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[旅の日記]

名古屋駅周辺探索 

 今回は名古屋駅周辺を、ブラブラします。
前日の夜に名古屋には入っていたので、今朝は早起きです。
なぜかと言えば、名古屋で有名なモーニングを食べに喫茶店に行きたかったからです。
個人経営の喫茶店が数多く残る名古屋ですから、各店で個性のあるモーニングが準備されています。

 まず初日は、名古屋市民が好むエビフライを使ったサンドイッチです。
名古屋駅の地下街メーチカにその喫茶店があるとは聞いていたのですが、何せメーチカは広く店を探すことができません。
しばらくうろついた挙句、店に電話をして場所を聞いたのでした。
開店と同時に席に着くはずだったのですが、迷ったために店にたどり着いたときには既に列ができています。
10分ほど待って、店に入ることができました。
席について頼んだのは、もちろんエビフライサンドです。
通常のモーニングならコーヒーの料金でトーストが付いてくるのですが、ここはエビフライでしょう。
さらに10分後、お目当てのものが運ばれてきました。
卵とキャベツの間に、豪快にエビフライが挟まれているサンドイッチです。
中には甘いソースとタルタルソースが塗られ、エビフライがより美味しくいただけます。
朝っぱらから、お腹いっぱいになったのでした。

 さて本日は、名古屋駅近くの「ノリタケの森」に向かいます。
高級陶磁器メーカであるノリタケの本社敷地内に設けられた複合施設です。
1859年に森村市左衛門が海外貿易を始め、その後銀座で森村組を創業したのが、ノリタケの前身です。
各地にあった工場を名古屋に集結し、白色硬質磁器の開発に成功します。
そして1904年に日本陶器を創立し、芝浦製作所(現東芝)に対して高圧碍子を製造します。
その後は衛生陶器や食器製造を手掛けます。
経営のめどの立った衛生陶器部門は、東洋陶器(現TOTO)として分離し、食器事業に専念します。
日本碍子も碍子部門が分離した会社です。
1981年には日本陶器からノリタケカンパニーに社名を変更し、海外でも知れ渡る今の会社になったのです。

 赤レンガの建物は、明治末期に造られた旧陶磁器センターや1904年建設の旧製土工場です。
敷地内にはミュージーアムやクラフトセンター、赤レンガを活かした落ち着いたレストランなどがあります。
折角なので、ノリタケミュージーアムに入ってみましょう。
日本陶器の初期の製品はハンドメイドで作られ、細工の繊細さと絵付けの美しさでした。
その後はアール・デコを基調としたデザインで、大量食器の食器が生産されますが、凝ったデザインが人の心を掴みました。
特に欧米での人気は絶大で、ノリタケブランドを確固たるものとして築きあげてきました。
この時代の製品はオールドノリタケと言われ、本ミュージーアムでは様々な顔をした貴重なオールドノリタケの食器が所狭しと飾られています。

 それから1日名古屋をブラブラして、夕方に再び名古屋めしを食べに戻ってきます。
今晩は「味噌鍋」です。
名古屋が誇る八丁味噌を使った鍋で、濃い茶色の見た目は決しておいしそうには思えません。
ところが一旦口にすると、味噌の甘酸っぱさが出汁にでて美味しいのです。
タレを浸ける必要がないので、味噌で少しは整えられていますが食材の味がするのです。
これでもかと頼んだのは、「味噌串カツ」です。
これにビールが加わり、何も言うことはありませんでした。

 翌朝は再びモーニングへ挑戦です。
名古屋のモーニングと言えば、あんこがたっぷり乗った小倉トーストも有名です。
ホテルから少し歩くのですが、あんこがいっぱいの喫茶店を朝から求めて行きます。
朝から甘いあんこ?とも思いますが、これが結構いけるのです。
出てきたモーニングはトーストを4等分に切り目を入れ、それぞれにあんこが盛られています。
あんこのてっぺんには、バターとクリームで作られたトッピング付きです。
なんと贅沢な朝御飯なのでしょう。
お腹が出ることもしばし忘れて、かぶりついたのでした。

 さてこの日の行き先は、昨日の「ノリタケの森」からは北方向に当たる栄生(さこう)駅です。
ここにあるのが「トヨタ産業技術記念館」です。
旧豊田自働織布工場で、現在のトヨタ自動車をはじめとするトヨタグループの発祥の地なのです。
赤レンガの建物は「トヨタ産業技術記念館」として、利用されています。
それではその記念館に入ってみましょう。

 内部は2つに分かれ、入ったとこでまず目につくのが繊維機械館です。
糸紡ぎにおいて強い糸を作り上げ、繊維に織り上げるまでの自動化との闘いが、実演を交えて説明されます。
そして豊田佐吉が自動化に取り組む様子は、1890年の豊田式木製人力織機に始まり、それに改良に次ぐ改良を加え自動化するまでを見ることができます。
当時の機械が目の前で動く様は、その音にも圧倒されますが今でも正確に動作するのには驚きます。

 続く自動車間では、豊田喜一郎が国産自動車の必要性を感じ、自力で自動車開発に挑んだことが語られています。
華やかな自動車造りの前に、まずは金属加工の技術を要することが示されています。
鋳造、鍛造、切削加工を身に付けたうえで、今度はエンジンの制作に苦労します。
まさに無からのスタートだったのですから、その苦労は計り知れません。
それらの基礎技術に下支えられて、やっとのこと我々が目にする自動車の形になって行きます。
1936年のトヨタスタンダードセダンAA型の登場です。
自動車間では溶接ロボットが導入され自動化された工程や、600トンのプレスなどが展示されています。
そして何よりも目をくぎ付けにしたのが、歴代のトヨタ車の展示です。
クラウン、カローラ、セリカ、コロナなど、懐かしい顔が勢揃いです。
また同じ敷地内には1925年に建設された旧豊田紡織本社事務所があり、トヨタグループ館として豊田佐吉、喜一郎の資料を展示しています。

 さてその日の夜は、同じ愛知県内の三谷温泉へ移動です。
JRでは蒲郡の1つ先の三河三谷駅です。
宿からは太平洋を臨むことができ、名古屋港に入る大型船が行き交うのが見える静かな場所です。
もちろんその日の夜は、海の幸が食卓を囲んだのでした。

 名古屋の2大企業であるノリタケ、トヨタを見て回り、モーニングを巡る旅でした。
そして最終日は温泉と、ちょっと贅沢な日々を送ったのでした。

   
   
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