にっぽんの旅 東海 愛知 熱田

[旅の日記]

熱田神宮 

 本日は、名古屋熱田辺りを散策します。
地下鉄名城線で伝馬町駅に降り立ち、ここから熱田神宮を目指します。

 南門の鳥居をくぐると、その先に砂利が敷かれた参道が北に真直ぐ伸びています。
その左手脇に位置する「上知我麻神社」に、寄ってみることにします。
ここは、えびすさんと知恵の文殊さんが信仰されている神社です。

 それでは、熱田神宮本宮の方へ参道を進んでみましょう。
玉砂利を踏みしめていると、左手木々の奥に池があります。
「南神池」で、参道の賑わいとは打って変って静かなところです。
水面を見ながら心を静めることができます。
また近くには太鼓橋の形をした石造りの「二十五丁橋」があります。
名古屋での最古の石橋と言うことです。

 さらに参道を進んでいくと、鳥居の先に本宮が顔を覗かせます。
鳥居をくぐればいきなり視界が開け、広い境内の先頭に本宮があります。
熱田神宮は、三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を神体としている神社で有名です。
景行天皇の時代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定の帰路に尾張へ滞在した際に、宮簀媛命と結婚し草薙剣を妃の手許へ置きました。
その後、日本武尊が伊勢国で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定め、剣を奉斎鎮守したのが始まりと言われています。
それ以来、熱田神宮は伊勢の神宮につぎ格別に尊いお宮として、篤い崇敬を集めているのです。
本宮の屋根を見ていると、両端でV字状に突き出ているのを千木(ちぎ)が大きく立派なことに気が付きます。
熱田神宮の威厳を感じずにはいられません。

 本宮でお参りをして、向かって右手の神楽殿に目を向けます。
七五三のための親子連れが、入っていきます。
その南側には、西楽所があります。
1686年に将軍綱吉によって再建されたもので、かつては東楽所もありましたが火事で焼失してしまいました。
屋根が桧皮葺(ひわだぶき)で、美しい建物です。

 西楽所の南側には、東西に塀が走っています。
1560年の織田信長が桶狭間出陣の時に、熱田神宮に必勝祈願をしたところ見事に大勝し、そのお礼として奉納した「築地塀(ついじべい)」です。
土と石灰を油で練り固め瓦を厚く何層にも積み重ねたもので、兵庫西宮神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀とともに日本三大土塀のひとつと数えられています。

 東門をぬけて、神社の外に出ます。
50mほど南下した場所に、お寺があります。
ここは「秋葉山円通寺」で、曹洞のお寺です。
尾張の国造尾張氏により神宮寺として建立されました。
12月には、ここで火渡神事が行われます。

 再び熱田神宮南門から500m南に進んだところに、堀川があります。
ここに「七里の渡し跡」はあります。
1601年のこと、江戸と京を結ぶ東海道が制定され、ここ宮宿と桑名宿との間が海路7里の渡船と定められました。
このことから、「七里の渡」と呼ばれています。
一帯は「宮の渡し公園」になっており、常夜灯や時の鐘を知らせる倉が再現されています。
そして今も堀川を通う屋台舟の乗り場として、利用されています。

 「宮の渡し公園」の前には、宿場町だった頃の建物が保存されています。
一つが丹羽家住宅で、脇本陣格の「伊勢久」という屋号の旅籠屋、もう一つが「魚半」という料亭の跡です。
いずれも「七里の渡」を思い起こさせるような古いたたずまいをして、今に残っています。

 さて、本日のプチ散策も終わりです。
ここからは栄町に出て、名古屋名物の「味噌煮込み」を探しに出かけたのでした。

     
旅の写真館(1) (2) (3)