にっぽんの旅 四国 徳島 阿波池田

[旅の日記]

葉たばこで栄えた阿波池田 

 今回訪れた場所は、高知県の阿波池田です。
そして阿波池田駅は、JR徳島線とJR土讃線が乗り入れる駅です。
徳島といえども、北は香川、西に愛媛、そして土讃線で南へ行けば高知がすぐといった4県の境に位置します。
そういう立地条件もあって、新鮮な魚にも事欠くことはありません。
到着したのが夕刻でしたので、夕食に出かけます。

 18:00で少し早いかなと思い入った居酒屋ですが、既に席はいっぱいでかろうじて空いていたところに座れたのです。
キスや子フグの天ぷらなど、ビール片手にどれを注文しても美味しい店でした。
その中で最後に頼んだのが「そば米ぞうすい」です。
池田地方で採れるそばの実の皮を向き剥ぎ野菜とともに調理するもので、この地方に古くから伝わる郷土料理です。
同じようにそばの実を料理する山形の「むきそば」、長野の「そばがき」などがありますが、それらとも違いそばを意識させない独特のものです。
ところで駅からほど近い場所に飲食店が集まっている場所があるのですが、人口の割には飲み屋が多く感じるのは思い違いでしょうか。

 翌日は朝から、池田の町をブラブラします。
アーケード街である駅前通りを離れ、交差する大通りを越えて本町通りに入ります。
本町といっても古い民家が建ち並ぶ、昔ながらの町です。
酒屋の軒先には杉玉が吊りされています。
酒の銘柄が書かれた紙が、店の窓に貼られています。
祖谷といい、吉野川といい、美味しい水のイメージがあります。
多分美味しい酒ができているのではと思い、後で改めて買いに来ることを決めて先に進みます。

 本町通りを進むと左手に末広大神の石鳥居があります。
民家に挟まれた小さな神社です。
その先右側には、庚申堂があります。
そこには高山のさるぼぼに似た「身代わり猿」が飾られており、人に降りかかる災いを代わりに受け止めてくれます。

 そんな中に「たばこ資料館」があります。
江戸時代にはここ三好市の山間部では、「阿波葉」とよばれる葉たばこの耕作が盛んに行われてきました。
特にこの地方の中村武右衛門が発明した「かんな刻み機」は、これまでひとつひとつ手刻みで行っていた葉たばこの削りの工程をカンナの原理を利用し複数の葉を一斉に刻む画期的なものでした。
これで生産性が一気に上がり、池田は全国の葉たばこ生産の第一人者にのし上がっていきます。
明治に入ると「阿波刻み」という刻みたばこで繁栄を極めました。
煙草従価印紙税法が施行され、たべこへの印紙の貼付という方法で煙草税が課せられます。
日清戦争後は財政収入を増やすために煙草税則が改められ、1898年に葉煙草専売法が実施されます。
さらには日露戦争の戦費調達のために専売の対象は葉たばこ製造だけでなく販売から輸入に至るまで対象を広げてきます。
それまでたばこ専売は大蔵省が担っていましたが、1949年に日本専売公社が引き継ぎこれまでの「たばこ専売法」から「専売改革関連法」と変わっていきます。
しかし昭和の終わりの民営化の動きには勝てず、1985年に日本専売公社は解体し、その業務は日本たばこ産業株式会社が発足し引き継いでいます。、
最盛期には100軒刻みたばこ業者がひしめいていた池田で、たばこの歴史を伝える資料館として今に歴史を伝えています。

 母屋から入り、中庭の奥に資料館があります。
母屋には人形浄瑠璃で使う人形も展示されています。
中庭を挟み反対側には、10畳2間続きの離れ座敷があります。
たばこで蓄えた財で造った豪華な建物です。
この和室は地域の活動に解放されていますが、今回のように空いているときは見学することができるのです。

 本町通りをさらに進みます。
本町通りがえびす通りと交差するところには、戎さんがあります。
さらに先を歩いて行くと、その先にはうだつの家が続きます。
葉たばこのもうけで、自分なりの立派なうだつを競って造った様が読み取れます。
うだつは富の象徴ですから。
その中の1件に酒屋があります。 杉玉が掲げられた昔ながらの酒屋で、長く池田が繁栄した当時の賑やかな本町通り目に浮かぶようです。

     
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