にっぽんの旅 東北 福島 郡山

[旅の日記]

安積開拓と郡山 

 本日は、福島県の郡山に来ています。
東北では、仙台市、いわき市に次いで3番目に人口の多い都市です。

 本日最初に目指すのは「開成山公園」です。
JR郡山からバスに乗り、郡山市役所まで移動します。
バスで10分ぐらいの距離を、市街を眺めながら揺られていきます。

 「開成山公園」は、郡山市で一番大きな公園です。
園内は漑用の池として造成された五十鈴湖を中心に、野球のできる立派なスタジアム、陸上競技場、野外音楽堂、バラ園などが点在しています。
肌寒くも春の到来を感じて、多くの人が公園に集まっています。
うららかな良い日和です。

 道路を挟んだ西側には、巨大な鳥居が見えます。
ここは「開成山大神宮」で、「東北のお伊勢さん」と呼ばれているところです。
天照大御神が祀られ、郡山の産業、衣食住の守護神として崇拝されています。
江戸時代までは荒れた原野であったこの場所を、1872年に県知事になった安場保和氏は開墾して町を造ることを決意します。
その時の守り神として、1875年に本殿と拝殿が造営されました。
まさに郡山の発展のために造られた神社なのです。
拝殿で参拝し、その開墾の源となった場所に足を運びます。

 その場所は、「開成山大神宮」からほど近いところにあります。
郡山女子大学の小川沿いの遊歩道を進み、「郡山市開成館」に向かいます。

 「郡山市開成館」では、郡山市の近代史を語る上で欠くことのできない安積開拓と安積疏水の歴史について触れることができます。
郡山は江戸時代には奥州街道の郡山宿が置かれる宿場町でしたが、これといった産業もありませんでした。
明治に入いると、この地の町おこしを手掛けることになります。
福島県には猪苗代湖の水瓶がありますが、西側にはその豊富な水を利用して会津若松などの町が栄えていました。
ところが山に阻まれ東部の郡山村には水が届かなず、農業が育たばい不毛の大地だったのです。
ここに産業を根付かせるためには、50km以上の距離に水路を築く必要がありました。
オランダ人技術者ファン・ドールンを招き入れて現地調査をした結果、政府に安積疏水の構築を決断させました。
おりしも明治に入り封建制度の廃止によって職を失った武士が、各地で厄介者になっていました。
この人々を各地から集め、全国9藩から約2,000余人が郡山村とその周辺に移住し、本格的な国営安積開拓が始まったのです。
幹線水路の延長52km、分水路78km、トンネル37か所という難工事は3年の年月を費やし、延べ85万人の労働力と40万7千円(現在400億円)を投じて、1882年に完成しました。
安積疏水の水は農業用水として開拓を進めたばかりではなく、工業用水・水力発電・飲用水にも用いられて郡山の都市化を促進しました。

 「郡山市開成館」は1874年に区会所(郡役所の前身)として建築され、安積開拓の中心である「福島県開拓掛の事務所が置かれた場所です。
擬洋風建築の建物である「郡山市開成館」をはじめ、敷地内には福島県開拓掛に関する人々の宿舎が残されています。
安積開拓官舎の「旧立岩一郎邸」、安積開拓入植者住宅であり松山からから移住してきた「旧小山家」と鳥取出身の「旧坪内家」が、保存されています。

 さて次に訪れたのは、「安積歴史博物館」です。
旧福島県尋常中学校本館(現福島県立安積高等学校)として建築された建物は、1884年当時としては最新の洋風建築でした。
福島県唯一の中学校で、福島県の中心的な中等教育機関の存在でした。
中等教育史の資料が数多く展示されていますが、一番気を引いたのは昔ながらの黒板と木製の机が並ぶ教室の風景です。
椅子と一体になった机が整然と並び、懐かしい教室の様子が思い出します。
木の机にはコンパスの針で掘った落書きが残されています。
思わず微笑み、シャッターを押してしまったのでした。

 ここからは「開成山公園」に寄って、郡山駅まで歩いて戻ります。
「開成山公園」の近くに、郡山のローカルフードを置いている店があるから。
その正体は、「クリームボックス」と呼ばれるパンです。
厚切りのパンにミルク風味のクリームがたっぷり乗ったもので、おやつ気分で食べることができるものです。
甘みを抑えた上品なクリームが、飽きさせることなく食べ続けることができます。

 「開成山公園」近くには、「こおりやま文学の森」もあります。
このなかには、「郡山市文学資料館」と「郡山市久米正雄記念館」が併設されています。
郡山ゆかりの作家の作品や資料が、展示されています。

 はまや通りを、さらに西へ歩いて行きましょう。
時計台を備えた建物が見えてきます。
郡山市の市制施行を記念して、1925年に建設された「郡山市公会堂」です。
塔に埋め込まれた時計は第2次世界大戦時に一旦取り外されましたが、1998年に再び装備されました。
その近くには「郡山市歴史博物館」もあります。

 その先の「麓山公園」は、日本庭園を模った公園です。
ここは、旧二本松藩主 丹羽長祥公の馬場であったところです。
実はこの公園には、歴史のあるものが残されています。
「麓山の滝」で、安積疏水の完成をを記念して1882年に造られたものです。

 その後は「福島県合同庁舎」を過ぎ、「如宝寺」に向かいます。
郡山の有力者の虎丸長者が平城天皇より馬頭観音像を賜り、807年にこの地に観音堂を建立したのが寺のはじまりとされています。
明治時代に住職を務めた鈴木信教は、教育に熱心で地域に尽力した名僧として知られています。

 「如宝寺」の北側には「安積国造神社」があります。
135年に比止禰命が初代安積国造に任ぜられて安積国を建国し、神社を創建したのが起源とされています。
ここでは、和久産巣日神と天湯津彦命禰命が祀られています。

 こうして帰りは、郡山駅まで戻ってきました。
今の郡山を築いてきた苦労を知らされる1日だったのです。
そして今回は温かくなり歩きやすくなったせいでか、楽しく郡山の町を見て回ることができたのでした。

   
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