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[旅の日記]

犬山城と城下町 

 名古屋から名鉄で30分、今日は犬山を散策します。
犬山は、「尾張の小京都」と呼ばれる歴史のある町です。
戦国時代には合戦の舞台に、そして江戸時代には犬山城を中心とした城下町として発展してきました。
そんな犬山を見て回りましょう。

 まずは犬山駅の観光案内所に飛び込みます。
ここで地図をもらい、見所を聞いてみます。
どうやら、まずは犬山城を見て回りそこで買った入場券で、他の2つの施設に入れるらしいということです。
それでは早速、犬山城を目指して歩きましょう。

 名鉄犬山駅から西へ500m、本町の交差点まで歩きます。
ここはまだ車の往来があって、道の両側も普通の街の姿が続きます。
ところが、本町交差点で北に進路を変えたところから、周りの姿がガラリと変わります。
犬山城へと続く「本町通り」は、昔ながらの町屋が軒を並べています。

 そんな中、最初の名所は「旧磯部家住宅」です。
江戸時代から「柏屋」の屋号で呉服商を営んでいました。
その後、製茶・販売業に転じた後、倉庫として使われます。
現在は磯部家から建物の寄贈を受け、整備・公開されています。
のれんや瓦に「柏」の文字が入っています。
建物は奥に長く、主屋、座敷と、奥には土蔵が並んでいます。
訪れた時は、奥の蔵はギャラリーとして利用されていました。

 そして、手前の「どんでん館」では、犬山祭で使う車山も展示しています。

 その先も、町屋が続きます。
周りの店をひやかしながら、先に進んでみましょう。
角にある五平餅屋も、味のある造りです。
なんだかいろんなものを扱っているお店のようですが、「五平餅」ののぼりがあがっているので、五平餅屋なのでしょう。
かぐわしい臭いが、食欲を掻き立てます。

 「本町通り」の突き当りでは、右手に石の鳥居の「針鋼神社」、左手に赤い鳥居の「三光稲荷神社」が続きます。
どちらも神社の中を抜けて、犬山城へと続く上り坂に出ます。
それでは、石段を登って「針鋼神社」に参りましょう。
「針鋼神社」は、厄除、安産、長命の神として、濃尾の総鎮守とされているところです。
創建年は不明ですが、1000年以上この地に鎮座している記録が、延喜式への記載からも明らかになっています。

 さてその先の石段を登りきると「犬山城」です。
「犬山城」は、織田信長の叔父の織田信康によって1537年に創建された城です。
現存する木造天守閣の中では、日本最古のものです。
木曽川を見下ろす丘の上に建てられ、尾張と美濃の国境に位置するため幾多の戦乱に巻き込まれることになります。
1584年の小牧・長久手の合戦では、羽柴秀吉が12万人の大軍を率いてこの城に入城し、小牧山城に陣取る徳川家康との直接対決が行われました。
一方、江戸時代に入ると成瀬正成が城主となり、以降成瀬家がこの城の城主に君臨します。
姫路城、松本城、彦根城とならび、天守が国宝に指定された日本の4城のうちのひとつです。

 城門をくぐり、天守に登ってみることにします。
城の中に入ると、いきなり急な階段に悩まされます。
手すりを持たなければ上がれない階段が、続きます。
登り切った天守からは犬山の町が一望でき、木曽川の流れも見渡すことができます。

 さて城から出て、今度は「三光稲荷神社」を通って降りて行きます。
天下泰平、五穀豊穣、商売繁盛を祀った神社で、稲荷神社の名の通り左右の2匹のきつねが守っています。

 「犬山城」からの坂を下りきったところには、「犬山神社」があります。
成瀬正成を初代とし、犬山城歴代城主を祭神としています。
また。戊辰戦争から太平洋戦争までの戦没者もここに合祀されています。

 それでは、犬山城の登閣券を使って「城とまちミュージアム」と「からくり展示館」に寄ります。
「城とまちミュージアム」では、犬山の歴史と文化を伝えてくれます。
また、その向かいの「からくり展示館」では、犬山祭の車山のためのからくり人形が展示されています。

 「本町通り」を少し南下し、ここから先は東側へ進路を変えます。
「魚新通り」も古い町屋が並びます。
米清旧宅と呼ばれる犬山商人 小川家の屋敷や、奥村邸など、「本町通り」ほどの華やかさはないものの、古きを大事に残す町並みが広がっています。

 さて「余坂天神社」を通り過ぎ、名鉄の線路を越えたところで、郷瀬川を渡って再び北上します。
その先には、「犬山成田山」があります。
千葉県成田市の大本山成田山新勝寺の別院で、「大聖寺」が正式名称です。
本堂まで続く長い階段、そして朱色の本堂が色鮮やかです。

 目的はその先の「瑞泉寺」です。
名鉄の線路を跨ぐ参拝用の踏切から、なだらかな階段で上り詰めた先にある山門は、犬山城の門を移築したものです。
「瑞泉寺」は、日峰宗舜禅師が1415年に創建した臨済宗妙心寺派の古刹です。
室町時代に、内田左衛門次郎が山に一寺の建立を懇請します。
現地を見た禅師は、この山に水が出ないことを知り弟子の蜂屋玄瑞に命じて岩頭をうたせたところ、清泉が湧き出てきます。
禅師は蜂屋玄瑞の「瑞」の文字をとって「瑞泉寺」と名付けます。
泉から昇る水気が太陽に映えて龍が昇天するさまに似ていたので、山号を「青龍」と決めたと言われています。
1565年には焼打ちに合いますが、すぐに織田信長より朱印状を得て再建され、その後も羽柴秀吉、尾張徳川家などに被護されてきます。
それでは塔頭6カ寺(龍済・龍泉・臥龍・輝東・臨渓・妙喜)のひとつで、1468年創建の「龍泉寺」に寄ってみます。

 さて、ここからは犬山遊園駅から名古屋方面の電車に乗ろうとしたのですが、犬山駅から1駅増えただけで運賃がドンと上がってしまいます。
同じ名鉄なのに、初乗り分を余分に請求されることには納得がいかず、結局隣の犬山駅まで歩くことにします。
郷瀬川橋を越えたところでは改めて「余坂天神社」に寄り、そして犬山駅では名古屋名物の「きしめん」を食べて、楽しみながら歩き回っていたのでした。

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