にっぽんの旅 東北 岩手 宮古

[旅の日記]

宮古の青の洞窟 

 今回は、東北岩手の宮古の旅です。
宮古と言えば、2011年に起きた東日本大震災で宮城、福島とともに被害の大きかった岩手県です。
陸前高田や大船渡に並び宮古もニュースで度々報道されていました。
その傷跡が残る宮古を、今日は見ていきましょう。

 盛岡からJR山田線で、宮古に出ます。
山の中を2時間かけて走る路線ですが、元々は盛岡から宮古を経て釜石までの山あり海ありの線路でした。
全線が開通したのは1939年のことです。
ところが先東日本大震災で沿岸部が壊滅的な被害に合い、宮古から釜石間は2019年に三陸鉄道リアス線として経営移管されました。
現在では宮古が、JR山田線の終着駅となっています。

 今回、宮古でぜひ訪れてみたかったところがあり来ました。
駅に到着するとまず、荷物をコインロッカーに預け観光案内所で情報を入手します。
ところがそうしているうちに、目的地である「浄土ヶ浜ビジターセンター」行のバスが出てしまいました。
それならばと今晩の食事をするところを探しながら、駅前で時間を潰します。
「浄土ヶ浜ビジターセンター」までは、バスで20分足らずで移動できます。
到着した「浄土ヶ浜ビジターセンター」は、三陸の自然、生き物を判りやすく展示紹介している施設です。
しかし展示もろくに観ず、入口階の3階から1階まで一気に降り、そこから海岸線に沿って造られた遊歩道を進み、「浄土ヶ浜マリンハウス」に向かいます。
ここからさっぱ船に乗り、「青の洞窟」に行きたいのです。
ところが17:00までのさっぱ船の営業時間に対し、今は既に16:50。
17:00ギリギリのバスで着くとは一応事前に電話で伝えたものの、名前を言ったわけではなく予約をしたわけでもないので、とにかく行ってみなければ間に合うのかどうかも判りません。
遊歩道をゆっくり観光する人の中で、ひとりだけ焦って速足で歩いていたのでした。

 「浄土ヶ浜マリンハウス」では、終了時刻間際にも拘わらず暖かく迎い入れてくれます。
時間が時間だけあって、船に乗っているのはひとりだけの貸し切り状態です。
さっぱ船とはエンジンの付いたボートで、狭い洞窟に入っていくのに打ってつけの乗り物です。
船は桟橋を離れ、目の前に現れたのは白い岩が連なる「剣の山」です。
4000年前にできた白い流紋岩が波で浸食されたもので、鋭くとがった岩が特徴です。

 船は大きく右に舵をとり、「青の洞窟」に向かいます。
前方の岩場にぽっかり空いた穴があり、ここが目的の場所であることが判ります。
1892年に江刺恒久が書いた「奥々風土記」によれば、ここ「八戸穴」は八戸まで通じていて、逆に八戸には「宮古窟」があるということです。
洞窟の中から外を振り向くと、水面がコバルトブルーに輝いています。
これが「青の洞窟」と言われる所以なのです。
船頭によると晴れた日の午前中には、もっときれいに見えるということです。

 さて船は、「浄土ヶ浜マリンハウス」に戻ります。
「浄土ヶ浜マリンハウス」とこれから訪れる「浄土ヶ浜」は湾になっており、半島のように突き出た流紋岩で外海から覆われています。
先ほど見た「剣の山」もそのひとつです。
そして船が向かったのはその半島の先端にある「賽(さい)の河原」です。
ここの頂上には子安地蔵を祀った祠があり、地元の人々は家族の健康と大漁を祈願しています。
「賽の河原」は船をつけるための入り江になっていますが、訪れた時には潮が引いて高台になっていました。
至近距離ですが海の綺麗でおおらかさを見て、あっという間に20分は過ぎてしまいました。
船を降りた時にはマリンハウスも店を閉め、しっかりと帰り支度に入っていました。

 ここからはさらに遊歩道を先に進み、「浄土ヶ浜海岸」に向かいます。
途中の岩肌には、オニユリがたくましく咲いています。
「浄土ヶ浜海岸」は海岸の先入観もあり、船から見た時は砂浜が広がっているように見えました。
ところが近くに来てびっくり、石が海岸線を作っているのです。
そしてその先には烏帽子岩が点々と並び、観光ポスターで見る風景そのものです。
「浄土ヶ浜」の地名は、天和年間に宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖が、「さながら極楽浄土のごとし」とこの風景を感嘆したことから名が付いたと言われています。
夕方だというのに、いまだに浜で海水浴を楽しんでいる家族がたくさんいます。
しばらくはこの浜と青い海、そしてごつごつと神秘的な烏帽子岩を、浜に佇み眺めてみることにします。

 さて元来た道を、「浄土ヶ浜ビジターセンター」まで戻ります。
センターはまだ閉館しておらず、ここでゆっくりと浄土ヶ浜の自然を学習します。
さて帰りのバスですが、まだ1時間も待たなければなりません。
そこでまた悪い癖が出てしまいます。
1時間も待ってバスに20分揺られるくらいなら、歩いて帰っても違わないのでは。
かくして徒歩で宮古駅まで見て回ることにしたのです。

   

 しばらく歩くと宮古湾に出ます。
その風景に度肝を抜かれます。
先の大震災で津波の被害に合った宮古ですが、護岸工事が至る所で行われています。
海岸線にはなんと15mを越える堤防が、隅から隅までぎっしりと建設されている最中なのです。
そして堤防には所々に窓が造られています。
強靭なアクリル板がはめ込まれており、災害時の海の様子を確認するためでしょう。
まるでコンクリートの要塞都市のようです。

 歩いている途中には、被災した「宮古市役所」もあります。
自身も被災し、敷地内には船が打ち寄せられ、車が流れ着いた場所です。
災害対策本部として機能し、今は役目を終えて取り壊しが決まりました。
フェンスで囲まれ立ち入り禁止になっており、寂しい限りです。

 そうしているうちに、宮古駅に辿り着きました。
待ちに待った新鮮なホヤを食べに行きます。
実は先ほどのさっぱ船で、船頭に「初めてだがホヤを食べてみたい」と相談したところ、とにかく初めは新鮮なものを食べるようにと言われたのです。
そうでなければ一生ホヤが嫌いになるとも言われたので、ここ宮古でどうしても口に入れたかったのです。
幸い浄土ヶ浜に行くバスを待つ間に探しておいた居酒屋がありますので、そこに入ります。
昼は定食屋、夜は居酒屋となるその店で、ホヤを注文します。
冷奴、そして本日のお薦めのサバの塩焼きとともに、出てくるのを待ちます。
最初にできてきたのが、注目のホヤです。
もっとグロテスクな癖のある味かと思いきや、確かに磯臭さはあるものの全然平気でした。
これも捕れたての新鮮さがなせる業かもしれません。

 そして今晩の宿ですが、駅前にないと知ったのが本日宮古に到着した時でした。
宿に電話して行き方を聞くと、バスはあるが早々に終バスとなるとこのことです。
それ以降ならタクシーだとあっさり言われてしまいました。
ちょっとその辺の懐具合も気にしながらも、かえって居直って宮古の味を満喫したのでした。

 バスにも乗らず歩き回ったことで足裏が痛いと思っていました。
ホテルに入って確認したのですが、両足に水ぶくれができていました。
こういうことも多々あるので旅行道具のひとつに安全ピンは常備しており、今回も役に立ちました。
少し痛い思いもしましたが、宮古を知る良い機会になりました。

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