にっぽんの旅 東海 三重 伊賀上野

[旅の日記]

伊賀上野 

 本日の舞台は伊賀上野、忍者の里を訪ねてみました。
忍者の町、そして松尾芭蕉の生誕地としても有名なこの町です。

 最初に訪れたのは伊賀流忍者博物館、通称忍者屋敷です。
入り口で10分程度待たされて、屋敷の1室の畳の間に座らされました。
ここで忍者姿のくのいちの説明が始まります。
実はこの建物自体が忍者屋敷になっていて、実際に壁に隠れたり扉をひっくり返したりの実演を行ってくれます。
別の建物には忍者の持ち物も展示されており、忍者を極めたい人にはお土産や忍者グッズも揃っています。

 次に訪れたのは、高くそびえる上野城です。
白鳳城とも呼ばれるように白い壁がきれいな城です。
1585年に筒井定次が平楽寺、薬師寺のあった場所に伊賀上野城を築きました。
しかし、1633年頃に倒壊したと推定されています。
その後は大坂の豊臣秀吉との決戦に備え、徳川家康は伊予の国の宇和島城主であった藤堂高虎を伊賀、伊勢、伊予の22万石を与えて国替えさせます。
1611年に本丸を拡張し、高さ30メートルの高石垣をめぐらします。
5層の天守閣は、完成を待たずして1612年の大暴風で倒壊しますが、10棟の櫓と巨大な渡櫓を備える東西の両大手門や御殿などが建設されました。
1615年の大坂夏の陣で豊臣方が敗れて、戦国の世は終わりを遂げます。
伊賀上野城は天守閣が再建されないまま伊賀国の城として認められ、城代家老が藩政をあずかることになりました。

 それでは城内を歩いて回ります。
城に入り急な木の階段を登って、天守閣の最上段まで行けます。
この天守閣は昭和のはじめに再建された純木造建築で、中は黒光りした木の造りが、壮大さのなかに安堵感を感じさせます。
そして藤堂藩ゆかりの武具が展示されているのです。

 上野城から程なく歩いたところに、変わった屋根の建物があります。
城の天守閣からは、周りの林の木々の間からひときわ目立った屋根が突き出ていたので気になっていたものでした。
ここは俳聖殿で、芭蕉の旅姿をイメージした建物ということで、芭蕉の笠とかっぱをかたどったものだそうです。
どうりで見慣れない形のはずです。

 さて暑い外とは違って、今度は冷房の聞いた近代的な建物「だんじり会館」を訪れることにします。
中には上野天神秋祭のだんじりが展示されており、祭りの様子が大型のスクリーンで映画として映し出されます。
他に上野の歴史や町並みを紹介した映像もあり、ここで上野のすべてを知ることができます。
また子供は忍者の衣装に着替えて記念撮影をすることもでき、多くのちびっこ忍者が走り回っていました。

 最後には、少し南に下ったところにある蓑虫庵を訪れます。
民家の中にあるひっそりとしたたたずまいは、芭蕉の門人伊賀連衆の高弟服部土芳の居宅です。
土芳が芭蕉の遺語を集めて「三草子」を執筆した場所として知られています。
土地自体は派手さのないこじんまりとしたものですが、入り口では親切に説明をしていただけ、蚊取り線香を渡されての庭園見学でした。

 上野の街は他にも行ってみたいところがあるのですが、これだけ回って1日が終わってしまいました。

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