にっぽんの旅 信越 長野 別所温泉

[旅の日記]

別所温泉 

 上田駅からローカル線で半時間、そんな別所温泉にやってきました。
乗った電車は上田電鉄別所線です。
2両編成のワンマンカーが、田畑の真ん中を駆け巡ります。
ローカル線によくある古びた車両ではなく、別所線には綺麗な電車です。
そして単線の別所線では駅で対向車とすれ違うのですが、何分も待たされるのではなく客の乗り降りが終わると電車はスムーズに発車します。
そんなところに感心しているうちに、終点の別所温泉駅に着きます。

 駅の片隅に、今は引退した別所線の車体が置かれている場所があります。
かつては上田間を走り回っていた車体で、戸袋窓が楕円形をしているのが特徴です。
その姿から「丸窓電車」と呼ばれています。
かつての栄光を、ここで目にすることができるとは思ってもみませんでした。

 別所温泉の駅前は、お世辞にも栄えているとはいえません。
それでは、案内板の示す「安楽寺」方向に歩いて行きます。
緩やかな上り坂が続きます。

 しばらく進むと「平維茂(たいらのこれもち)将軍塚」があります。
ここには、「鬼女紅葉伝説」と云われるものがあります。
戸隠村で一党を率いるようになった女盗賊の紅葉は、近隣の富豪の家を襲撃していました。
その噂が広がり紅葉を討伐するために派遣されたのが、平維茂の軍なのです。
平将門の乱を鎮圧し名声を挙げた平繁盛の子である維茂は、苦戦をするも「北向観音」のご加護によって、969年に紅葉を討ち取ります。
自身も17ヶ所の傷を負った維茂は、近くの別所温泉にて湯治をします。
しかし湯治の甲斐もなく、この世を去った維茂を祀ったのが、ここ「平維茂将軍塚」だと伝えられています。
維茂が黄金を隠したところとも、古墳時代後期の豪族の墓だとも云われています。

 「平維茂将軍塚」そばの小さなお堂は、「七苦離地蔵堂」です。
6角形の珍しい形をしています。
これから訪れる「常楽寺」の地蔵尊がここに安置されているのです。

 その先には、別所温泉の街並みが始まります。
最初に目にするのが、「ななくり」と名付けられた足湯です。
信州最古の温泉である別所温泉は、日本武尊が7ヶ所に温泉を開き、7つの苦しみから放たれる「七苦離の温泉」として「七久里(ななくり)の湯」と呼ばれるようになりました。
有馬温泉、玉造温泉とともに、日本三名泉にも挙げられます。(一説には有馬温泉、玉造温泉、鳴子温泉の3温泉とも言われています)
足湯の横には、「常楽寺」の「湯かけ地蔵」が祀られています。

 そして「北向観音」は、足湯の裏手にあります。
通りから見れば、左手の入った1段下りたところに参道が続きます。
比叡山延暦寺の円仁(慈覚大師)によって、825年に開創された寺院です。
969年には平維茂によって大改修が加えられましたが、木曽義仲の兵火により焼失してしまいます。
その後源頼朝により再興など幾多の建て直しがされ、現在目にするのは1721年のものです。
お堂が北に向かって建つことから、「北向観音」と呼ばれています。

 「北向観音」の参道口から先は、湯川に沿って20件ほどの別所温泉の温泉街が続きます。
すぐそばには、共同浴場の「大師湯」もあります。
150円の手ごろな入湯料ということなので、ここを素通りするわけにはいきません。
慈覚大師が好んで入った湯なので、この名前が付きました。
ほのかに硫黄の香りがした透明の湯で、源泉かけ流しの温泉です。

 それでは先ほどの「北向観音」のところまで通りを戻り、反対側の脇道に入っていきます。
「崇福山」と書かれた「黒門」を潜って「安楽寺」に向かいます。
その前に「常楽寺」があるので、寄っていきます。
ここは、先ほど訪れた「北向観音」の本坊なのです。
藁ぶきの屋根が、壮大な寺院をより趣のあるものにしています。

 そして今回の目的である「安楽寺」に向かいます。
奈良時代の天平年間に、行基が建立した「長楽寺」「安楽寺」「常楽寺」の3つの寺のうちのひとつです。
ここを訪れたのは、珍しい塔があるからです。
境内の奥、山の傾斜に広がる墓地の中に、目指す八角三重塔はあります。
18.75mの八角三重塔は、領主だった塩田北条氏が寄進したものと考えられています。
下から見上げると、8つの辺から中心に向かって巧みに組まれた木材が、実に美しい姿をしているのです。

 山あいの静かな温泉町、それも信州最古の場所であるのに、それまで訪れることがありませんでした。
本日足を踏み入れ、都会の雑踏を忘れさせる静けさに触れ、心洗われた別所温泉だったのでした。

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