にっぽんの旅 東北 岩手 遠野

[旅の日記]

遠野のカッパ伝説 

 岩手県の遠野にやってきました。
花巻と釜石の中心地点で、両者をJR釜石線が結んでします。
本日は、カッパで有名な遠野の町を巡ってみましょう。

 その前に遠野駅の駅舎を眺めます。
遠野駅は、1914年の岩手軽便鉄道(現在のJR釜石線)の開通と同時に開業しました。
現在の駅舎は1950年に建てられたもので、石積みを思わせるような重厚な外観ですが、実のところはコンクリートブロック造りです。
瓦葺きの屋根ですが、よく見るとここにもカッパがいます。
随所に遊び心のある建物です。
駅の前には池が掘られ、そこにもカッパが居座っています。

 それでは遠野を代表するカッパに会いに行きましょう。
駅前からバスが出ており、30分程度で足洗川のバス停に到着します。
早速「カッパ淵」に向かいます。
バス停から5分ぐらい歩いたところに、「カッパ淵」はあります。
ここはカッパが多く住み、人々を驚かしたという伝説が残る場所です。
「小烏瀬川の姥子淵の辺りに新屋の家という家あり。ある日淵へ馬を冷やしに行き、馬曳の子は外へ遊びに行きし間に、河童出てその馬を引込まんとし、却(かえりて馬に引きずられて厩(うまや)の前に来り」と遠野物語は語っています。
カッパの狛犬がある常堅寺の裏手の小川で、カッパの神を祀った小さな祠が建っています。
祠の両側にはカッパ像があり、その前にはカッパが好むキュウリが供えられています。
決して形が良いとは言えないものの、特大のキュウリです。
そして近くには、カッパ釣りをするための竿が準備されています。
もちろん、餌はキュウリです。
静かな小川には澄んだ水が豊富に流れて来、周辺の静けさの中で水のせせらぎだけが聞こえてきます。
実にのどかな場所です。
「カッパ淵」の脇には稲荷堂もあり、伝説の生き物カッパが信仰の対象になっていたことが判ります。

 そして近所には、「伝承園」もあります。
ここでは遠野の農家の生活、昔話を知ることができます。
しかしゆっくり見る余裕はありません。
何故なら先ほど来るときに遠野駅から乗って来たバスが折り返してやってきますが、それに乗らなければいけません。
乗り遅れるとこの田舎町で2〜3時間待たなければならず、本日中に帰宅できなくなってしまうからです。
早々に引き上げ、バスで再び遠野駅に向かうのでした。

 駅に戻りまず訪れたのが、「遠野市立博物館」です。
ここには柳田國男を魅了した遠野の魅力を知ることができます。
マルチスクリーンシアターでは、遠野物語をゆっくり観ることができます。
その中には水木しげるの作品で悪戯好きのカッパが人と交わっていく「河童淵」や家に宿るとその家が反映する「座敷童」が、優しいタッチで描かれています。
また別の部屋では遠野の文化を紹介しています。
南部氏が治めた遠野の町の文化や、猿ヶ石の雪深い渓谷で使われていた蓑やガンジキなどの道具、それに南部曲り屋での生活の様子が紹介されています。
そして衝撃的だったのは、馬の顔をもつ着物を着た人形も、飾られています。
ある日、娘と馬の恋に反対する父親が、ある時馬の首をはねてしまいます。
それを知った娘が馬の首に飛び乗ると、馬ともどもそのまま空へ昇っていってしまったという悲しい話です。
それ以降、娘と馬の2体の像を祀ってきました。
娘と馬の人形の「オシラサマ」は、女の病の治癒を祈る神、農耕の神としてこの地方で崇められてきました。

 「遠野市立博物館」を出たところには、「南部神社」に続く石段が広がっています。
それではこれから「南部神社」に参ってみましょう。
石段を登りきったところに社殿があります。
社殿の横には、七福神が参拝者を見守っています。
そして奥にそびえる山が「鍋倉城址」で、当初は「横田城」と呼ばれていました。
それまで城主であった阿曽沼氏ですが、1590年の小田原不参によっては領主権を没収されてしまいます。
こうして遠野も南部氏の支配下となり、実際の統治は多くの武将に任せてきました。
1622年にはそのひとりとして、遠野奉行の毛馬内三左衛門を横田城代として赴任させます。
しかし治安の乱れが続いたため、1627年に南部利直は八戸直義を八戸根城から「横田城」へ呼び寄せ、城を修復して「鍋倉城」と改めました。
今の城下町が形成されたのも、このころです。

 ここからは、町歩きをしてみます。
「昔話語り部館」は遠野の物産物を販売する店です。
2階では語り部がしゃべる昔話を聞くことができます。

 それでは「とおの物語の館」を訪れてみましょう。
ここも、遠野伝説で有名な昔話を聞くことができる施設です。
遠野座での語り部による話は既に時間が過ぎていましたが、昔話蔵ではミニシアターで自分の好きな昔話を選び、スピーカーから流れる話を聞くことができます。
その遠野伝説の著者であり日本民族学の創始者である柳田國男の生涯を展示しているところがあります。
明治から昭和まで遠野を代表する旅籠屋として活躍してきた「旧高善旅館」を、この場所に移築したものです。
別の建物の「伊藤家」は土産物屋で、江戸時代の商家を移築したものです。

 そして道を挟んだところには「遠野城下町資料館」もあります。
盛岡と沿岸部を結ぶ交通の要所で、多くの物資と人が遠野に集まって来ました。
さまざまな商家が軒を連ね、遠野は大いに賑わっていました。
また仙台藩に接する場所でのあり、盛岡藩にとっては軍事面での重要拠点でもありました。
町は敵の侵入を防ぐために鉤型に整備され、また入口には枡形が設けられていました。
「遠野城下町資料館」はこんな遠野の強固な軍事を示す甲冑や刀が展示されています。

 さらに町をぶらぶら歩き回ります。
さきほど移築された「旧高善旅館」を見てきましたが、本来の場所が「高善旅館跡」としてありました。
他にも古い街並みが至る所に残っています。
そうしているうちに町も見終え、元来たJR遠野駅に戻ってきました。
駅前では特徴のある観光案内所の建物が、出迎えてくれます。

 駅で待っていると、面白いものに出くわします。
googleと書かれた車で、天井には4方8方を見渡すカメラらしきものが付いています。
恐らくグーグルマップのデータを集めているのでしょう。
成田ナンバーの軽自動車ですから、頑張って遠野まで来たのですね。
このようして、googleのストリートビューのデータを定期的に最新化を保っていることが、確認できたのでした。

 そんな時、ある重大なミスに気付きます。
今後のスケジュールを眺めていると、時系列順である遠野を出てからの行程がなぜか時刻が逆転しているのです。
ありえない計画になっています。
そうなんです、色々なところを回りたくて計画を書き直しているうちに、古い計画が混ざってしまっていたのです。
幸い次の乗り継ぎでで1時間待ち、その次の乗り継ぎでは2時間の待ち時間があったので、これを詰めれば何とかなりそうです。
電車を待たずに別の交通手段で移動すると、なんとか帰りの飛行機に間に合いそうです。
タクシーで2,000円ほどの区間なので、懐具合も問題なさそうです。
ということでちょっとだけ冷や冷やする点もありましたが、カッパに会いに遠野にいく旅は無事終わったのでした。

   
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