にっぽんの旅 信越 長野 上田

[旅の日記]

真田の居城 上田城 

 本日は、長野県の上田を旅します。
上田は、長野市、松本市に次ぐ長野県では第3の規模を有する都市です。
そして上田といえば、戦国時代に真田一族が築いた上田城を中心とする城下町で有名です。
それでは、真田氏の足跡を追ってみましょう。

 しなの鉄道で到着した上田駅は、新幹線や上田鉄道が集まるターミナルです。
そして駅前には、真田幸村の騎馬像が立っています。
上田が生んだ日本一の武将とも言われる幸村を称えたものです。

 駅から信号を越えたところには、「飯島商店」のビルがあります。
「みすゞ飴」で有名な「飯島商店」です。
前身は江戸時代に穀物商を営んでいた商家で、屋号を「油屋」と称していました。
明治になると全国一の蚕種の産地として栄え、上田に鉄道が開通して東京と結ぶ大動脈となります。
信越線の駅に合わせて、店舗も柳町から今の駅前に移ってきます。
そんな折、東京深川で洪水が起こり、売り物にならない大量の冠水米が発生してしまいます。
当時の5代目当主 飯島新三郎はここに眼をつけ、冠水米を買い付けそこからデンプンを精製して水飴を製造しだします。
当時創業したての森永製菓のミルクキャラメルに、その水飴を使ったのです。
今も残るミルクキャラメルはその後大ブームとなり、店も「油屋」から「飯島商店」への大飛躍を遂げることになります。
その後に、信州ならではの製品をと考え出されたのが「みすゞ飴」なのです。

 それでは「上田城址」に向かって歩いてみましょう。
その途中に、上田高等学校があります。
ここは「上田藩主居館跡」であったところで、それが証拠に学校の周りは堀で囲まれその内側を土塀で守られています。
江戸末期には、上田一族が東と西に分かれて戦うことになります.
東軍に就いた真田昌幸公の長男 信之は、関ヶ原の戦いで勝利しここに居館を構えることになります。
そしてそこにある立派な門が当時の藩主住居門で、今でも上田高校の門として利用されています。

 その先の上田市観光会館の手前には、レトロな雰囲気が漂う洋風の建物があります。
アールヌーヴォー調の優しい表現をした建物は、「三井鶴三美術館」です。
上田男子小学校の同窓会館で、1915年に建設した「明治記念館」の建物でした。
その後は「旧上田市立図書館」として使われていました。

 そしていよいよ「上田城址」に入城です。
二の丸橋を渡ると、広い場内に入ることができます。
左手には「旧上田市民会館」があり、真田家のシンブルマークである六文銭が描かれたのぼりが風になびいています。
ここでは「上田城」の歴史や360度パノラマ映像が上映されていますが、のちほど寄ることにします。
その先には「上田城東虎口」である櫓門が復元されています。
門に向かって左に南櫓、右に北櫓が迫っています。
2度にわたる徳川の大軍の攻撃にも耐えた、戦いに徹した城の造りになっています。
「上田城東虎口」の手前の石垣には、ひと際大きな石があります。
「真田石」と呼ばれ、幸村の父である真田昌幸が1583年に「上田城」を築く際に柱石として据えた幅3mの巨石です。
1622年に幸村の兄の信之が松代へ移る際、この石を父の形見に持って行こうとしましたが、びくともしなかったということです。

 「上田城東虎口」を抜けると、かつては本丸がそびえていましたが、今は公園になっています。
東虎口の正面には「真田神社」が鎮座しています。
真田、仙石、松平という歴代の上田城主を御祭神とした神社で、創建は明治に入ってからのものです。
廃藩置県により上田藩は廃止となり、上田城も民間へ払い下げとなりました。
そんな中で旧藩主松平氏への報恩のためにと、旧上田藩士や旧領内有志により造られたのがこの神社なのです。
奥の本殿の脇には「真田井戸」と呼ばれる井戸も残されています。

 「上田城址」で真田氏の思いにはせたあとは、城の北東へ歩きます。
北国街道が残る「柳町」へと向かいます。
石畳や長屋が軒を連ね、城下町の姿が今に残っているところです。
江戸末期から明治時代の町屋が並び、2階の軒高が揃った街並みです。

     

 1665年創業の岡崎酒造は、銘酒亀齢の醸造元です。
菅平水系の水を利用した酒です。
女性杜氏がいる酒蔵で、軒に吊るされた杉玉にはしめ縄が飾られています。

 格子戸にのれんがかかる町屋は、森文という喫茶店です。
元々呉服屋であった土蔵造りの建物は、1876年に建てられたものです。
その後は郵便局として使われた時期もあって、店に入ったところには郵便局だった頃の窓口が残っています。

 武田味噌醸造の菱屋は、信州味噌の製造、販売を行っています。
武田兵助商店の味噌醤油醸造が1930年に独立し、その後会社組織として今の姿になりました。
ここ「柳町」らしく、店の前にはしだれ柳の木が通りからの目印になっています。

 菱屋の通りを挟んだところには、水が湧き出している井戸があります。
保命水の碑があり、水が脈々と湧いています。
北側にある海禅寺から湧き水を引いてきたもので、上田で初めての上水道なのです。
北国街道を往来する人々に利用されたことでしょう。

 石畳で古い町屋が並ぶ「柳町」をあとに、駅の方に向きを変えます。
途中に服部半蔵の置物があるのは、直木賞作家 池波正太郎の「真田太平記館」です。
時代小説作家の正太郎の代表作が、「真田太平記」です。

 上田駅までやってきましたが、もう少し寄り道をしてみます。
駅の東側10分ぐらいのところにあるのが、「常田館絹の文化資料館」です。
絹生産で栄えた上田を紹介しています。
事務所兼住宅の建物は、和式の建物の2階を城壁と窓枠を緑色に塗って疑洋風に仕上げています。
道向かいには現在の笠原工業常田館製糸場の敷地が広がっています。
奥には5階繭倉庫がどっしりと佇んでおり、大きな建物には小さな窓が所々に開いているだけのものです。
当時の様子を今に伝えています。

 そこからJR線の踏切を越えて、「千曲川」を見に行きます。
新潟で日本海に流れる信濃川ですが、長野県内では「千曲川」と名前が変わります。
日本で一番長い川なのです。
川の先には、上田電鉄の赤い鉄橋が掛かっており、その下を水が流れています。
なんとものどかな風景なのです。

 1日中上田の町を巡り疲れて、今晩の夕食は焼き鳥屋に入ります。
この地方の名物の「美味だれ焼き鳥」を食べるためです。
特徴はタレにあって、ドロッとしたタレを好みに応じて焼き鳥にかけて食べます。
大根おろしのようにドロドロしているものの正体はニンニクで、この味が癖になります。
思い切りタレをかけた焼き鳥を、ビールで喉に流します。
ニンニクたっぷりで、美味しくない訳がありません。
その時は満足していたのですが、実は翌朝自分の発するニンニクの匂いに驚かされることになるのでした。
でも、すりおろしのニンニクは絶品であったことだけは違いありません。

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