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[旅の日記]

津軽の中心 弘前 

 本日訪れるのは、弘前藩の城下町として栄えた弘前です。
津軽地方の中心で、かつては仙台、盛岡に続く一大都市であったところです。

 駅の改札を出ると、大きなリンゴが出迎えてくれます。
駅前のロータリーにも、リンゴを持った人の像が。
そして郵便ポストにもリンゴが乗っています。
そう、ここはリンゴの町です。
秋になると採れたての旬のリンゴが出回るのです。

 それでは弘前の町を巡ってみます。
JR弘前駅から西にある弘前城方向を目指します。
1kmほど歩いたところに、「カトリック弘前教会」があります。
カトリック宣教師アリべ神父が弘前後に踏み入れたのは1872年のこと。
カトリック教伝道のために、モンダナ神父が1910年に聖堂を建てます。
祭壇はアムステルダムの聖トマス教会にあったものを、譲り受けたものです。

 ここから南に歩いて行くと、「日本キリスト教団弘前教会」があります。
角張った2つの塔から成るゴシック風の教会ですが、訪れた時には改装工事中。
美しい姿もシートで囲まれていました。

 さらに進みます。
途中、趣のある「石場旅館」があります。
民宿のような手頃な値段でありながら、日本旅館を味わうことができます。

 さらに南に歩くと、ルネッサンス様式の洋館があります。
最上部には装飾塔が備わっており、建物の美しさを盛り上げています。
旧第五十九国立銀行の本店で、1904年に建てられた青森県で最初の銀行です。
いまは「青森銀行記念館」として、内部を見学することができます。
堀江佐吉による設計・建築されたもので、五所川原にある太宰治の生家 斜陽館なども手がけています。

 その近くの追手門広場には「旧東奥義塾外人教師館」があります。
1872年に県内で最初に開校した私学校 東奥義塾に招かれた外人宣教師のための住宅で、煙突付の洋館です。
1階では喫茶店が営業していますが、2階を自由に見て回ることができます。
ここも堀江佐吉建築の建物です。

 そしてその隣には、「旧弘前市立図書館」の建物が保存されています。
八角形の双塔を持つルネッサンス様式の建物で、木造の3階建てです。
1906年に日露戦勝記念として建てられたもので、1931年までは名前の通り市立図書館として利用されていました。
日露戦争開戦に伴い大きな利益を得た堀江佐吉など5名の篤志家により、建設されました。
館長室、閲覧室などが、当時のまま残されています。

 ここまで来ると目の前に弘前城があるのですが、その前にここより南側にある「長勝寺」に寄ります。
「藤田記念庭園」が大きな木製の門の中にあります。
そして門を潜ってすぐのところに、洋館を見ることができます。
弘前市出身の日本商工会議所初代会頭藤田謙一氏が造らせた別邸で、「岩木山」を臨む庭園を眺めることができます。

 「藤田記念庭園」を越え「長勝寺」までの間、右手にその「岩木山」を臨むことができます。
津軽富士とも呼ばれる「岩木山」は、青森県の最高峰の山で、火山が造った稜線が美しい姿をしています。
残念ながら昨日からの雨があがったばかりで、山頂そして麓に雲がかかっています。
しかし麓にうっすらとかかった雲の手間に小さな山々がはっきりと映る眺めは、墨絵で描かれたかのようです。

 1kmほど歩いたところで、「長勝寺」に向かう筋があります。
ちょうど消防署があります。
三角屋根で、民家を大きくしたような造りは、雪国の工夫でしょうか。
その先には、「長勝寺」へ通じる寺が集まった寺町「禅林街」への入り口である「黒門」があり、そこを潜って寺町に入って行きます。
通りの左右には多くの寺が、ずらりと並んでします。
そんな中面白い建物「六角堂」があります。
六角形の赤い色に建物の内部は螺旋状の階段が走っており、建物上部に上ることができます。
さざえの貝殻に似ていることから、「さざえ堂」とも言われています。

 寺が並ぶ通りの先に「長勝寺」があります。
「長勝寺」は、津軽家の先祖大浦光信を子の盛信が弔うために、1528年に建立したものです。
境内には鎌倉時代の梵鐘をはじめ、本堂、五百羅漢、庫裡が並んでいます。

 さてこれから急ぎ「旧弘前市立図書館」近くまで戻り、大手門から「弘前城」に向かいます。
「弘前城」は、江戸時代に建造された天守や櫓などが現存する数少ない城です。
安土桃山時代に大浦為信は関ヶ原の戦いで東軍に付き、戦いに勝利することによって47000石の弘前藩が成立します。
為信は鷹岡に築城を開始しますが、京都で客死してしまいます。
跡を継いだ2代目信枚は、その時の堀越城、そしてその前の大浦城の遺材を使い、鷹岡城の築城を進めます。
1611年についに完成した5層5階の天守をもつ鷹岡城ですが、1627年には落雷により喪失してしまいます。
鷹岡の土地の名も弘前に改称し、城名も弘前城となります。
それから長く天守のない城の時代が続きますが、9代藩主津軽寧親が三層櫓の天守を造りました。

 弘前公園を抜けて天守に向かいます。
城は下乗橋から眺めた、石垣を含む天守の姿が一番美しく思えます。
いざ天守の入り口まで行き前に立つと、意外とこじんまりした城です。
天守の隣の本丸はいまはなく、その跡地が示されています。
天守から一段低い北の土地には、北の郭がいまも残されています。
休憩所と土産物屋になっており、天井には津軽凧が飾られています。
少しここで足を休めることにします。

 「弘前城」を北門から抜け堀を超えたとこるに、「石場家住宅」があります。
「石場家住宅」は弘前藩出入りの商家で、藁製品を扱っていました。
今でも酒と煙草で商売をしている現役です。

 そして「石場家住宅」から一筋北側に行った仲町が伝統的建築物保存地区で、昔の姿を残しています。
いずれの建物も市が管理し、無料公開しています。
まず訪れたのが「旧伊藤家住宅」です。
この辺りの家は、両脇と上部にが太い角材を使い、黒塗りに仕上げた立派な門構えをしているのですが、「旧伊藤家住宅」の門はそれにも増して屋根を有したものです。
藩政時代に伊藤家代々が藩医を務め続けた家系で、囲炉裏のある板の間、2部屋が続きとなった座敷などが配置されています。
庭も石と木々を配置し、整備されています。

 その「旧伊藤家住宅」の奥には「旧梅田家住宅」があります。
江戸時代末期の武士の住んでいた住宅です。
茅葺屋根が特徴的です。

 「旧笹森家住宅」は、仲町で最も古い武家屋敷です。
佐々森傅三郎の家として1756年の住宅台帳に当たる御家中屋舗建屋図にも載っています。
床間には掛け軸の書と刀が、そして部屋の隅には鎧兜が飾られています。

 そこから少し離れたとことに、「旧岩田家住宅」があります。
江戸時代後期の武士の家で、道路から奥まった家屋の間が小さな庭になっています。
寛政年間末から文化年間に建てられたもので、茅葺屋根がいまに残っています。

 仲町の武家屋敷を見終えた後は、「津軽藩ねぷた村」に寄ります。
弘前ねぷたの歴代のものが保存・展示されています。
ねぷたの表と裏は、それぞれ荒々しい男子像と優しい女性像が描かれていることの説明があります。
津軽三味線の演奏も、ここで行われています。

 弘前の町を1日かけて見て回り、再びJR弘前駅に戻ります。
ここでお目当ての居酒屋に入ります。
混むと聞いていたので、18:00直前には店に入ります。
そしてお目当ての「ホタテ貝焼き味噌」を頼みます。
青森の郷土料理で、こちらに来たときには絶対に寄ろうと思っていたところです。
「ホタテ貝焼き味噌」に限らず、海のものが美味しい弘前だったのでした。

   
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