。
道の向かい側には「御師の家森新」
御師とは参拝客の案内や宿泊の世話などを行っていた人で、森氏の家が再現され資料を展示していました。
しかし訪れた時には館主の森氏が亡くなり、休館となってしまった後でした。
村の奥に進むと、倭姫命(やまとひめのみこと)の旧跡地があります。
倭姫命とは、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)に命ぜられて伊雑宮を造営した人物です。
日本神話の世界です。
大正時代に大楠の根元から天井石が現れ、その下から鏡や勾玉が出てきたことから、倭姫命の遺跡だと考えられています。
近くには「風呂屋の谷」と呼ばれる参拝の前に身を清めたとされる水の湧き出している池のようなものも残っています。
さほど期待をして来なかった「伊雑宮」ですが、大きな発見がここにはありました。
旅の写真館(1)
(2)
(3)