にっぽんの旅 東北 岩手 釜石

[旅の日記]

三陸鉄道で巡る釜石 

 今回は三陸海岸の電車の旅です。
2011年の東日本大震災で地震と津波による大打撃を受けた東北ですが、岩手県内でも海岸側では線路が流され鉄道網が寸断しました。
そんな中、2019年に完全復旧と遂げた「三陸鉄道」を巡ることにします。

 そして今日の出発は磯鶏駅、宮古から1駅南に下ったところです。
駅前に来ても、どこに駅があるのか判らないような日常的な風景です。
ここから釜石まで1時間20分の電車の旅を楽しみます。

 「三陸鉄道」の起源は、1896年に政府に提出された「三陸鉄道株式会社創立申請書」までさかのぼることができます。
これが基になって「三陸縦貫鉄道構想」が生まれます。
仙台から石巻、気仙沼、盛、釜石、宮古を経て田老、八戸、久慈までがそれぞれ申請されます。
国鉄時代から1981年の国鉄再建法による第1次特定地方交通線に指定され、ここに第3セクター「三陸鉄道株式会社」が設立されます。
1984年には久慈から宮古を三陸鉄道北リアス線、釜石から盛線を南リアス線として営業を開始し、宮古から釜石の国鉄山田線を含めて悲願の三陸の都市を結ぶ鉄道が全通開業します。
その後は2011年東日本大震災で駅舎や線路が流され、車両も使用不能に陥ります。
2014年に三陸鉄道部分は全線が復旧しますが、最後まで残った宮古・釜石間はJR東日本から三陸鉄道に移管されます。
これまでの北リアス線、南リアス線を久慈から盛までのリアス線と改め、2019年に全線開通したのです。
このことから営業路線の総延長は、三陸鉄道が第三セクターとして日本最長です。

 さて磯鶏駅で待っていた列車がやってきました。
向かい合わせの席の間には、テーブルがついています。
そして面白いことに、移動手段の列車にあってテーブルは固定されていないのです。
まるで喫茶店にテーブルが置いてあるかのごとくです。

 車窓に目を向けると、宮古で見たような高い堤防が海岸線に沿ってどこまでも続いています。
その距離といえば計り知れない長さになります。
よくここまで巨大な人造物を造れるものだと、いまさらながら感心させられます。
日本式の万里の長城と言ったところで、後の時代には貴重な遺産となっていることでしょう。

 陸中山田駅近辺では、空き地が目立ちます。
一定区画に整備された土地なので、震災後に造成されたところでしょう。
ここも町が流されたと考えると、心が痛みます。

 岩手船越駅は本州で最東端の駅です。
近くには「鯨と海の科学館」もあり、三陸に住む鯨をテーマにした施設です。
波板海岸では、窓に真っ青な海と砂浜を見ることができます。
サーフスポットとして、街が力を入れています。
また吉里吉里駅は、井上ひさしの小説「吉里吉里人」の舞台となったところです。
無人駅のホームから大きく下る階段が続いています。
近所には吉里吉里海岸もあり、吉里吉里という地名はアイヌ語で白い砂浜を意味する「キリキリ」からきたとも言われています。
大槌駅は、上から見るとヒョウタンの形をした駅です。
近くにある蓬莱島は、一説ではNHK人形劇のひょっこりひょうたん島とも言われ、大槌町のシンボルとなっています。
車窓を眺め楽しんでいた列車の旅も、いよいよ釜石駅です。
線路はまだ続きますが、釜石で降りることにします。

 釜石は鉄とラグビーの町です。
まずは腹ごしらえです。
釜石に来れば、是非寄りたい店があるのです。
そこは駅から甲子川を渡った反対側にあります。
バス停1つ分ですので、歩いて向かいます。
途中、甲子川に架かる鉄橋を走っていく「三陸鉄道」を見ることができます。
重厚な鉄橋にかわいらしい1両編成の列車が走っている姿は、微笑ましいものです。

 そして辿り着いたのは、1軒の寿司屋です。
ここで美味しい生ウニ丼が出してくれるのです。
今年は例年にない猛暑のため良いウニが入らないということです。
手に入ったものも高くてごめんなさいと、店の人が恐縮されていました。
でも口に入れるとウニの甘さが広がり融けてしまう感触は、ここでしか味わうことができないものです。
値段は高くとも、十分に満足したのでした。

 ここからは、鉄で栄えた釜石を見に行くことにします。
駅前にも新日鉄釜石の大きな建物があり、煙突からモクモクと煙を吐いていたのですが、これから行くのは「鉄の歴史館」になります。
バスに乗り、震災の復興が今も続く釜石の街並みを見ながら進みます。

 「鉄の歴史館」は町からは少し標高の硬い山のふもとにあります。
盛岡藩士であった大島高任が鉄で釜石を繁栄させた功績を称えて造られたものです。
それまでの鉄製造と言えば「たたら製鉄」と呼ばれるものでした。
これは砂鉄を集めて、熱で固めるものでした。
ところがこの方式で造った鉄はもろく、当時の海外からの脅威に挑むための大砲には使えないものでした。
そこで大島高任は西洋式高炉を取入れ、鉄鉱石からの製鉄に挑戦します。

 実は江戸や長崎、大坂で西洋の技術を学んだ高任は、釜石に来る前は水戸(現茨城県)にいました。
水戸藩主の徳川斉昭から招かれ、那珂湊で太陽の熱を集めて製鉄を行うための反射炉を完成させていました。
しかし鉄の強度を上げるために砂鉄に代わるものを探していました。
ちょうど釜石で良質な鉄鉱石が大量に埋蔵されていることを知り、ここ釜石に移ってきたのです。
1858年には、鉄鉱石製錬による本格的連続生産に成功しました。
これがもとで、釜石は「近代製鉄発祥の地」といわれています。
その苦労とその後の釜石の発展を、資料館で学ぶことができます。

 その後は再び駅に戻り、駅前を散策します。
駅前ロータリーには、「鉄のモニュメント」があります。
これは近代製鉄発祥150周年を記念して2007年に設置されたものです。
3.11の東日本大震災で被災ししばらく消えていたのですが、2011年12月に新日鉄釜石製鉄所で保存していた高炉の火を点火し、再び希望の火が灯ったのです。

 その傍には、アーチの中央に「復興の鐘」があります。
東日本大震災の犠牲者の鎮魂と復興への祈りを込めて、設置されました。
鐘には、釜石の未来を抱いた「鎮魂」「復興」「記憶」「希望」の4つの言葉が刻まれています。

 それでは駅の西側を歩いてみましょう。
「サン・フィッシュ釜石」は、昔ながらの市場です。
画像でしか見たことのなかった生きたホヤが、ずらりと並んでいます。
1つ100円といった安さですが、旅をする身としてはさすがに買うことはできません。
生ホヤを見て、目を肥やしたのでした。

 その先には「釜石市郷土資料館」があります。
ここでは、釜石の歴史や産業を見ることができます。
東日本大震災だけでなく、過去から幾度となく津波で被害を受けてきた釜石の歴史が語られています。
また製鉄所を構える軍用都市釜石は、第2次世界大戦では本州で初めて連合国艦隊による艦砲射撃を2度に渡って受けてきました。
そんな中で立ち上がってきた釜石を展示しています。
鉄の他にも漁業を町の産業としている釜石の姿を、見ることができます。

 念願の「三陸鉄道」、そして鉄の町 釜石を巡る1日でした。
いまでもその時のウニ丼の味は、忘れられません。

   
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