にっぽんの旅 東海 愛知 半田

[旅の日記]

酢の町 半田と新美南吉 

 愛知県の半田、そこは酢で栄えた町です。
本日は半田の町を散策します。

 名鉄知多半田駅から海側に歩きます。
ほどなくJRの線路を横切り、JR半田駅があります。
ホームと改札をつなぐ跨線橋は、鉄骨に板を張り付けた壁で、いかにも年代ものです。
実は1910年のもので、明治生まれの跨線橋なのです。
枠には煉瓦小屋もあり、歴史を感じさせられます。

 駅前の道を歩いていくと、味のある木造の建物が並びます。
土産物屋、菓子屋、料亭、いずれもタイムスリップしたかのような、古いながらもこぎれいな建物ばかりです。
半田は、かつて醸造業で栄えた面影を残す蔵のまちでもあります。

 通りを越えると、大正時代を思わせるような石造りのレトロな建物が目に入ります。
「ミツカン」「中埜酢店」との表記があります。
これから訪れようとしている、お酢のミツカンの本社ビルです。

 そして、その先には大きな運河が見えます。
これこそが、半田運河です。
江戸時代に造られた運河で、この地の産物である酒や酢、木綿などが、この運河を利用して江戸や大阪などに運ばれていました。
そして川の両側には、黒壁に横棒3本の下に○が描かれたミツカン酢の建物が並びます。
博物館「酢の里」も、半田運河沿いにあります。
粕酢誕生の半田に開かれた、日本唯一の酢の総合博物館です。
真っ黒な建物の中には、江戸時代の酢作りの様子が展示されています。

 河伝いに歩いて行くと、昔ながらの民家が見えてきます。
半田の豪商である小栗家の店舗兼邸宅で、万三商店として栄えていました。
「小栗家住宅」は、醸造業、肥料、米穀、綿糸などの問屋業を手広く営んでいた豪商です。
明治時代初期に建てられた母屋は、現在で半田市観光協会の事務所として使用されています。

 さらに北に歩くと、「國盛」の文字がと書かれた「酒の博物館」があります。
1972年まで約200年にわたって実際に酒造りが行われた酒蔵で、お酒ができるまでの工程を見学することができます。
いや、できるはずです。
と言うのも、予約もせずに訪れたのが悪かったのですが、あいにく見学コースは定員いっぱいで中を覗くことができません。
販売コーナならいいということでお願いすると、見学コースを逆行して販売所まで案内してくれました。
試飲ができるということを聞いてワクワクしていたのですが、なんと試飲にはお金が必要! これって試飲なの?
ちょっとがっかりだった試飲はお預けにして、お酒4本セットを買って帰ることにします。

 半田山車まつりで有名な業葉(なりは)神社、その隣の光照院を越え、ここからは「紺屋海道」に入ります。
「紺屋海道」とは、船の帆を染めた染物屋があったことから、この名が付けられたと言われています。
半田港が開かれるまでの間、千石船の出入りする大野港と下半田を結ぶ交通の要所として、江戸時代の街並みが残っています。
のんびりと街道を歩いてみます。

 500mほどの「紺屋海道」の終着点は、「半田赤レンガ建物」です。
ここは旧カブトビールの工場跡地です。
食酢や日本酒といった醸造業が盛んな半田ですが、これらに携わった人々が興したのが丸三麦酒株式会社醸造工場です。
当時は、東京のエビス・横浜のキリン・大阪のアサヒに対抗した半田の丸三だったのです。
1898年には、ドイツ人醸造技師ジョセフ・ボンゴルによる本格的ドイツビールの醸造に着手し、「加武登麦酒」と改めます。
パリ万博では金賞にも輝き、5大ビル会社(サッポロ、アサヒ、キリン、エビス、カブト)の一躍として広く知られた会社でした。
しかし1994年12月に、戦争の荒波に呑まれ、企業整備令の適用により半田工場は閉鎖され、それ以降は中島飛行機製作所の資材倉庫となります。
こうして、40余年に及んだ麦酒製造工場としての歴史に幕を下ろすことになりました。
歴史を秘めた煉瓦造りの建物は、東京駅舎、横浜赤レンガ倉庫に次いで、日本有数の現有する巨大煉瓦建築物です。

 名鉄「住吉町駅」から「半田口駅」までの1駅間は、電車で移動します。
「半田口駅」は、新美南吉の故郷で、次は、この南吉の足跡を辿ります。
静かな町の「半田口駅」からほどなくしたところに、南吉の生家はあります。
本名新美正八は、1913年に畳屋であった父渡辺多蔵の次男としてこの家に生まれました。
建物は一般公開されており、表から見ると平屋建ての1軒家ですが、中に入り階段を下りるとそこにも陽の入る部屋を持つ2階構造の家です。
生家を観て外に出ると、近所の知り合いだったかのように、気軽に近所の方が挨拶をしてきます。
なにか心温まる場所です。

 ここから「新美南吉記念館」までの2km弱は、岩滑八幡社や矢勝川の自然を眺めながら歩いて行きます。
「新美南吉記念館」は、交差点の先の公園の中にあります。
入口では、狐の像が待ち構えています。
周りを緑の芝生で囲まれ、そこに埋まるように記念館が建っています。
花壇を降りて記念館に入ると、そこは南吉の世界です。
雑誌「赤い鳥」出身の作家の一人であり、有名な童話「ごんぎつね」も1932年に「赤い鳥」に掲載されました。
「ごんぎつね」では人から、そして「手袋を買いに」では子ぎつねから世間を見て、純真で温かい感性がこころを打たれます。
館内では「手袋を買いに」の語り付きのスライドが上映されており、釘付けになって見入ってしまい、気が付くと目に熱いものが溜まっていました。
教師であった彼の優しい気持ちと観察力が、そのまま童話になって現れています。
また「ごんぎつね」の各場面が、人形で再現されています。
わずか29歳で結核によりこの世を去った南吉が、惜しくてならないとともに、半田の人たちの誇りでもあるのです。

 酢と酒、ビール、そして心温まる南吉の世界、半田での1日はあっという間に過ぎてしまいました。
今夜は買ってきた日本酒を嗜み、半田の思いにふけることでしょう。
愛知県が日本の半分を生産するフキの煮物を肴にして。
そうそう、いちじくも愛知が生産量が日本一の果物なのです。

     
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