にっぽんの旅 四国 徳島 穴吹

[旅の日記]

吉野川と穴吹 

 本日は穴吹に来ています。
ここは徳島からJR徳島線で1時間のところ、吉野川に面した町です。
瓦屋根の駅舎前の広場には、数台のタクシーが並んでいます。
先ずは徒歩で辺りを散策してみます。

 駅の前には、鉄道と並行して吉野川が流れています。
清流で有名な吉野川は、四国最大の川で四国山地に沿って西から東へ流れています。
その吉野川には、穴吹橋が架かっています。
大きな河川ですから、橋も300mほどのそれなりの距離があります。
橋の中央まで来ると心地よい風が吹いてきます。
そして橋の上から見た吉野川は、どこまでも水が澄んでいて川底の石まで見ることができるのです。

 橋を渡り切った土手に、標識が立っています。
そこには「穴吹渡し跡」と書かれています。
吉野川には昔は数々の渡しが存在しており、穴吹もそのひとつです。
橋が建設される前は、ここから対岸へ渡し船が行き交っていたことの名残です。

 ここから目指すは「うだつの町並み」です。
車が行き交う道路の単調さに嫌気がさし、ひとつ隣の筋を通ります。
地図では「うだつの町並み」までの道順と示されているのですが、田んぼのあぜ道のようなところでしかもくねくね曲がっています。
かなり歩いたことでしょう、やがて左手に近代的な大きな建物が出現します。
地域交流センターのミライズというところです。
中には観光案内所もあります。
駅まで今来た距離を帰るのは抵抗があるので、帰りの交通手段を聞いておきます。
町営の乗り合いバスはあるようですが、祝日の本日に走っているかは判らないということです。
タクシーなら呼べるという言葉を聞いて、先に進むことにします。
「うだつの町並み」は目と鼻の先のはずです。

 その前にミライズの傍に、劇場があるはずです。
ここは脇町劇場「オデオン座」で、藤中富三、清水太平が中心となり建設した劇場です。
当時の町の事業家たちに働きかけ、1934年に完成しました。
モダンな西洋風の建物で、回り舞台や奈落を備えた本格的な芝居小屋です。
今日も夕方から映画の上映がありそうです。
しかし映画産業の斜陽化を受けて、取り壊しが決定していました。
そんな折、山田洋次監督の映画「虹をつかむ男」のロケ地になったことがきっかけで、老朽化した建物も昭和初期の創建時の姿に修復されます。
今の姿を保つことができたのでした。
芝居や落語で今も現役の劇場です。

 「オデオン座」とは、大谷川を挟んだ反対側に「うだつの町並み」があります。
400mの通りの両側に、江戸時代から昭和初期に至るまでの商家が並んでいます。
脇城の城下町として栄えたこの町には、うだつが今も残っています。
富の証としたうだつを、各家が競って造ったものです。
漆喰で仕上げられた真っ白の壁に、虫篭窓、出格子、そしてうだつの姿が昔のまま残っています。

 そんな中、「吉田家住宅」があります。
藍で栄えたこの地で1792年創業の藍商人の建物で、中庭を囲んで主屋、質蔵、中蔵、藍蔵が建っています。
「田村家」の建物は、藍商を営む赤谷屋のものを田村家が買い取ったものです。
当時は吉野川の川岸まで続く広大な土地を持ち、この通りで2番目に古い建物です。

 「森家」は、この地で醸造業を営んでいました。
明治に入ると7代目当主が郵便局長を勤め、この建物も郵便局として使われていました。
当時を凌ぐものとして、郵便局の窓口が今も残っています。
その後の8代目は医院を開業し、昭和の戦後までここで開業していました。

 「国見家」の建物は、この通りで最も古いものです。


当時は吉野川の川岸に門があり、そこから建物までがこの家の土地だったということです。
 そんな中、うだつの美しい家があります。
将棋名人の小野五平翁の生家です。
宿屋の生まれで、泊り客が差す将棋に興味を持ちめきめきと腕を上げていきます。
9歳になると江戸に出て名人 天野宗歩の弟子になります。
四国では唯一の第12世将棋名人となったのです。

 「美馬市観光資料館」は、明治時代に税務署の庁舎として建てられたものです。
木造の和洋折衷建築で、中に入るとそこでは和傘の制作実演が行われていました。
人懐こい親爺に話しかけられ、傘の説明がいつしか世間話になっており、退屈しないひと時だったのでした。
そこで聞いた話ですが、「美馬市観光資料館」の前の家の壁を見て来いとのことです。
家の横に入り壁に張られている板を見ると、四角い板ではありません。
円弧を描いた板の正体は、舟だったのです。
解体した舟の板を利用して、家を建てているのです。
言われなければ気付かないもので、面白いものを見たのでした。

 さて帰りは地域交流センターのミライズまで戻り、そこでタクシーを呼んでもらいます。
頼んだタクシーが到着すると、運転手が行きはどの道を通って来たのかと聞きます。
それでは帰りは別の道で帰ろうと、潜水橋を通ると言います。
そう、潜水橋も今回見たかったところだったのですが、すっかり忘れていました。
欄干がない潜水橋は、大雨による川の流れで橋が流されないようにしたものです。
川が氾濫しそうな強い流れになると、橋の上を水が流れ橋は沈んでしまいます。
その代わり橋自体は流されることなく、その場に止まるといったものです。

 思わぬ観光のために、駅に着いたのは列車が来る直前です。
ぶどう饅頭を買って、列車に乗り込んだのでした。

   
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