にっぽんの旅 東北 福島 喜多方

[旅の日記]

喜多方 

 本日は朝から喜多方です。
JR磐越西線の始発電車で、福島県の喜多方駅に降り立ったのは、夜が明けたばかりのころです。
朝ラー(朝のラーメン)のために、こんな朝早くにやって来ました。

 駅を降りでまだ静かな街を南北に伸びる「ふれあい通り」を歩いていると、古めかしい酒屋さんに出会います。
この町にはこの古めかしさが似合うのです。
ニッカウヰスキーの色気のない大きな看板が、これまたいいのです。

 若喜商店の角を入った御清水公園の前に、お目当ての店はありました。
喜多方は、ラーメンで有名な町です。
札幌ラーメン、博多ラーメンと並んで日本三大ラーメンのひとつに数えられています。
店ではラーメンのことを「支那そば」として、普通の蕎麦と区別します。
中に入ると、迷わずこの店の名物である「肉そば」を注文します。
ラーメンができあがるまで店の中を眺めてみると、朝だというのに店は客でいっぱいです。
出てきた丼はチャーシューが一面に敷き詰められています。
写真を撮るために、わざと麺を引っ張り出さなければならない程です。
スープは塩味、麺は太麺の平打ち縮れ麺で、スープがなじんでいます。
一気に平らげてしまいました。

 ここで若喜商店まで、少し戻ります。
「若喜レンガ館」は、1905年に造られた煉瓦造りの蔵です。
蔵の中には柿の木で造られた蔵座敷があり、公開されています。
黒光りした柿の木の部屋と調度品は、重みのある輝きを放っています。

 ここから北に進むと次の角が「蔵見世」と呼ばれるお休み処、その先を西に折れると「大和川酒造」の「北方風土館」があります。
1790年創業の老舗の酒造店で、今は使わなくなった旧蔵を解放しており、江戸、大正、昭和の土蔵を見ることができます。
そしてその向かいが「うるし座」で、かつて「夢屋」という喫茶店だった蔵を改造したところです。
漆喰壁が美しい小ぶりな蔵で、うるしを楽しむ場として展示されています。

 さらに西に足を運ぶと、「安勝寺」があります。
木立に囲まれた本堂が土蔵造りという、喜多方ならではの珍しい寺です。
1422年に示現寺の僧である雲光が草創しますが、1880年の大火により旧本堂は焼失してしまいます。
そして、1896年には火災に強い土蔵造りの本堂が建てられ、蔵の寺として今に残っています。
重厚感のある黒い瓦と白漆喰の壁の対比が、美しい独特の風情を漂わせています。

 さてもと来た「ふれあい通り」まで戻り、先を見て回ります。
右手に折れる小さな通りには「喜多方マーケット横丁」の文字が入っています。
戦後、満州からの引揚者が入居するために長屋が建設されたのが起源で、今でも20軒程の店が並んでいます。
かつてはその倍以上の多くの店が並ぶ、活気のある通りだったということです。

 さらに北には、「吉の川酒造」の建物があります。
喜多方で育った酒造好適米の五百万石から生まれるお酒は、喜多方で飲むための酒造りにこだわった酒屋さんです。
全国品評会でも何度も受賞している自慢のお酒なのです。

「吉野川酒造」から1筋先には、「甲斐本家蔵座敷」があります。
外壁を黒漆喰で塗りかためられたこの建物は、ひときわ重厚な風格を漂わせています。
蔵座敷は1917年に着工し、完成まで7年余もの歳月を要しました。
裏に回るとかつての味噌・醤油醸造蔵の煙突が、今でも残っています。

 さて「吉の川酒造」から、今度は東に向きを変えます。
ここでは銀行もNTTも蔵の形をしており、看板も控えめでパッと見では区別がつきません。
田付川を越えたところには、昔ながらの長屋が連なっています。
自転車屋、酒屋、散髪屋と、普段の生活の匂いがします。

 向かい側には「出雲神社」があります。
平将門の残党が逃れて来て住みついたこの地を治める神社です。
境内には、1880年代にここで政談演説が盛んに行われたことを記念した「自由民権発祥乃地」碑が建てられています。

 ここからは、「おたつき蔵通り」を南下していきます。
「馬車の駅 地酒蔵」は。その名の通り「地酒蔵」と書かれた木の看板が目印です。
土蔵を利用した地酒直売店で、観光馬車の立ち寄り所にもなっている所です。
会津、喜多方の酒造メーカーより約40種類の地酒を仕入れて、販売されています。
 次は1717年創業の「小原酒造」です。
「嘉」の文字が書かれた蔵ですが、杉玉が吊るされており酒蔵であることが一目瞭然です。
歴史のある酒蔵のひとつで、もろみの段階でモーツアルトを聴かせ発行を促すことでも有名です。
そのお酒が「蔵粋(クラシック)」が、評判を呼んでいる。
酒蔵の他にも、味噌蔵、薬房蔵、お土産蔵などがあります。

 この辺りは、蔵が並んでします。
「菅井屋薬房」は、1914年建築の喜多方唯一の角店蔵です。
二面に開いた開口部が特徴的な建物です。

 さらには、かつて福島県内一を誇った大地主である風間邸の離れ屋敷を解放した「うるし美術博物館」が、通りにあります。
今まで見てきた中にもうるし塗の建物があるなど、この地方でうるし塗りが盛んだったことを知ることができます。

 喜多方駅に戻った時には、会津若松行の電車が出たばっかり。
次の電車と言っても、都会でない限り5分で来るわけはありません。
小1時間ほど駅前をブラブラして、若松に戻ったのでした。

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