にっぽんの旅 東北 山形 山形

[旅の日記]

山形 

 本日は山形市の散策です。
市内に点在する古い建物を見学し、山形の歴史を感じます。

 その前に、山形を知るにはその土地の食べ物を知ることでしょう。
早速お蕎麦屋さんを探します。
JR山形駅から5分ぐらいの場所にある庄司屋が有名ということで、そちらに向かいます。
JRの線路脇を歩いていると、踏切のカンカンいう音が聞こえます。
電車が通過するのですが、なんとそこに来たのは新幹線です。
そうだったのです。山形新幹線は一般軌道上を走っているのでした。
白地に緑のラインがきれいな新幹線が、スーッと私の前を過ぎ去ったのでした。

 お蕎麦屋さんに入ると、迷わず頼んだのが「板そば」です。
ざるではなく細長い木箱に薄くそばを盛られたもので、おつゆにつけて頂きます。
通常のそばの2倍程の量があるのでしょうか。
蔵王の水をふんだんに使った、この地方の名物です。
腹いっぱい食べた後は、蕎麦湯で口を潤します。
来ていきなりの食べすぎで、これからの動きが鈍くならなければ良いのですが。

 さてここからは、江戸から明治にかけての古い街並みを見て回ります。
山形駅の南を、西から東へ歩いて行きます。
よく見ると不動産屋も商店も、昔の家を手直ししたものばかり。
細かい格子状の窓が広がっています。
そんな中、「男山酒造」を見付けました。
趣のある家屋に、新酒ができたことを告げる杉玉が吊るされています。
帰りは地酒を買って帰らなければ、といつもの悪い癖が出たのでした。

 ここからは国道112号線を北上します。
足を進めると、和菓子の「佐藤屋」、そして醤油の「丸十大屋」を目にします。
「丸十大屋」は1844年創業の醤油醸造元です。
白漆喰の蔵の形をした建物で、厚みのある窓の扉に味があります。

 次に目に入るのは漆器の「長門屋」です。
木製品に手彫りをほどこし、うるしの山形塗りで仕上げた技の逸品です。

 ここで東へ針路を変えて、「諏訪神社」に向かいます。
1474年の斯波右京大夫義春公の時代に創建されたと言われ、大きな鳥居が目印です。
昨日開催された秋祭りの後片付け中でしょうか。
ここの例大祭では、5個の茄子を持参してお供えして祈願し、その中から2個を持ち帰るといった習慣があります。
木目を活かした拝殿は、豪壮なイメージを与えるのでした。

 再び国道112号線に戻ります。
「山形まるごと館 紅の蔵」があります。
かつての紅花商人であった長谷川家の蔵屋敷を手直しして使っています。
現在は蕎麦屋、土産物屋が軒を連ねて、この歴史ある建物を利用しています。

 さらに足を進めても、「市島銃砲火薬店」、「寝装野村屋」、「丸太中村 近江屋」など、見ているだけでも飽きのこない建物ばかりです。
そしてお医者さんまでもが、モダンな洋風建築の建物なのです。

ここで「七日市御殿堰」にやってきました。 「七日市御殿堰」は、馬見ヶ崎川が大雨のたびに何度も氾濫することに対し、山形城主の鳥居忠政が1624年に川の流れを変える大工事を行います。
城のお濠の水源と、城下町の生活用水、農村への農業用水の確保のために、馬見ヶ崎の上流域に取水口となる堰を設け、そこから網の目のように水路を町の中へ作りました。
水の流れる方向により笹堰、御殿堰、八ヶ郷堰、宮町堰、双月堰の5つの山形五堰が造られたのです。
今ではお茶屋、呉服屋、蕎麦屋が入り、七日町の憩いの場となっています。

 さらに北上すると、突き当りに見えてきたのが「文翔館」です。
ルネサンス様式の巨大な洋館は1916年に造られ、旧県庁舎および県会議事堂として利用されてきました。
旧県庁舎は3階建てで、時計塔や中庭をもち、知事室や会議室、貴賓室が入った巨大な建物です。
一方渡り廊下でつながり煉瓦姿の旧県会議事堂は、議場として利用されていましたが議員席は可動式で議会のないときは、かまぼこ状の建物全体を講演会や演奏会で使うことができます。
訪れた時も、クラシックコンサートの準備とリハーサルを行っていました。
大正初期の洋風建築として残すべく、1986年から10年間の歳月を費やして保存修復工事が行われました。
現在はいずれの建物も、山形県郷土館として無料公開されています。

 「文翔館」の南側には「香味庵はるまち」があります。
やたら漬で有名な漬物屋で、大正時代の醸造蔵を改装し郷土料理を味わうことができます。

 さらに南下し、「聖ペテロ教会」に向かいます。
1910年にガーディナーの設計によって建てられた近代建築です。
淡い青緑色の木造平屋建ての建物は、窓が縦長の半円形となっているガラスが異国の趣を漂わせています。
上部が尖塔状になっている鐘楼も特徴的です。

 ここからは、「最上義光博物館」を横に眺めながら、一路「山形城跡」を目指します。
掘りに架かる橋から「二の丸東大手門」へ入ることができます。
山形城は、最上氏の祖斯波兼頼が1357年に築城したと伝えられており、11代当主義光の代では関ヶ原合戦の戦功により57万石の大々名となり、山形は繁栄します。
江戸時代には山形藩の政庁が置かれたことがありましたが、今は霞城公園として整備されています。
「二の丸東大手門」をくぐると、最上義光の馬に跨った銅像が目に飛び込んできます。
山形を反映させた一人者として、いまなお尊敬されていることが判ります。
城内は体育館や市営球場、プールを有する広い公園で、市民の憩いの場になっています。
そんな中、是非訪れてみたかった場所があります。

 その場所とは、「山形市郷土館」なのです。
「山形市郷土館」別名「旧済生館本館」は、1878年に山形県令三島通庸の病院新築の大構想のもとに、建築された病院です。
オーストリアの医師アルブレヒト・ローレツ博士を招き、医学校も併置して日本の医学の発展に尽くしました。
三層楼からなる建物は、中庭を囲んだドーナツ型の1階部分の一部にドーム型の屋根とステンドグラスを配した洋館です。
戦時中は目立つという理由から3階部分をバッサリ切り取られますが、その後の修復で当時の姿を再現することができました。
ローレツ博士の医学に対する功績と、当時の医学の様子が刻銘に展示されています。

 さてここまで歩いて、身体はクタクタ。
本日の初めが山形名物の「板そば」でしたから、締めも山形が誇る「芋煮」をと、店を探します。
ちょうど駅前にお酒と芋煮のおいしい店を見付け、そこに入ってみることにします。
芋煮はカツオ風味が効いたあっさりした味付けで、お酒が進みます。
昼に動けないくらいたらふく食べたことが嘘のように、箸が進むのです。
こうして1日の散策の様子を瞼に焼き付けた山形の夜は更けていきました。

     
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