にっぽんの旅 東北 岩手 平泉

[旅の日記]

平泉の中尊寺 

 今回は東北の有名ところ「中尊寺」の観光です。
列車での旅になった今回は、JR平泉駅を起点に中尊寺へ向かうはずでした。
冬のこの時期、特に今回は強い寒波の到来で昨晩から大雪です。
実は電車で平泉まで移動して来ることを予定していたのですが、朝起きて駅に行ってみると在来線が停まっています。
どうやら大雪のために駅が利用できないようです。
これは大変、雪でも運行している新幹線に急きょ変更してとりあえずは一関駅にたどり着いたのでした。
ここから先は鉄道での移動はできず、バスで「中尊寺」に向かいます。

 そんな中尊寺を歩いて行きましょう。
参道入口から続く杉並木の「月見坂」を、登って行きます。
こんな冬場に訪れる人もまばらで、上り坂にはうっすらと昨晩の雪が積もっています。
滑りやすい靴で心配していたのですが、登り口のところにぴったりのものを見付けました。
靴底に巻き付けるためのわらが、段ボール箱に無造作に置いてあります。
雪かきをしていた人に尋ねてみると、その中から綺麗なものを選んでくれました。
拝借して付けてみると、その効果は抜群です。
これで雪の上り坂も、安心して進むことができたのです。

 ここから先はお堂が点在しています。
「八幡同」「東物見」「弁慶堂」と順に進み、「地蔵堂」までやってきました。
寂しかった道中、ここでようやく外国人の参拝客に会います。

その先には「薬師堂」が、そしてさらに先に中尊寺の「本堂」があります。
これが世界遺産の「中尊寺」なのです。
 「中尊寺」は天台宗東北大本山の寺院で、 850年に円仁((慈覚大師)が関山弘台寿院を開創したのが始まりとされています。
そして859年に清和天皇から中尊寺の名を頂きます。
しかし円仁開山のことは確かな史料がなく、実質的には奥州藤原氏の藤原清衡が釈迦如来と多宝如来を安置する「多宝寺」を建立したのが、中尊寺の創建と見られています。

 「薬師堂」その先には、朱塗りの建物である「不動堂」があります。
黒っぽいお堂が続く中で、久しぶりに鮮やかな色彩に触れることができます。

 さらに先を進みましょう。
「峯薬師堂」では露店が出ており、目の御守が売られています。
その先に「大日堂」「鐘桜」と続きます。

 ここでひときわ大きな建物が、目に入ってきました。
ここが「讃衡蔵」です。
この先の「金色堂」への入場券を、ここで購入します。
それではには藤原氏の副葬品が展示されいる「讃衡蔵」を見学しましょう。
寒い外に較べて、暖房のきいた室内で身体を温めます。
展示物を見て回り、歴史に浸ることができます。

 しばしの休憩を兼ねての「讃衡蔵」見学を終え、再び雪の降る外に出ます。
「阿弥陀堂」「弁財天堂」と進んだところで、左手に広い階段が見えます。
この先に「金色堂」があるのです。
黄金に輝く「金色堂」の内部を拝観できるとあって、早まる心を隠さずにはいられません。
落ち着かせながら、その奥の金色堂まで階段に足を運びます。
1124年に建てられた「金色堂」は、堂の内外に金箔が施された皆金色の阿弥陀堂です。
本尊に阿弥陀如来、左右に観音菩薩、勢至菩薩が並び、さらに6体の地蔵菩薩と持国天、増長天が本尊を取り巻いています。
細かい彫り細工と眩しいばかりの金色の輝きは、栄華を極めた奥州藤原文化の象徴です。
ここに初代清衡、2代基衡、3代秀衡の遺体が眠っています。
そして4代泰衡に至っては、なんと首級が納められているのです。
「金色堂」内は当然撮影禁止、黄金の様はパンフレットからの転載でご勘弁を。

 外には、「旧覆堂」や「中尊寺経」を納めた「経堂」もあります。
秋には、モミジがお堂を赤く染めることでしょう。

 さて「中尊寺」の境内には、「白山神社」と呼ばれる神社もあるのです。
朱塗りの鳥居を潜り、訪れてみます。
藤原清衡公が平泉を開く前の850年に、中尊寺を開山した慈覚大師円仁によって祀られたのが「白山神社」です。
その後は北方を鎮護する神として、中尊寺の本殿と共に崇められます。
中に入ってまず目に入るのが「野外能舞台」です。
能舞台の背面には、鏡の松とが描かれいます。

 平泉には「中尊寺」のほかにも「毛毬寺」もあり、これら町全体が世界遺産になっています。
それでは、ここからは「毛毬寺」を目指して平泉駅へバスで移動します。
バスを待つ間、売店によって寒さしのぎをします。
この地方の名産である「南部鉄器」の急須が、驚くような値段で並んでします。
とても手を出せるようなものではありません。
代わりに買ったのが、「南部鉄器」で作った飾り物の兜です。
そして今晩のために、この地方のお酒を買い込んだのでした。

 平泉駅までは、バスで10分余りで着きます。
駅から「毛毬寺」までは約1kmの教理で、見晴らしの良い平坦な1本道で歩きやすいです。

 境内に入ると、正面には本堂があります。
そして本堂に向かって右手にあるのが、浄土庭園があります。
「大泉が池」を中心とした庭園で、北の塔山を背景に仏堂と苑池とが一体化した庭園です。
州浜や枯山水風の築山、水を引き入れる遣水など自然の造形が、美しい庭園を形作っています。

 寺伝によると850年の慈覚大師が東北巡遊の際に、一面が霧に覆われ進めなくなってしまいます。
ふと足元に点々と白鹿の毛を辿っていくと、そこには白鹿がうずくまっています。
大師が近づくと白鹿は姿を消し、そしてどこからともなく白髪の老人が現われます。
老人がこの地に堂宇を建立して霊場にすることを告げ、建てられたのが「嘉祥寺」(今の毛越寺)なのです。
大師はその時の老人を、薬師如来の化身と感じたとされています。

 この話を聞いて、池の周りを「開山堂」から「常行堂」までを味わって歩いて行きます。
特に「常行堂」の横の「遣水」には、雪の合間を縫って水が注いでいます。
ただこの「毛越寺」も今はあいにくの一面の雪化粧、周りが青々とした時期に改めて訪れてみたいものです。

 平泉の世界遺産を巡っての旅。
雪の降る東北も風情があって、思いのほか良いものでした。



   

 
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