にっぽんの旅 東海 愛知 大須

[旅の日記]

大須観音 

 本日の舞台は、名古屋。
名古屋の庶民の風を探しに出かけます。

 地下鉄の「上前津駅」で降り、東西に走る仁王門寺通りを西へ向かって進みます。
新天地通りと交わる十字路の中心に著大な招き猫が座っています。
「ふれあい広場」に設けられた巨大な「大須まねき猫」で、高さは2.2mもあります。
これは、立派な大須のシンボルです。

 ここから1筋北側の万松寺通りに移り、「万松寺」を訪れます。
商店街の中にあるお寺です。
ここは、1540年に織田家の菩提寺として織田信長の父である信秀が開いたお寺です。
「身代不動明王」の文字が入った提灯が、びっしりと並んでいます。
お寺を正面に見て左側には建物を潜り抜ける通路があり、「織田家」の提灯が数多くぶら下がった地下道を抜けると、そこには織田家のお墓があります。
外の賑やかさとは打って変わって、ここだけは静けさを保っています。

 また、赤門通りには「大光院」があります。
「明王さん」の相性で地元の人々に親しまれており、毎月28日の縁日にはこの辺一帯に露店が出ます。
大須に遊郭があった頃には、その女性達の信仰が厚かったということです。

 それでは、さらに西に足を進めましょう。
万松寺通りに戻り、右手に大須公園を越え大須本通の1筋西側に「大須演芸場」があります。
大須は演芸の街で、かつては数多くの演芸場がありました。
1965年に開場したこの演芸場も、何度もの閉鎖の危機を乗り越え、今に至っています。
そして今残るのは、ここ「大須演芸場」1件だけとなってしまいました。
と言うよりも中京地区唯一の寄席で、落語・漫才・手品などの演芸が行われています。

 演芸場の昔の雰囲気を盛り立ててくれる場所が、もう一つあります。
万松寺通りに面した「大須射撃場」です。
2丁のライフルを交差させた看板が目印です。
戦後すぐの創業で、プラスチック弾を撃つ娯楽場です。
10発500円という手ごろな料金も、ちょっと寄ってみようかという気持ちを誘うのです。

 その先、角に古風な建物があります。
うなぎ屋「宮田楼」も、大須の街並みに一役買っているようです。
そしてその脇では、僧侶が1人佇んでいました。

 さていよいよ「大須観音」です。
「宝生院」が本当の名前ですが、「大須観音」の名前で通っています。
1324年に後醍醐天皇が大須郷(今の岐阜県羽島市桑原町大須)に、北野天満宮を創建します。
そして1333年には、同社の別当寺として僧能信が真福寺を創建したのが、今の「大須観音」の始まりです。
1612年に徳川家康は、犬山城主の成瀬正茂に現在の大須の地にお寺の移転を命じ、その後明治には大須の大火、第二次世界大戦の空襲による焼失を越えて、1970年に再建されて現在の姿に至っています。
境内は、鳩が飛び交い、また途切れることもなく人がお参りに来ています。
また大正琴発祥の地でもあり、その碑も飾られています。

 「大須観音」には、名古屋が誇るからくり人形があるのですが、時間がまだあるようですので、近くの「七寺(ななつでら)」を訪れます。
735年に尾張国中島郡萱津(現在の愛知県あま市)に行基が開山したもので、当時は「正覚院」と称されていました。
今の正式名は「長福寺」ですが、787年に紀是広によって七堂伽藍が建立されたことから「七寺」と呼ばれるようになりました。
その後の1945年の名古屋大空襲で本堂、三重塔など七堂伽藍全てを焼失し、現在は本堂と三重塔を残すのみとなっています。

 そうこうしているうちに、「大須観音」のからくり人形が動き出す時間になりました。
観音様東側の人形小屋から、手の先から目の動きまで細かく動く様は、日本芸術の質の高さを感じさせられます。
小屋の前面にはガラスが貼られているため、掲載している写真では周りの景色が反射し見えにくいでしょうが、目を細めて奥に映る3体の人形をご覧ください。

 ここからは、伏見まで北上し、その隣の駅の栄にある久屋大通公園まで歩きます。
公園内には、名古屋が誇る「テレビ塔」が天高くそびえています。
高さは180mあり、4本の脚を鉄筋コンクリートのアーチで結合して固めただるま式構造をとっています。
これは建設時にこの地下を地下鉄が通るということが決定していて、脚部を深さ6mまでしか埋め込めることができず、塔自体の重心を低くするための構造なのです。
地上90mの展望台より上はNHK、それより下はCBCの所有物となっています。

 さて、今晩の食事は名古屋名物「味噌カツ」です。
新栄町駅近くのふらっと入ったお店は、値段もそれなりにしますが甘味の効いた味噌だれと柔らかいカツが合い、サクサクのジューシーな本当に美味しい味になっていました。
これまでの「味噌カツ」のイメージが一新し、名古屋に来ると必ず食べてみたいものの1つとなったのでした。
その他でも、「手羽先」は名古屋が誇る食べ物です。 そして今や全国区となった「銀チョコ」を製造するフジパンも、以外にも名古屋の企業だったのです。

   
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