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[旅の日記]

十和田湖から奥入瀬渓流 

 50年ぶりの奥入瀬の旅です。
あの素晴らしかった奥入瀬渓流に、いつか再び訪れることを夢見ていました。
今回それがついに実現したのです。

 レンタカーを借りて十和田湖畔の休屋に着いたのは、昼前です。
まず訪れたのは、青龍権現の異名をもつ「十和田神社」です。
熊野で修行し鉄の草鞋と錫杖を神から授かった南祖坊が、国内をめぐり100足の草鞋が尽きたのがここ十和田湖畔です。
南祖坊は夢の中で「百足の草鞋が破れた所に住むべし」とのお告げを受けていました。
当時十和田湖には、湖の岩魚や水を喰い8頭の大蛇となった八郎太郎というマタギが、湖を支配していました。
そこで南祖坊は、9頭の龍に変化し20尋(約36m)の身体を十曲に曲げ、八郎太郎を退治しました。
「十曲」からこの地を「とわだ」と呼ぶようになったのです。
「十和田神社」の起源には、もうひとつの説もあります。
征夷大将軍 坂上田村麻呂が、東征の折に湖が荒れて渡ることができず、ここに祠を建てて祈願しいかだを組んで渡ったということです。

 南祖坊の説を物語るように、境内の熊野神社には彼の履いていたという鉄の草鞋が奉納されています。
またおみくじは龍の形をしています。
青い龍の焼き物の中に、おみくじが入っているのです。

 しかしここは自然と隣り合わせ。
「クマ出没注意」の看板がいたるところにあります。
近年は人里にまでクマが出没して人が被害にあっていますので、気を付けたいところです。
実はこの後訪れる八甲田では、警報級のクマの看板に出会うことになるのですが。

 「十和田神社」から湖畔に出ると、そこには十和田湖の浜辺があります。
波が打ち寄せ、細かい粒の砂利が積もった浜辺です。
その先にあるのが、「乙女の像」です。
詩人であり彫刻家である高村光太郎の傑作で、1953年の作品です。
「立つなら幾千年でも黙って立ってろ」と光太郎が詠んでいる通り、十和田湖のシンボルになっています。

 ここでお昼にしましょう。
店のメニューに「十和田バラ焼き」があります。
ぜひ本場のものを食べてみようと注文します。
肉と玉ねぎが混ざり、これまで食べたことのあるバラ焼きよりも塩味が抑えられて、食べやすいものでした。
これで腹を満たし、いざ本日のメインイベントである奥入瀬渓流に車を走らせます。

 その途中で寄ったのが「瞰湖台」です。
十和田湖に突き出た御倉半島と中山半島に挟まれた中湖を望む、絶壁の上の展望台です。
十和田湖が一望できるビューポイントなのです。
はるか先まで続く青色の湖面と空を眺めることができます。

 車は子ノ口を通り、ここからは十和田湖から流れる奥入瀬川に沿って進みます。
2kmを過ぎたところに最初の駐車スペースがありますので、ここに車を止めてます。
すぐ横には滝が流れています。
ここは「姉妹の滝」で、2本の流れが合わさった滝です。
水量が多い方が「姉」、少ない方が「妹」とされています。

 それでは奥入瀬川沿いの遊歩道に移り、川辺を散策します。
やがて、大きな水の音がしてきました。
「銚子大滝」で、高さ7m、幅20mの堂々とした滝です。
ほかの滝が奥入瀬川に注ぐ水流であるのに対して、この「銚子大滝」は奥入瀬川本流にある唯一の滝です。
十和田湖への魚の遡上を妨げ、長いあいだ十和田湖には魚が住めないと信じられてきました。
自然が造った断層の上を、水が流れ落ちているのです。

 その近くには、詩人 佐藤春夫が詠んだ「奥入瀬渓谷の賦」の木碑があります。
和歌山の新宮の医者の家で生まれた春夫は、幼いころから文学に目覚めます。
新宮中学校(現和歌山県立新宮高等学校)在学中は、「明星」に「風」の題で短歌を投稿し石川啄木の選に入ったこともありました。
1909年には「すばる」創刊号に短歌を発表しています。
東京に出てきて旧制第一高等学校の入試に臨むものの途中で放棄し、永井荷風を慕って慶應義塾大学部文学科予科に入学します。
その後は生田長江を師事とし、与謝野鉄幹・晶子の東京新詩社に入ります。
作品には「西班牙犬の家」「田園の憂鬱」「都会の憂鬱」などがあります。

 先を進みましょう。
左手に見えてきたのが「九段の滝」です。
階段状の岩肌を水が縫うように流れる優美な滝です。
段々になった岩は、奥入瀬の創成を物語る地層が露出したものです。

 その先をしばらく歩いていると出会うのが「一目四滝」です。
「不老の滝」「白糸の滝」「白絹の滝」「双白髪の滝」からなる4つの滝です。
一方、木が朽ちて倒れそこに清い水が注がれる奥入瀬川の静かな流れも美しいものです。
見ているだけでも時は経つのを忘れてしまいます。

 「雲井の滝」は、遊歩道から車道に出てさらに少し奥まったところにある滝です。
道路からは滝から流れ出す小川が見えます。
その先に隠れたように「雲井の滝」を眺めることができます。
もちろん滝つぼまで足を踏み入れることも、簡単にできます。

 「雲井の滝」から見て奥入瀬川側の山肌に見えるのは「白布の滝」です。
豊富な水量が真っ逆さまに流れ落ち、 まさに1本の白い布の姿の美しい滝です。

 その先の裸渡橋の部分だけは、遊歩道と車道が同じ橋を渡ります。
この辺りでは、屏風岩などの切り立った岩肌が広がります。
これまでの緑の先に見えていた滝が、一挙にゴツゴツした岩の姿に替わります
奥入瀬川にも岩がゴロゴロと並び、流れを妨げます。
「九十九島」と呼ばれる場所です。
川の中のこの岩が白い糸を引いたような流れを作り、返って風情があります。
また岩には苔が生え、幻想的な眺めになります。
この辺りが特に「阿修羅の流れ」と呼ばれる場所です。
幻想的な風景で、個人的には奥入瀬で一番好きなところです。
50年来の待ち望んでいた昔見た風景が残っていたことにホッとしたと同時に、木々の緑と清い流れに心が洗われたのでした。

 ここからは車に戻り、今晩の宿泊先である酸ヶ湯温泉に向かって進みます。
奥入瀬川沿いの風景から、八甲田の山道に風景は一転します。
木々の生い茂る中を、曲がりくねった道は走っています。
上ったと思えば下ることを繰り返して、車は徐々に高地に向かっていきます。
道路からは森林に入る脇道がありますが、必ずと言ってよいほど「クマ出没警報」の小さな札が掛かっています。
車が故障することがないかと考えると、ちょっとゾッとします。

 かなり高く上ったのでしょうか。
突然周りが開けてきました。
その先に見えるのは、八甲田山の山頂でしょうか。
今晩の宿舎は、この八甲田山の麓にある温泉旅館です。
そこに向かって、再び車を進めます。

 やがて見えてきた水場が「睡蓮沼」です。
30年前にもこの地を訪れたことがあるのですが、その時は冬場で沼から湧き上がる湯気で水面が見えないほどでした。
ここまで来れば、目指す「酸ヶ湯温泉」はもうすぐです。

 たどり着いたのは大きな建物の温泉旅館です。
近代的なホテルとは一線を画し、湯治場ともなる温泉地です。
宿の外を流れる川からは、硫黄の臭いが漂っています。
ここには大きなヒバ風呂があり、そこに入浴するのがこの宿にやってきた目的です。
早速風呂で汗を流すことにします。
大浴場である「ヒバ千人風呂」は、風呂の壁はもとより浴槽までがヒバの木で造られています。
日が暮れると混浴のせいか風呂場は薄暗く、かえって風情があります。
木の香りが漂う浴槽に浸かり、今日の疲れを取ったのでした。

 ちなみにこの素朴な温泉宿には、エアコンがありません。
普段は夏でも涼しいこの地域ですが、今年の全世界的な熱波で部屋の中も熱気がほてっています。
都会では考えられないことですが、今夜は窓を開けて網戸と扇風機で過ごすことにします。

 寝苦しさよりも疲労が上回っていたのでしょうか、ぐっすりと眠ることができました。
朝から車で5分ほど走った「岩木山展望所」を訪れます。
ここは世界でも有数の豪雪地帯で、1902年に青森の歩兵第五連隊が雪中行軍の演習中に210名中199名が遭難死した「八甲田雪中行軍遭難事件」が起こった場所でもあるのです。
映画でしか見たことのない過酷な様子と、目の前の綺麗で雄大な山並みを比較しながら、しっかりと目に焼き付けたのでした。

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