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[旅の日記]

明知鉄道で行く明智・串原 

 恵那から延びる明知鉄道、このローカル線に乗って明智、そしてその先の串原を訪れます。
まずは恵那から50分の列車の旅を楽しみます。
明知鉄道は1両編成の列車が走っています。
JR中央線に沿って恵那駅を出た列車は、東向きから大回りで南に方向を変えます。
ここから先は田んぼの中を走り、やがて山に向かって木々の間を走り出します。
ずっと続く上り勾配を、力強く列車は走ります。

 明智駅は、明知鉄道の終点の駅です。
明智に町を巡りたいところですが、ここからさらに地域のバスに乗ります。
この時間に乗らなければ、適当な時間に帰りのバスに乗れないのです。
串原温泉の「ささゆりの湯」まで、バスで山道を20〜30分かけて走ります。
ここにいったい何があるのかということですが、岐阜が誇る「へぼ料理」が食べられるのです。
「へぼ」というのはこの地方の郷土料理で、クロスズメバチの幼虫のことです。
地中に作る巣を掘り起こして、中にいる蜂の幼虫を集めたものです。
タンパク質が豊富に含まれており、海から遠いこの地域では魚に代わる貴重なタンパク源として古くから親しまれてきました。
そしてメニューにあるのは「へぼ釜飯」です。
炊きあがるまで時間がかかるので、併設している温泉に浸かりながら待つことにします。

 温泉は手ごろな料金の割には、広い浴槽でサウナや露天風呂もあります。
予定外の入浴のためタオルを持ち合わせておらず、購入し風呂に入ります。
春先とはいえ朝方は氷点下まで気温が下がるこの地方ですから、露天風呂へは震えながら向かい浴槽に飛び込みます。
しかし周りの山々を見ながらの風呂は、贅沢そのものです。

 さてお待ちかねの「へぼ」ですが、黒や茶色、白の虫の形をしたものが、釜の中のご飯の上に並んでいます。
縞々の節があるものもありますが、あえて見ないふりをします。
恐る恐るこれらに箸をつけてみます。
すると虫の味を全く感じさせないのです。
時々殻が硬くてサクサクするものも入っていますが、それ以外は舌の上でとろっと融けるような食べやすいものです。
意外といけるものだと、初めての「へぼ」を体験したのでした。

 食後は、1段低いところでキャンピングカーが集まりキャンプをしている様子を眺めながら、帰りのバスが来るのを待ちます。
そうしてまた時間をかけて、明智駅まで帰ったのでした。

 さてこれからは、本格的に明智の町を巡ります。
ここには「日本大正村」なるものがあって、大正時代の街並みを残しています。
明治村や昭和村といった同じような名前の村がありますが、これらの造られたテーマパークとは違い、この「日本大正村」は実存する家屋全体が町を模っています。
ですから村の周りに壁などありません。
当然のことながら、「日本大正村」には誰でも入ることができますし、ここで普通に生活が行われています。
ただ4軒の建物だけは、入場するために料金が必要とするのです。
しかし共通券を購入すれば、普通の観光地の1軒分の料金ですべてを廻ることができるのです。

 村のシンボルに建てられた「大正浪漫亭」だけは、造られた感満載の建物です。
正面に広い駐車場を有し、巨大な綺麗な建物です。
観光案内所も同じ場所にあります。
駐車場も作らなければならないし、造り物でもこれだけは仕方ないかなってところです。

 そこから東に向かって、緩やかな坂道を進んでいきます。
石畳で情緒のあるこの通りは、「大正路地」と呼ばれるところです。
路地の両側には、木の壁と土蔵が迫っています。

 石畳の途中で南北街道に交叉します。
左手の南北街道沿いには「大正の歯科医院」があります。
タイル張りの医院で、小さいながらも上品な造りの建物です。

 その周りには古い木造の建物が並んでいます。
またこの先には、長い石段が続く「八王子神社」もあります。

 再び「大正路地」に戻り、さらに進んでいきましょう。
通りの右手には「大正村展示場」があります。
日本で初めての町営水力発電所に対して管理をしていた場所です。
コンクリートの壁は、当時としてはモダンな建物だったようです。
訪れたときには建物の中では「大正時計店」が営業しており、どんな時計でも修理してもらえるという腕利きの時計店ということです。
店の中には、年代物の掛け時計が多数展示されています。
これを見て回るだけでも、楽しいものです。

 また路地の左には、木の壁に薄青いペイントがされた「大正村役場」があります。
2階建ての木造洋館の建物で、扉を入った1階の廊下には職員の出勤状況を告げるためでしょうか、名前の入った木札がずらりと吊るされています。
廊下の壁一面が、この札で埋め尽くされているのです。

 その先には「絵画館」があります。
1877年に建てられた小学校で、その後は警察、商工会議所、集会所と使い続けてきました。
そして今は、絵画や書物が展示されています。

 「絵画館」からは少し坂を上ったところに「代官所陣屋跡」、そして「大正ロマン館」があります。
「大正ロマン館」は、真っ白で大きな建物です。
高台の上にあるこの建物には、大正時代の西洋の家具や調度品などが展示されています。
初代館長は高峰三枝子、2代目が司葉子、そして現在は3代目の竹下景子といった有名どころの面々が揃っています。

 「大正ロマン館」の先には、「旧三宅家」があります。
突然現れた藁葺きの日本家屋で、「日本大正村」なの?と思ってしまいます。
囲炉裏に薪がくべられ、日本の原風景がここでは繰り広げられています。

 それでは先ほど「大正の歯科医院」があった南北街道まで戻り、この通りを南に向かって歩いてみましょう。
煉瓦造りの「十六銀行」を通り過ぎ、「通信資料館」に入ります。
1875年の開局で、この地域の郵便業務を担っていました。
入口を入ると、郵便局の窓口が出迎えてくれます。
電信・電話業務も兼ねていたというだけあって、局内に足を踏み入れるとそこには郵便だけでなく通信機器も数多く展示されています。
人手でプラグを抜き差しする電話交換機や、歴代のポストや電話機が所狭しと並んでいます。
黒電話はもとより、プッシュホンすらもここでしかお目にかかれなくなってしまっていることに、改めて気付かされるのです。

 そして道の反対側には「大正村資料館」が建っています。
門を潜って、建物の中に入っていきましょう。
中には古い蓄音機やレコードが並んでいます。
なぜか張子の虎をはじめとする、各地の人形も飾られています。

 次に向かったのは、「大正時代館」です。
扉を入るとコーヒーの良い匂いが漂っています。
大正末期から昭和初期にかけて多くの文化人を常連として訪れたそうです。
中が喫茶店なので驚いたのですが、店の人が奥の資料館に案内してくれます。
大正天皇に関する展示物などが並んでいます。

 さて明智駅に戻ると、カメラを持った一団がいます。
ガイド役の女性が、これら一団に説明をしています。
一団といっても田舎のツアーなので、10人もいないこじんまりとした集まりです。
説明後に解散となったのでしょうか、ちりじりばらばらになるものの皆が電車の車庫に向かって撮影をし出しました。
明知鉄道主催のツアーで女性は明知鉄道の社員だと、勝手に想像しました。
どうやら本日は新車両のお披露目のようで、車体を線路に乗せるための大型クレーンが2台運び込まれています。
既に車両の運搬は終わったようで、車庫では電車の屋根部分を開けて何やら作業をしています。
この一団につられて、電車をカメラに収めたのでした。

 さて帰りの車両では、面白い体験をしました。
明知鉄道は4人1組の対面シートなのですが、そこに青春18切符で旅をしているという2人が向かいに座ります。
青春18切符といっても定年を迎え悠々自適の面々で、4人で旅をしているが家族でも夫婦でもない集まりとのことです。
旅の話で盛り上がっていると、いきなり手荷物を軽くするために飲まないかと酒を勧められます。
断る理由もなく紙コップに酒を注ぎ、買ったばかりという煎餅を酒の肴に、見ず知らずで即席の宴会が始まったのでした。
やがて彼らは途中の駅で降りて行き、酒のコップだけを持ち真っ赤な顔をして車内に残されはしたものの、思わぬ旅の楽しみを味わったのでした。

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