にっぽんの旅 東海 愛知 赤坂

[旅の日記]

赤坂宿と御油宿 

 東海道の宿場町、赤坂宿と御油宿を今回は巡ります。
京から江戸に向かい、昔の東海道を旅した気分に浸ります。

 赤坂宿は、名鉄の名電赤坂駅から向かいます。
今回の経路の北の端に当たる「杉森八幡社」からの散策開始です。
「杉森八幡社」は、天照大神を祀る神明宮と応神天皇や神功皇后を祀る八幡宮の2つを合わせ持っています。
神明宮は702年に持統上皇が東国巡行を行った時、伊勢神宮領御厨に勧請したことが起こりです。
「夫婦楠」と呼ばれる2本の巨大な楠の脇に、拝殿はあります。
拝殿に向かって右奥には、神楽の舞台があります。
民家の中にある物静かな神社です。

 それでは江戸に向けて足を運びます。
歩き出すとすぐに「赤坂陣屋跡」があります。
いまは駐車場になっていますが、元は赤坂宿として栄えた陣屋があったところです。

 その向かいには、「よらまいかん」と名付けられた建物があります。
赤坂宿の旅籠をイメージして造られた休憩所です。
2階には宿場町 赤坂を描いた浮世絵が展示されており、ゆっくりくつろぐことができます。
最も歩き出したばかりなので、ここで油を売らずに先に進むことにします。

 その先には「正法寺」があります。
推古天皇の時代に聖徳太子を祀る太子堂を建てたのが起源とされる古い寺院です。
その後の嵯峨天皇の時代には、箱根神社再建の勅許を得るために万巻上人が上京した際、病に倒れてこの太子堂にて療養します。
816年に死去してしまいますが、弟子達が太子堂を改築して上人を開基としたのです。
鎌倉時代には源範頼の息子範円が太子堂に居住するなど、歴史のある寺です。

 名鉄の名電赤坂駅の傍になると、旅籠の「大橋屋」があります。
昨年まで営業をしていた1649年創業で「伊右エ門鯉屋」の屋号をもつ宿です。
たまたま今回は公開日で内部を見学できたのですが、提灯が架かった営業中に是非来たかったものです。
今残る建物は1705年に造られたもので、中庭には安藤広重の浮世絵にも描かれた石燈が残っています。

 その斜め向かいには、1868年創業の「尾崎屋商店」があります。
曲げ物の問屋で、曲げ物というのは檜、杉などの薄く削った木材を円形に曲げて造る容器で、俗に言う曲げわっぱのことです。
「大橋屋」に次いで、東海道に残る歴史ある建物です。

 東海道から名電赤坂駅への道の交差点にあるのが「赤坂宿公園」です。
道の反対側には、当時の高札場の様子が再現されています。

 少し進めば「彦十郎家本陣跡」があります。
赤坂宿には4軒の本陣がありましたが、その中でもひときわ大きかったのがこの「彦十郎家本陣」だったのです。
本陣だけでなく、問屋場も兼寝ていたのです。
今では玄関が残るだけで、建物が残っていないのが残念です。

 その先にも「又左衛門家本陣」がありました。
今はその隣が酒屋になっています。
「伊藤屋酒店」は、銅板で作られた酒の銘柄を掲げる看板を今に残しています。
小さな店でありながら、古くからの趣を感じます。

 さらに進んだところに「寒川神社」があります。
ここには樹齢800年の楠があり、神社を見守っています。
この先にいよいよ本日一番見たかった場所が現れるのです。
先を急ぎましょう。

 東海道の赤坂宿と御油宿は1.5kmほどしか離れていない、2つの宿場が隣接した場所です。
しかしこの間には、見事な松並木が続いているのです。
その「御油の松並木」が、本日一番楽しみにしてきたのです。
600mに及ぶ松並木では、弥次郎兵衛と喜多八がキツネに化かされた話が東海道中膝栗毛に描かれている場所でもあります。
徳川家康の命を受けて大久保長安が五街道に整備した松並木は、ここを通る旅人にとって夏は日差しを遮り冬は風や雪を避ける役目を果たす大切なものてした。
倒れそうな松もある中で、車も通る道路を確保できているのです。
ここ「御油の松並木」は、今も残る数少ない松並木が続く場所です。

 松並木を終えて、さらに先を進みます。
この辺りから、いよいよ御油宿に入ります。
街道の両側には昔ながらの商家が残り、当時の様子を見てとることができます。
そんななか「東林寺」が見えてきました。
永享年間に龍月日蔵和尚によって創建され寺ですが、江戸時代には徳川家康がまだ三河の領主であったころに、2度ほど立ち寄った記録があります。

 その先に「御油の松並木資料館」があります。
「御油の松並木」の様子や御油宿の街並みの紹介がされています。
史料館の入口には、巨大な松の切株が展示されています。
そして天井からは、人力で人を乗せて運んでいた駕篭が飾られています。

 さらに南に進んで行きましょう。
古い町並みが続き、その先の車の往来の多い道路との交差点に脇に「御油の追分」があります。
ここは東海道と姫街道との分岐点で、常夜灯も残っています。
姫街道はここで東海道とは別れ、見附宿で再び合流することになります。

 東海道第36番宿の赤坂宿から35番宿の御油までの、のんびりとした宿場巡りでした。
少しは江戸時代の旅人の気持ちになれたでしょうか。

 
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