にっぽんの旅 東北 宮城 松島

[旅の日記]

日本三景の松島 

 本日はいよいよ松島を観光します。
松島と言えば、日本三景のひとつ。
海岸線と島々の織りなす美を観て回ります。

 JR仙石線の松島海岸駅には、牡蠣の店が並んでいます。
牡蠣の文字がない店には、穴子丼ののぼりがあがっています。
そんな店の誘惑に負けずに、海側に向かって進んで行きます。
島巡りの遊覧船の乗り場がありますが、既に予約を済ませており出航までの時間、他を見て回ります。

 そして訪れたのが、松島のシンボル「五大堂」です。
小島に建てられた仏堂「五大堂」へは、朱色の「すかし橋」を渡っていくことができます。
ここは807年に、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に毘沙門堂を建立したのが始まりとされています。
大聖不動明王を中央に、東方降三世、西方大威徳、南方軍多利、北方金剛夜叉の五大明王像を安置したことから、「五大堂」と呼ばれています。
「五大堂」の周りをぐるりと廻ると、松島の海岸が見渡せる絶景の場所です。

 その先に進むと、大きな朱色の橋が見えます。
「福浦島」に延びる「福浦橋」で、250m余りの長さをもつ海上を渡る橋です。
弁天堂がある「福浦島」ですが、島内を見て回ることができます。
特に天神崎からの眺めは最高です。
松島には3つの赤い橋があり、先ほどの「すかし橋」とこの「福浦橋」は、それぞれ出会い橋、縁結び橋であるのに対し、雄島に架かる「渡月橋」だけは縁切り橋と呼ばれています。
この「福浦橋」では、素敵な出会いがあるはずなんですが。

 それではそろそろ出航の時間が近づいてきましたので、遊覧船の乗り場に戻ることにします。
戻る途中、「松島城」と呼ばれる城の形をした縦に長い建物があります。
元はホテルだったのですが、今では松島湾が一望できる展望台として天守部分に上ることができます。

 松島湾を巡る遊覧船は、ガラス張りの客室のなかに入ると冷房が効いており、外の暑さを忘れさせてくれます。
約50分の遊覧です。
ところが船が走り出すと右に左に奇岩が現れます。
結局客席を出て、部屋の外の船尾に移動することにします。
これが、潮風が当たり意外と気持ちが良いのです。
難点は、スピーカから流れてくる奇岩の説明が、エンジンの音で消されてほとんど聞こえない点です。
しかし海と奇岩を目の前で見ることができ、臨場感満点です。

 松島湾は松島丘陵が沈下し海水が入った地形で、海上に頭を残した個所が260余りの島々を形作っています。
島は波によって浸食を繰り返し、ゴツゴツした岩場で造られたリアス式海岸となったのです。
松島湾に浮かぶ島は、岩場でできた島の頂上に松が覆いかぶさる姿が日本的で美しく、多くの人がこの地を訪れる日本を代表する景勝地です。
岩場のため暗礁が多く、江戸時代には伊達政宗によって軍港として整備されました。
島の下部が浸食され穴が開いた「鐘島」、4つの洞門に打ち寄せる波が鐘の音のように聞こえたことがこの島の名前の由来です。
「仁王島」は、岩だらけの島の上に今にも落ちてしまいそうな小さな岩が乗っかっています。
仁王像が葉巻をくわえて座っているように見えることから。「仁王島」という名前が付きあました。
多くの島が重なって見える湾内で、遠くの島はかすんで見えてまるで薄い墨で描かれた水墨画を見ているような美しい風景です。

 船が寄港する直前に見えるのが「観瀾亭」です。
江戸の仙台藩の藩邸にあった建物を、2代藩主 伊達忠宗が移築したものです。
寄棟造り屋根をもつ建物で、綺麗で見事な襖絵は重要文化財に指定されています。
ここの縁側から眺める松島湾も綺麗なものです。

     

   

 島巡りの次に向かったのは、「瑞巌寺(ずいがんじ)」です。
比叡山延暦寺第3代座主慈覚大師円仁が淳和天皇の詔勅を奉じ、828年に松島に建立したのがこの寺です。
当時は「延福寺」と呼ばれ、平泉の藤原氏の厚い庇護を受けていました。
この28代続いた「延福寺」も、400年の時を経て終焉を告げます。
「延福寺」に替わり、法身禅師が開山した「円福寺」が現れます。
しかしこの「円福寺」も、戦国時代には次第に勢力を衰退して行きます。
次の転機は、関ヶ原の戦い後にこの地を任された伊達政宗によって、「青葉城」の造営と併せて神社仏閣の造営が行われ、「塩竃神社」「仙台大崎八幡宮」なども相次いで整備されたことです。
「瑞巌寺」も例外でなく、紀州熊野から材木を切り出し全国から大工を呼び寄せて、4年の歳月をかけた1609年に完成したのです。

 山門を潜ると、岩に掘られた洞窟が続きます。
洞窟内には五輪塔などが刻まれ、供養場として使用されていました。
洞窟などを観て廻り、奥に向かって進んで行きます。
参道の両脇には杉林が並び、足元は苔が敷き詰められており、静寂で厳粛な趣きが本堂まで続きます。
杉並木をどれほど歩いたことでしょうか。入母屋作造の本堂が顔を覗かせたのです。

 「瑞巌寺」の隣りには、「円通院」があります。
「瑞巌寺」第100世洞水和尚により1647年に「三慧殿(さんけいでん)」が建立されました。
霊屋建築としては宮城県下最古とされており、仙台藩第2代藩主 伊達忠宗の次男である伊達光宗の菩提寺でもあります。
本堂の「大悲亭」は、池を湛えた庭園を見渡すことができるわらぶきの建物です。

 自然が造る松島湾の島々の美しい姿、そしてその地形を利用し軍港として伊達政宗が整備した町が広がる松島です。
仙台からも近い松島を訪れた、初夏の1日でした。

   
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