にっぽんの旅 信越 長野 妻籠

[旅の日記]

中山道の妻籠宿 

 中山道の宿場町 妻籠を訪れてみます。
JR中央線で南木曽駅まで出て、ここでおんたけ交通のバスに乗り換えます。
バスは、わずか10分足らずで妻籠のバス停に着きます。
バス停から中山道に続く路地を歩いて行くと、中山道に広がる妻籠宿に出ます。

 中山道には、街道の両側に古い建物が並んでします。
ここ妻籠宿は、中山道六十九次のうちで江戸から数えて42番目の宿場です。
中山道の中でいち早く景観保全活動に取り組んだのが、ここ妻籠宿だったのです。
妻籠宿にある83軒の家屋のうち、本陣が1軒、脇本陣が1軒、そして旅籠が31軒の宿場町でした。
宿場で賑わった妻籠宿ですが、400人強の住民の住む地域でした。

 今回はいったん北の端まで、風情のある家々を眺めながら歩いて行きます。
妻籠宿の北の端の民家が切れたところに、「鯉ヶ岩」があります。
元々は鯉の形をした大岩だったわけですが、1892年の「美濃の大震災」で岩の形が変わってしまいます。
しかし吾妻橋の烏帽子岩や神戸の兜岩とともに、三大岩として数えられています。

 「鯉ヶ岩」から、順に南側(馬籠宿方向)に街道を巡っていきます。
「鯉ヶ岩」からの下り坂には「高札場」があり、その向かいには「水車小屋」があります。
豊かな湧き水が音を立てて流れており、その水が水車をゆっくりと押し回しています。
妻籠宿に合った風情のある風景です。

 街道を散策しながら、「脇本陣 岡谷」までやってきました。
参勤交代の大名や公家が宿泊や休憩の場として、宿場には本陣が設けられています。
脇本陣というのは、本陣が使えなかった時の予備の宿として準備されました。
妻籠宿では本陣を島崎氏、脇本陣を林氏が勤めてきました。
それでは、「脇本陣 岡谷」の内部を見ていきましょう。
今の建物は、それまでは禁制であった桧をふんだんに使って、1877年に建てられたものです。
実は林家には島崎藤村の初恋の人である「おゆふさん」の嫁ぎ先でもあるのです。
島崎藤村と言えば本陣側の島崎家のひとりで、ともに旧家の出です。
「脇本陣 岡谷」では窓から漏れる光が筋を引いて見えることが有名です。
囲炉裏の位置から窓を眺めるのが斜光を一番良く見られるということなので、光の筋が見えるまで我慢強く待ちます。
と、雲っていた空が晴れて光が差してきます。
はっきりとした鮮やかな光の筋が浮かび上がってくるのです。
この芸術的な絵に、感動したのでした。

 ここで少し休憩のために、喫茶店に入ります。
コーヒーを頼んだのですが、嬉しいことに「栗ようかん」がおまけで付いてきたのです。
中山道の妻籠、馬籠の辺りは栗が良く採れ、栗を使った菓子が名物になっています。
「栗ようかん」もそのひとつで、今回の旅のどこかで食べてみたかったものでした。
思ってもみなかったプレゼントに、感激するのでした。

 小腹も満たしたところで、今度は「妻籠宿本陣」へ向かいます。
太い木の柱で造られた門を潜って、中に入っていきます。
先ほどの脇本陣が当時の建物をそのまま残しているのに対して、こちらの本陣は復元されたものなのです。
とはいえ、以前の造りを忠実に再建されており、建物内部には太い柱と梁が走り天井まで見渡せる造りは当時の様子を垣間見ることができます。
土間から上がったところには、家主が所有していた多くの土人形が飾られています。
さらに屋敷の中を、見て回りましょう。
奥には他の部屋と明らかに違う場所があります。
ここは「上段の間」で、大名が使うところだけあって格式があります。

 再び街道に出て、南に向けて進んでいきます。
「旧妻籠郵便局」は「郵便博物館」として、局の内部を公開しています。
島崎藤村の小説「夜明け前」にも、開局当時の「旧妻籠郵便局」の様子が描かれています。
建物の前には黒い郵便箱「書状集箱」が立っています。
現在の赤いポストとは違い、黒色のポストは印象的です。

 「旧妻籠郵便局」の向かいには、「観光案内所」があります。
杖の焼印処にもなっています。
「観光案内所」の建物は、1897年に「旧吾妻村警察署」として建てられたものです。
その後は「吾妻村役場」、「南木曽町役場吾妻支所」として使われてきました。
今では無料休憩所ならびに「観光案内所」として活用されています。

 この先は、右手に街道が直角に曲がり、さらに今度は左手に曲がっています。
いわゆる「枡形跡」で、敵の進撃を妨げるためにわざと角をつけたものです。
「枡形跡」部分には、「下嵯峨屋」があります。
三軒長屋であったものの1戸を解体復元したものです。
柱に桧が使われており、木曽谷の民家としては大変珍しい貴重なものです。

 ここで山側に逸れる道があります。
坂道を上っていくと、そこには「光徳寺」があります。
屋根には迫力のある鬼瓦が乗っています。

 再び中山道に戻りましょう。
この辺は寺下と呼ばれる場所で、そのなかに「延命地蔵堂」があります。
お堂の中には、大きな岩が祀られています。
蘭川(あららぎがわ)で見付かったお地蔵様の寝姿が見える岩を、ここまで運んで来て祀ったものです。
「延命岩」と呼ばれて、尊われています。
特に女性の苦しみの身代わりになってくれるということで、地元の人々に信仰されています。

 寺下の街並みでも、風情のある建物が続きます。
「上嵯峨屋」は18世紀中期に建てられた木賃宿です。
木賃宿とは庶民のための旅籠で、旅人は糒(ほしいい)という米を蒸したものを乾燥させた食品を持参し、宿では湯で戻して食べるものです。
その薪代が宿代になったことで、木賃宿と呼ばれるようになったのです。

 さて本日の土産を探すのですが、妻籠に来たのですから栗を買って帰らないわけにはいきません。
ちょっと値は張りますが、名物の「栗きんとん」を買うことにします。
口の中いっぱいに栗の甘さが広がる、上品な味です。

 そういえば今回は、道中栗に巡り合うことが多かった旅でした。
栗を売っている店でもないのに、中に入ると焼き栗を分けてもらったり、面白い旅だったのでした。

   
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