にっぽんの旅 東海 岐阜 郡上八幡

[旅の日記]

名水湧き出る郡上八幡 

 豊かな水で知られる郡上八幡を、本日は旅してみます。
美濃太田から長良川鉄道で北に1時間のところにあります。
木曽山脈に向かって山の奥に進みます。

 JR高山本線の美濃太田駅に並ぶ長良川鉄道の美濃太田駅は無人駅で、ホームにはポツリと自動券売機が置かれています。
郡上八幡駅までの切符を買いこみ、ふと横に貼られているポスターを見た時、目を疑う文字が飛び込んできました。
そこに掲載されていた1日乗車券は、郡上八幡駅までの往復の料金で長良川鉄道が乗り降り自由でしかもお土産券や食事券、それに「郡上八幡城」や「郡上八幡博覧館」をはじめとするいくつかの施設の入場券が付いてくるものです。
しかしこれが欲しくても、駅には誰もおらず困ったものです。
やがてやって来た1両編成の列車の運転手に聞くと、途中駅で駅員が乗ってくるので差額を払ってくれとのこと。
とりあえずは運転手に1日券の予約を入れたのでした。
他にもそれぞれが同時にしゃべる小学生の4人グループ、それにインターネットで予約をしたと言い張る高齢のおばあちゃんが運転手に問い合わせていたために、折り返しの列車は2分遅れでの発車です。

 運転手1人のワンマンカーの列車は、遅れを取り戻そうとしているのか車体をきしませて大きく上下に揺れながら走ります。
朝が早かったので眠りにつきたいところですが、駅員が乗ってくるのがいつなのかも判らず起きて待っています。
刃物で有名な途中の関駅で、運転手が交代します。
新たな運転手とともに駅員も乗ってきます。
1日乗車券もここで買うことができました。
販売が終わると駅員は電車を後にし、再び列車は走り出します。
確かに乗務員ではなく駅員と言ったのは、このことだったのです。
列車は長良川に沿って、上流に向かって走って行きます。

 郡上八幡駅は、昔のままの駅舎を残す駅です。
駅舎の一角には「ふるさと鉄道館」があり、当時の時刻表や切符、制帽、列車の先頭に付ける行き先板などが展示されています。
ここから郡上八幡の町までは歩いて行くこともできますが、わずか100円で乗れる「まめバス」が走っていますので、それに乗って出かけます。
生活の足である「まめバス」は市内の要所を巡りながら、町の中心である「城下町プラザ」に到着します。
ここが観光の中心地です。

 まずは「郡上八幡城」に向かいます。
城までは車と同じ上り道を歩いて行きます。
公共の乗り物では、先ほどの「城下町プラザ」までしかありませんので、ここから足で山頂まで登って行く必要があります。
途中には、「安養寺」や「善光寺」がありますので、寄り道をしながら登って行くことができます。
「安養寺」は、間口、奥行きともに16間という壮大な本堂で、岐阜県では最大の木造建築物です。
有料ですが、宝物殿も開放されています。
一方の「善光寺」は、八幡城御蔵会所跡です。
また敷地内では民宿も併設しているため、泊まることもできます。
他にも寺院が見えますが、こちらは帰りに寄ることにします。

 「山内一豊と妻の像」が見えますが、さらに先を進みます。
ここからは左右に蛇行した道になります。
歩行者用には近道の階段も設置されていますが、歩く距離は少ないもののかなりきついものです。

 歩き始めて15分くらい経ったところに、「郡上八幡城」があります。
1559年に遠藤盛数が砦を築き、稲葉貞通、遠藤慶隆に続く6代城主の遠藤常友が改修を進めた結果、幕府から城郭として認められるようになります。
その後も城主が入れ替わり、丹後国宮津藩から転封した青山幸道が城に入ってきます。
殿町に居館を築き、旧二の丸を本丸、旧本丸は桜の丸・松の丸に改めます。
「郡上八幡城」は、土佐藩藩主 山内一豊の妻である見性院(千代)の生まれた城で、見性院は内助の功で知られています。
明治に入ってからの廃藩置県で「郡上八幡城」は取り壊されますが、1933年に再建された木造4層5階建の天守閣は、木造再建城のなかでは日本最古のものです。

 来た道を再び通り、町の方へ下って行きます。
登るときに通り過ぎた「岸剣神社」「悟竹院」を訪れます。
江戸時代にひどい干ばつに見舞われたこの村を救うために、吉田川支流の気良川の河原の岩で宝剣を洗って雨乞いを行います。
その結果、雨は降るのですがやがて豪雨になり、岩の上の宝剣は大水で流されてしまいます。
数日後、住民が「吉田川」の岩に引っかかっている宝剣を見付け、これを知った時の城主 遠藤慶隆がこの宝剣を祀るために創建したのが「岸剣神社」と言われています。
「岸剣神社」の隣には、「秋葉三尺坊悟竹院」もあります。

 「城下町プラザ」まで戻ってきました。
これからは少し北にある「郡上八幡博覧館」に行きます。
大正時代に建てられた旧税務署で使っていた建物を利用し、郡上八幡の歴史や水文化を展示しています。
「福よせ雛」は、城下町で繰り広げられる日常生活の模様を多くの雛人形で表現しています。
また郡上八幡は、食品サンプルの町でも有名です。
食堂や喫茶店の前に並べられている食品模型は、この町の至る所で作られています。

 「郡上八幡博覧館」から1筋西に向かったところに、古い町並みが残る筋があります。
通りの端には「長敬寺」があります。
八幡城主 遠藤慶隆の菩提寺でもあり、明治維新の時に会津藩の白虎隊に加勢し新政府軍と戦うために組織された郡上藩士45名から成る凌霜隊が捉えられていたところでのあります。

 寺から先には、職人町、鍛治屋町、本町と古い町並みが続きます。
軒下には、火事の際に消化のために使うバケツが吊り下げられています。
そして通りには、酒屋や菓子屋が並んでいます。

   
   

 菓子屋の横から延びる「宗祇水」の提灯が架かる狭い通りを進みます。
その先に「宗祇水」はあります。
郡上には豊かな湧水を利用した水汲み場が点在しており、あらゆる用途に使われてきました。
「宗祇水」もそのひとつで、複数の槽からなります。
一番上流の槽は飲料用に使われ、下流に行くにつれて食物の洗い、食器洗いという風に並び、食器に付いた食べかすは川に流れて魚の餌になります。
「宗祇水」の排水も横を流れる「小駄良川」の川辺に下りてみます。
澄んだ川の水が白波を立てて流れており、数十m先には「吉田川」に合流し、最後には「長良川」に流れています。

 それでは「吉田川」に架かる「宮ヶ瀬橋」を越えて、対岸の新町の通りに抜けてみます。
この辺りも古い建物が並んだところで、そのうちのひとつ「おもだか家民芸館」に立ち寄ります。
民家の奥にある蔵が民芸館になっており、鮎の画家である水野柳人が集めたこの地方の民芸品が展示されています。
長良川鉄道の1日乗車券のおかげで、入ることができます。

 「おもだか家民芸館」の横は、「やなか水のこみち」と呼ばれる水路に面した小路が通っています。
小京都を思わせる風景のある一角です。

 これまた1日券でもらえる菓子があるので、「とちの実煎餅」の店を探します。
「やなか水のこみち」の先にその店はあり、この町並みに合う煎餅屋さんらしい店構えです。
薄く焼けれたパリッとした食感の煎餅を頬張って次なる目的に進みます。

 橋本町の通りから、再び新町通りに出て左京町に進みます。
こう書くと方々を歩き回っているかのように思えますが、郡上の町は1筋ごとに町名が付いているようなもので、1分も歩けば次の町に出ます。
ここには真っ白い洋風の建物「郡上八幡樂藝館」があり、明治時代の旧病院を再現しています。
またつづきの足軽屋敷は「町方民俗資料館」となっています。
「郡上八幡樂藝館」の横には「吉田川」に注ぐ「乙姫川」が流れており、今にも咲きそうな膨らんだつぼみをもつ桜が川沿いに植えてあります。
川辺は苔むして、趣のある風景を放っています。

 そして「郡上八幡樂藝館」から道路を挟んだ対面に、目的の「郡上八幡旧庁舎記念館」があります。
2階建ての洋館で、郡上八幡町役場だったところです。
1日乗車券でお土産とおしるこがもらえることもあったのですが、ここにある食堂で昼食を取りたかったのです。
注文したのは岐阜の郷土料理である「鶏ちゃん」です。
「鶏ちゃん」とは、鶏肉を野菜で炒めてニンニクと味噌で味付けをしたものです。
シンプルながら美味しい家庭料理なのです。
また食堂の脇では、土産物や地方の特産品の展示販売が行われています。
お土産にはおしるこセットと郡上味噌で焼いたおかきを頂いたのでした。

 この「郡上八幡旧庁舎記念館」の奥にも「いがわこみち」と呼ばれる水路があります。
こちらは家の合間に流れる水路で道からは見えにくいところなので、観光で訪れる人はいません。
静かな水路には鯉が悠然と泳いでいるのが、印象的です。

 春の陽気に名水が流れる美しい郡上八幡を満喫したのでした。
郡上の町は見所満載、特に1日乗車券での街巡りはお得感いっぱいの旅だったのでした。

     
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