にっぽんの旅 東海 岐阜 大垣

[旅の日記]

大垣 

 養老鉄道、三重県桑名駅から岐阜県揖斐までを走る60km足らずのローカル線です。
今日は養老鉄道に乗って、大垣の町に向かいます。

 大垣駅から乗込んだ電車は、昔の近鉄電車のエンジ色の車体です。
養老鉄道は2007年までは近鉄の養老線だったこともあって、今では見ることのできない近鉄電車が走っています。
田んぼの中を電車は突っ走ります。

 途中の養老駅では、奇妙な光景が眼に入ってきます。
養老の名産品である瓢箪が、駅舎の至る所に吊るされているのです。
滝の水が酒に変わったという「孝子伝説」にも登場する瓢箪です。

 さらに電車は先に進みます。
終点の大垣駅には、揖斐行きの電車が止まっています。
なんと、オレンジに白のラインが引かれたラビットカーが居るではありませんか。
本来は大垣で降りるところを、嬉しくなってラビットカーに乗って揖斐まで往復します。
スイッチバック方式の大垣駅は、桑名からの電車が来た方向に進みます。
やがて線路は別れ、大垣とは別方向に電車は進みます。
揖斐駅でUターンして、元来た大垣駅まで電車に乗るだけの往復でした。

 大垣駅では、街を散策します。
駅からほど近いところにある愛宕神社から、牛屋川は始まります。
神社には、恵比須大神と書かれた幟が、立っています。
大垣祭で市内を巡る2両の山倉が納められています。
この牛屋川に沿って、南へ歩いて行きます。

 やがて、平和橋の近くでは「掘抜井戸発祥の地」が眼に入ってきます。
1782年、渇水期の生活用水の確保のために水汲みをすることに不便を感じたこんにゃく屋文七が、川端に2メートル程の穴を掘り青竹を打込んで掘った井戸がこれです。
伊勢湾から40kmも内陸にあるものの、太古には海であったうえに、揖斐川・長良川などによる土砂の堆積によって作られた扇状地であったため、地下には水が豊富にあったのです。
これ以降、多くの家で自噴の井戸が掘られるようになり、いまでも町の至る所に自噴井戸を見ることができます。

 そんな井戸のひとつが、稲荷神社にもあります。
公園の中央から水が湧き出して、水の町大垣を感じることができます。

 稲荷神社から道路を隔てた反対側には、貴船神社があります。
戸田氏鉄が、京都の貴船神社から分社して祀ったのが始まりといわれています。
ここまでの牛屋川が、ここからは大垣城の堀となった水門川が城の周りをぐるりと取り囲むように走ります。
川に沿って西に歩いて行きます。

 保健センターの入り口に、石像が立っています。
大垣藩校 敬教堂跡です。
大垣藩では教育に熱心で、戸田家代々に教育尊童の姿勢が受け継がれていきました。
1838年に大垣藩士の岡田主鈴が開いていた私塾を、龍の口門外で公立化しました。
そして1840年には、大垣藩の学問所として開設されました。
学問所は、その後致道館、きらには敬教堂と改められ、講堂や寄宿舎を建て、英語や西洋医学等の洋学、武学、国語、蘭学などを教えるよう発展してきました。

 その先には、大垣八幡神社の鳥居が見えます。
その昔、大井荘(今の大垣市)は、奈良県は東大寺の荘園でした。
後醍醐天皇の御世、1334年に南都梨原宮(東大寺鎮守の八幡宮也)を手向山八幡宮より安八郡大井荘藤江村に勧誘したのが、この神社の始まりです。
境内には水汲み場もあり、湧き出る清水をペットボトルに納める人がいます。
さすが、水の町大垣ならではの風景です。

 水門側は大垣城を取り囲むようにここから南へ針路を変えます。
大垣市役所を越え俵橋を渡ったところに、皮が直角に曲がり川幅が広くなることろがあります。
「四季の広場」と呼ばれ、水が降り注ぐ滝のトンネルや、虹の橋などが設けられています。
たらい舟川下りの舟着場にもなっており、水と親しむことのできる広場となっています。

 さらに南側には、朱塗りの欄干を構えた橋の向こうに、木造の塔が見えます。
住吉灯台です。
ここが船町港の跡地で、江戸時代から明治にかけては、揖斐川を経て大垣城下と伊勢を結ぶ水門川の河港として栄えた所だったのです。

 さて、いよいよこの地を治めた大垣城に行くことにしましょう。
途中の郷土館は、あいにくの休館日です。
しかし木製で立派な旧戸田鋭之助邸正門を見るだけでも、本日訪れた価値があるのではないでしょうか。

 そして大垣城は大垣公園を越えた対面側にあります。
戊辰戦争の戦死者を祀った濃飛護國神社に参った後、大垣城に入っていきます。
石段を登ったところに、こじんまりとした大垣城の天守閣が建っています。
1535年に宮川吉左衛門安定が、牛屋村大尻に築城したものだと言われています。
1596年頃に、伊藤祐盛が天守が築き、1613年には石川忠親によって総堀が整備されました。
その後の1649年には、戸田氏鉄が3重櫓の本丸と並郭式に二ノ丸を並べ、またその周囲を三ノ丸で囲ったうえで、外周は惣構とした造りに仕上げて現在に至っています。
1600年の関ヶ原の戦いのときには、石田三成が西軍の本拠として入城したことでも知られています。

 最後に大垣公園の北側に鎮座し、かつては大垣城城内の神社であった常葉神社に参り、大垣での本日の散策は終了です。
駅に戻ると樽見鉄道の車両が、ホームの片隅でひっそりと停車していました。
水の豊かな大垣の町を、楽しみながら回ることができたのではないでしょうか。

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