にっぽんの旅 東北 岩手 一関

[旅の日記]

一ノ関は餅文化 

 本日は、岩手県の一関に来ています。
今回は35年ぶりの一関の訪問です。
以前仲良くしていた者が一関出身だったものですから、その者の勧めでこの地を訪れたものです。
35年前を覚えていないので、町が変わったかどうかは定かではありません。

 駅前には、大槻3賢人像が建っています。
一関出身の大槻家の3兄弟で、大きな功績を残したことを称えられています。
一関藩医 大槻玄梁の長男の大槻玄沢は、12歳の時に建部清庵の門弟となります。
そして杉田玄白に蘭方医学、前野良沢にオランダ語を学び、26歳の時には蘭学の入門書「蘭学階梯」を著わします。
我国初の蘭学塾「芝蘭堂」を開いたのも、玄沢です。
「解体新書」の改訳や、「重訂解体新書」の作成など医学の進歩に貢献しました。
大槻玄沢の二男の大槻磐渓は、開国を唱える儒学者です。
仙台藩の藩校「養賢堂」の学頭で、戊辰戦争では藩政に大きな影響力を持っていましたが、戦争責任を問われ投獄されます。
「孟子解約」や「近古史談」などの著書が残されています。
大槻磐渓の三男の大槻文彦は、文部省から辞書の編さんを命じられ、16年の歳月をかけて我国最初の辞書「言海」を完成させます。
「言海」は日本辞書史上不朽の名著と言われ、昭和になってからは「大言海」に再編されるまでのものです。
それぞれ江戸から明治にかけて3人の時代は異なるものの、一関が生んだ偉大な人物です。

 それでは、まずは「酒の民俗文化博物館」を目指して、町をぶらつきます。
線路と並行して走る大町通りを、北へ向かって進みます。
通りには東北銀行、岩手銀行、北日本銀行、一関信金と、東北の金融機関が並びます。
大町角のバス停で、今度は西へ進路を変えます。
この先が「酒の民俗文化博物館」のはずです。

 途中に木造の趣のある店舗があります。
「大福屋」で、大福や団子などの甘味が揃っています。
そればかりかうどんやそばもあり、ちょっとした食堂として利用できます。

 さらに先を進むと、そこには「蒲しま公園」があります。
門を潜って中に入る、ちょっと変わったところです。
池や小川をもつ日本庭園で、一関藩主 田村家の迎賓館だったところを今は公園として利用しています。

 そしてその先、通りの右手に見えるのが「松栄堂総本店」です。
ここでは「ごま摺り団子」を買って帰ることにします。
餅の中に黒ゴマで作った蜜が入っいる、一関の名物です。

 お目当ての「酒の民俗文化博物館」は通りの反対側にあります。
白壁の土蔵は大正時代に造られた仕込み蔵で、今では酒造りと米作りの博物館となっています。
蔵の外には「酒造りの水」があり、井戸のようなところに奥羽山脈からの地下水が湧き出しています。
これで美味しい酒ができるのでしょう。
「世嬉の一」は搾りたての日本酒「清酒 世嬉の一」や「いわて蔵ビール」を販売している店です。

 そして併設する「蔵元レストラン いちのせき」では、面白い料理を食べることができます。
なんと岩手は1年中、餅を食べる文化があります。
折角ですから、餅のフルコース「果報もち膳」を頂くことにします。
出てきたのは、9種類の餅のお椀と雑煮です。
甘めのあんこがかかったもの、さっぱりした大根おろしやなめ茸をあえたもの、主食らしく海老や納豆と一緒に食べるものなど、盛りだくさんです。
思う存分餅を食べて、腹もいっぱいになったのでした。

 食後は引き続き一関の町を散策します。
「酒の民俗文化博物館」から南へ2〜3分のところには、「旧沼田家武家住宅」があります。
江戸時代後期に一関藩家老職を勤めた沼田家の住宅で、300年を経た歴史ある建物です。
広い土間があるこの部屋の配置は、農家から武家の住宅へ移行する過渡期の貴重な建築物です。

 その先には「日本キリスト教団一関教会」があります。
突然の洋風の建物に、面食らってしまいます。
その後は「釣山公園」によって、ちょっとした一関の散歩は終了です。

 さらに歩いて行きます。
そこには、一関藩の藩主であった「田村邸裏門跡」があります。
今ではそこに残された石灯篭から、かろうじて当時の面影を垣間見ることができます。
そしてこの後、一関駅に帰って行ったのでした。

 名所は駅から500m〜1kmの範囲にかたまっており、ゆっくり街をみて回ることができます。
そして何よりも、正月でもないのに贅沢に餅を食べることができたことが満足した一番の理由だったのでした。

   
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