にっぽんの旅 東海 三重 関宿

[旅の日記]

東海道の関宿 

 名阪国道の東の端に当たる関ですが、いつも通りすぎていたこの街を今日は散策してみます。
東海道五十三次は有名ですが、JRの東海道線が東海道(国道1号線)とばかり思っていたのが、誤解とわかったのが一昨日のことだったのです。
実は名古屋から草津の間は国道8号線で、東海道は鈴鹿峠を越えていたのです。
そう言われれば、桑名なども話の中に出てきたような。
ということで、それなら早速確かめてみようと、今回は四日市までの用事の途中に関に寄ることにしました。

 関宿は東海道47番目の宿場で栄えたところです。
江戸時代後期から明治時代にかけて建てられた町屋が200棟以上も現存し、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
私自身も今日まで知らなかったように観光でごったがえすこともなく、車で訪れても午前中ならば駐車場には余裕で入ることができます。
まずは街をのんびりと散策してみます。

 最初に訪れたのは、関宿の中央に位置する「地蔵院」です。
ここは741年に行基によって建立され、境内の本堂・鐘楼・愛染堂の三棟が国の重要文化財に指定されています。
特に赤と黒で塗られた鐘楼は、他とは違った雰囲気を持っています。
本尊地蔵菩薩座像は、わが国最古の地蔵菩薩とも言われています。

 さて東追分の方に、東海道を東に歩いて行くと、右手に「伊藤本陣跡」が目に入ります。
関宿には川北とここ伊藤の2つの本陣があり、参勤交代の大名や公家が利用していた格式の高い宿だったところです。
隣は電気屋となっていますが、これまた町屋の造りと木の看板で、本陣のつづきと間違えるほどです。

 そして「伊藤本陣跡」の道向かいの「川北本陣跡」ですが、その先には「旧鶴屋脇本陣」があります。
こちらの脇本陣は、2つの本陣の補助的役割を果たした旅籠です。
ここの他にも玉屋、会津屋といった旅籠があります。

 その先の「眺関亭」は無料の休憩所で、江戸から106里に当たるこの場所は、百六里庭と呼ばれています。
屋上からは東海道の街並みを見下ろすことができ、この辺の建物すべてが、昔の町屋に溶け込んだデザインになっています。
郵便局も銀行はもとより、スーパーや床屋でさえも、中を覗き込まなければわからないくらいです。

 さらに歩いて行くと、左手に御馳走場と呼ばれる三叉路の角が少し開けた場所があります。
関宿に出入りする大名行列の一行を宿役人が出迎えた所です。
そしてその向かいには、開雲楼と松鶴楼という芸妓置店があります。
宿場の多くの旅籠では飯盛女と呼ばれる遊女を置いていました。
松鶴楼は今では魚屋さんになっていました。
そして、御馳走場から道を曲がり北の方に1〜2分歩いたところには、関神社があります。

 さて家々を眺めていて、おかしなことに気が付きます。
正月でもないのに玄関に「笑角」の札の付いたしめ縄が飾られているのです。
ここでは平時でもしめ縄を飾る習慣があるようです。

 今回是非お伝えしたいことが、一つあります。
「地蔵院」の向かいにある何気ない食道ですが、ここのおこわは絶品です。
確かに店頭にはおこわの看板が立っていますが、それは関宿のことですから目立たぬように立てている看板です。
ぶらっと入りはしたものの、ねばりがあって味のよく付いたおこわは、観光地の食事とは思えないようなおいしいものでした。
そしておこわとともに付いてきたそばも、おまけのように味噌汁のお椀に入ってきて来たのですが、手打ちの麺らしくそば本来の味がするこれまたお勧めの一品でした。

   

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