にっぽんの旅 東北 山形 米沢

[旅の日記]

上杉家が愛した米沢 

 本日は、上杉家とかかわりの深い米沢を訪れてみます。
季節は3月というのに、周りにはまだ多くのところで雪が融けずに残っています。
しかし明らかに春に向かって、晴れ渡った青空が広がっています。
そんな米沢駅に、今降り立ったのです。

 駅前から西に向かう道は、「最上川」を越えて繁華街に向かっていきます。
雪がうっすらと残った河原を眺めながら、橋を渡っていきます。
朝早いのかまだ町は動き出しておらず、散歩する人にすれ違うくらいです。
通りの先から顔を覗かせている山々もまだ白い雪化粧をしたままで、すぐそこにあるかのように見えます。

 冷たく澄んだ朝の空気の中で、最初に訪れたのが「我妻榮記念館」です。
米沢出身の日本の民法学者である我妻榮は鳩山秀夫の教えを請い、資本主義の基で個人主義を唱える民法のあり方について、理論的で常識的な解釈を確立していきます。
憲法改正に伴う家族法大改正を立案するひとりとなりました。
ここ「我妻榮記念館」は、彼の生家を補修改善して残したものです。
木造2階建で土蔵をもつ米沢の標準的な民家です。

 南に進路を変えて、造り酒屋を目指します。
途中に眼にした染物屋は、昔ながらの建物で街の景観に合致しています。
のれんやのぼり、手ぬぐいなどなんでも染めてくれそうです。
ワクワクしながら、街を練り歩きます。

 「米織会館」では別館が「米沢織物歴史資料館」になっています。
米沢では、昔から青苧(からむし)を栽培し越後縮等の原料として他藩に販売していました。
ところが上杉鷹山が藩主となってからは、藩財政の建て直すために青苧から生糸への生産転換が行われ、武士の婦女子の手内職として興したことに始まります。
こうして現在の米沢織の基礎が築かれました。
ここでは、そんな米沢織の歴史と資料、道具などが紹介されています。

 目指す酒蔵は、さらに南に歩いたところにあります。
ここは「東光の酒蔵」と呼ばれ、酒の販売所とともに酒造資料館が併設されています。
1597年創業の米沢藩御用酒屋であった小嶋総本店の酒蔵を復元したものです。
来るまで来ていないことを確認されると、酒の試飲が始まります。
いくつかの試飲をして、これは旨いと決めたものがあります。
土産に買って帰ろうとすると、「ここでしか売っていない」と言われて自分の舌が確かであったことに喜びます。
ところが手ごろなサイズの瓶がなく、なくなく別の銘柄を買うことになったのでした。

 さて近くに珍しい建物があると聞いて、寄ってみることにします。
途中にあるスーパーの前に建っている「吉亭」という、和風の建物があります。
門を入ると建物に続く整備された庭があります。
ここは、米沢牛を食べることができる料亭です。

 町の中にある消防署でさえも、懐かしさを感じます。
木造の建物の前に、家事を知らせる柱が建っています。
地中から立つ放水用の水道管も、なぜか独特の趣があるのです。

 そんな街中を散策していると「旧米沢高等工業学校本館」に着きました。
ここは、ルネッサンス様式を用いた木造2階建の建物です。
薄い緑色で飾られた木製建物は、温かさを感じます。
1910年に山形大学工学部の前身である米沢高等工業学校本館として竣工されたものです。
現在の米沢駅舎のモデルともなったもので、そういえば駅舎の堂々としていながらも美しい造形が思い起こされるのでした。

 この先は「上杉神社」を目指して北上します。
その途中、大きな庭園をもつ屋敷に出会います。
ここは「旧上杉伯爵邸」で、現在は「上杉記念館」として保存されている建物です。
1896年に米沢藩最後の藩主である上杉茂憲の本邸として、建設ましたされたものです。
米沢城址南側の二の丸跡に位置する、総けやきで造られた2階建ての獲物です。
屋根には銅板が葺かれ、美しい姿を放っています。
浜離宮を倣った庭園は、建設当時は5000坪を誇り、米沢三大名園のひとつに数えられています。
1919年の米沢大火で建物は焼失しており、現在の建物は1925年に再建されたものです。

 「旧上杉伯爵邸」の外には、堀で囲まれた「米沢城跡」が見えます。
早速出かけてみましょう。
今はこの一帯が「松が岬公園」として開放されており、その中に「上杉神社」と「松が岬神社」があります。
「米沢城」は源頼朝の重臣大江広元の次男で長井時広が、1238年に築城した城と伝えられています。
当時は「松岬城」と呼ばれており、その名前が現在の公園の名前になっています。
その後、1380年に伊達氏8代宗遠が、長井広房を滅ぼして長井庄を没収します。
1548年には15代晴宗が移り、このころから伊達氏の支配が濃厚になってきます。
有名な17代独眼竜政宗は、この城で生まれました。
その後は、蒲生氏郷の一族である郷安が城主になった時期がありましたが、1598年には上杉領となります。
上杉景勝の重臣である直江兼続が城主でしたが、直後の1601年には上杉景勝公に城主を代わります。
石垣や天守は構えられず、土塁を築き本丸に2基の三階櫓を建てたものでした。
1869年の版籍奉還までの300年足らずを、上杉氏が城主としてこの地を治めてきました。
米沢の町の上杉色が濃いのも、このためです。

 それでは「米沢城跡」の中央にそびえる「上杉神社」を訪ねてみましょう。
堀の石橋を渡り、正面の大手門から入っていきます。
堀には錦鯉が悠然と泳いでいます。
石橋の先の神社までの通りの左右には、「毘」「龍」の旗がひらめいています。
「毘」は戦いの神様と信じられてきた「毘沙門天」を謙信が自分の化身として、その頭文字を模っています。
「御旗本尊」と呼ばれていました。
そして別名を「懸かり乱れ龍」と呼ばれ、総攻撃の際に掲げられたのが「龍」です。
通りの右手には、謙信の銅像が飾られています。

 先を歩いて行ったところに「上杉神社」があります。
18769年に建立された神社で、上杉謙信が祀られています。
ここも米沢大火で類焼し、今目にしているには1923年に再建された建物です。
「上杉神社」は、明治神宮や平安神宮を手掛けた米沢出身の伊東忠太の設計によるものです。
境内には宝物殿「稽照殿」があり、直江兼続の愛の兜が保存されています。

 元来た堀を越えて堀の外側にあるのが、「松岬神社」です。
1902年にこれまで「上杉神社」祀られていた9代藩主 上杉鷹山を分祀した神社です。
その後の1919年には上杉景勝、1938年に直江兼続を配祀しています。

 「松岬神社」の正面には、巨大な近代的な建物があります。
「米沢市上杉博物館」で、米沢藩の歴史と文化を展示している博物館です。
「上杉本洛外図屏風」は織田信長が上杉謙信に贈ったもので、桃山時代を代表する画家 狩野永徳の作品です。
京の町の四季の移り行く人々の様子を描いたもので、屏風の題目に沿った解説を映画で上映しています。
その他「上杉家文書」をはじめとする上杉氏ゆかりの品が、数多く収められています。
ホールでは学校の演奏会があるのでしょうか、同じ制服をまとった高校生が集まっていました。

 さて「米沢城跡」の周りを見て回った後は、西に向かって歩いて行きましょう。
目指すは「上杉家廟所」です。
その途中にあったのは「善日山千勝院」です。
謙信上杉の祈願所であった「善日山千勝院」には、毘沙門天が祀られています。
先ほど訪れた「米沢城跡」で見られた「毘」の旗のことで、出陣の際に護摩をたいて戦勝を祈願したところがここなのです。
「毘」の軍旗のもとで戦えば、千遍戦い千遍勝つことから「千勝院」と称されてきました。
「日々是好日」の「千勝院」ということで、「善日山千勝院」という名前が付いたのです。

 ここから歩くとこ10分余り、「上杉家廟所入口」の標識が見えてきました。
ここでバス通りを右手に折れて、脇道に入って行きます。
「上杉家廟所」の手前には、「法音寺」があります。
737年に聖武天皇の勅命により越後国魚沼郡に建立された寺で、病死した藤原政照を弔うため行基が建立したのが姶まりです。
上杉家の菩提寺で、歴代藩主の位牌がここに安置されています。
 さてお目当ての「上杉家廟所」は、上杉家の初代謙信から12代斉定までの歴代藩主の墓所です。
東西108m、南北180mの敷地に、藩主の墓が静かに祀られています。
杉木立に囲まれた敷地の中央には、謙信の祠堂があります。
それを囲むようにして通路を挟んだ両側に、2代景勝をはじめとする祠堂がずらりと並んでいます。

 「上杉家廟所」の先の「熊野神社」には、おもしろい木があります。
1751年に神社の改修の時に植えられた杉の木です。
1株が根元で3つの枝に分かれ、それぞれが同じ太さで天に向かって伸びています。
まるで鼎(かなえ)の脚のごとくある様から、「かなえ杉」と呼ばれています。

 こうして、上杉と米沢の町を巡ってきました。
しかし米沢に来て、忘れてはならないものがあります。
それは三大和牛のひとつとされる「米沢牛」です。
これまで見てきた「吉亭」や「旧上杉伯爵邸」でも米沢牛を食べることはできますが、ここは手ごろな値段で美味しく食べられるところを探すことにします。
駅まで戻り、米沢牛で人気の店に訪れてみます。
ここで頼んだのが、すき焼き鍋です。
霜降りの米沢牛が鍋を覆い隠し、そこに火が通っていきます。
米沢牛で有名な店なのでしょう、ほとんどの人が同じものを頼んでいます。
肉の移り行く姿を眺めながら、煮えるのを待ちます。
煮えあがった肉を口に入れると、融けるような柔らかさと油の甘さが広がります。
これは三大和牛に称えられるだけあります。
本日の散策の足の疲れも吹っ飛ぶような、満足の味だったのでした。

 外には「ホテルおとわ」があります。
1897年創業の老舗で、歴史を感じる本館は国の有形文化財にも登録されています。
3階に並ぶ花頭窓風の窓が印象的ですが、訪れたときには惜しくも改修工事中で全景を見渡すことはできませんでした。

 上杉の歴史に触れながら歩き廻った、米沢の町でした。
美味しい米沢牛も、決して忘れることがないでしょう。

 
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