にっぽんの旅 四国 高知 高知

[旅の日記]

高知市街散策 

 南国土佐の高知にきました。
立派な構えのJR高知駅に、電車でやってきたのです。

 駅前には、武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎の3人の像がそびえ立っています。
いずれも幕末に世論を動かし、明治時代に導いた高知出身の英雄です。
彼らの生涯を描いたNHKの大河ドラマ「龍馬伝」が、「龍馬伝 幕末志士社中」として展示されています。
期間限定の開催ということで、早速入ってみました。
土佐にある龍馬の部屋を再現し、実際に撮影に使ったセットが飾られています。
ドラマのシーンを鮮明に思い起こします。
龍馬のもつ魅力には、誰もが引きつけられるものです。

 それでは、高知の街を土佐電鉄の路面電車に乗って巡ってみましょう。
市内の観光拠点が網羅される1日乗車券が500円ですから、3回乗れば元が取れる計算です。
高知駅から「はりまや橋」電停まで、ガタゴト揺られて行ってみます。
土佐電鉄はオリジナルの車両以外にも、名鉄美濃町線や山陽電気軌道から譲り受けたもの、さらにはオーストリアのグラーツ市電やドイツのシュトゥットガルト市電の車両も走っています。
すれ違う車体を見ているだけでも、飽きません。

 「播磨屋橋」は都会の真ん中にある、長さ20mの小さな橋です。
高知の豪商である播磨屋と櫃屋(ひつや)が、互いの本店間の行き来をするために堀に架けた私設の橋が、「播磨屋橋」です。
真っ赤な欄干が目印です。

 「播磨屋橋」の東側、道路の反対側には「よさこい情報交流館」があります。
この地方の踊りで全国に広まった「よさこい」について、歴代の「よさこい祭り」の衣装やしゃもじが展示されています。
もちろん「よさこい祭り」の記録映像があるばかりでなく、実際に「よさこい」の実演も行われています。

 もう少し東へ進みましょう。
「菜園場町」の電停までの途中に公園があります。
ここに武市半平太の道場跡の石碑が建っています。
それまで貧弱だった龍馬が、通い鍛えられたところです。
龍馬は、ここで強い精神と誰にも負けないくらいの武術を修行するのです。

 ここからは、再び路面電車に乗り「高知城」に向かいます。
「県庁前」で降り、追手門から城内に入って行きます。
天守閣への上り坂のところに、板垣退助の像があります。
高知が生んだ偉大な政治家ですが、板垣退助については明日詳しく訪ねていくところがありますので、先を急ぎます。

 高知城の建っている場所は、かつては大高坂山城が築かれていましたが、現在見ることができる城は、江戸時代初期の土佐藩初代藩主 山内一豊によって造られたもので、土佐藩庁が置かれていました。
一豊により河中山(こうちやま)城と名付けられましたが、高智山城と名を変えた後に、現在の高知城と呼ばれるようになります。
本丸の建物が完全に残る日本で唯一の城として知られています。
土佐藩15代藩主 山内容堂は、幕末には龍馬の片腕を担ぐことになります。
元々幕府を擁護し続けていた山内容堂ですが、世間の大政奉還によるによる討幕への動きには勝てませんでした。
後藤象二郎が坂本龍馬より聞かされた「船中八策」を自分の案のごとく山内容堂に伝えると、容堂はこれに合意し老中 板倉勝静らを通して15代将軍 徳川慶喜に建白します。
このことが、慶喜が朝廷に政権を返還する大政奉還へのつながっていったのです。

 「高知城」の南側5分ほどのところには、「旧山内家下屋敷長屋」が残されています。
ここは、山内容堂の下屋敷(南御屋敷)として、侍屋敷7軒を建てられた長屋で、屋敷の警護に就く足軽が宿泊するために建設されたものです。
現在はホテルになっていますが、駐車場の片隅に当時のままの長屋と門が残っています。

 「旧山内家下屋敷長屋」の西隣には、「山内神社」があります。
10代藩主 山内豊策の時代に、一豊と夫人の見性院、そして2代藩主 忠義を祀るために、1806年に高知城内に藤並神社が建てられ、今の山内神社に至っています。
そばには「土佐山内家宝物資料館」もあり、山内家に伝来した歴史資料や美術工芸品を公開しています。

 さらに西に足を進めましょう。
路面電車で2駅の「枡形」電停の近くには、「坂本龍馬誕生の地」の碑が建っています。
いまでも花が捧げられ、それが絶えることはありません。

 そして、その1筋奥に入ったところには、「龍馬の生まれたまち記念館」があります。
ここでは、龍馬が脱藩するまでの幼少のころを過ごし様子が、展示されています。
館内に入ると「まっことようきたねえ」と、土佐弁の挨拶があります。
気弱な龍馬をこれまた男勝りの乙女姉さんが鍛え上げる様が、目に浮かびます。
そんな乙女姉さんですが、龍馬にとっては慕ってやまない唯一の気を許すことのできる人物なのです。
無料ガイドの説明付きで、つぶさに見て回ることができます。

 記念館の先には、饅頭商人の息子の「近藤長次郎邸跡」があります。
龍馬や岩崎弥太郎との友人で、神戸海軍操練所に入り、長崎の亀山社中を設立したうちのひとりです。
その後の長次郎は、薩摩藩家老の小松清廉の助けで、英商人トーマス・ブレーク・グラバーの手配した船でイギリスへ留学する予定でした。
ところが、このことが亀山社中の社中盟約書に違反したとして仲間たちより追及を受け、その責任をとって切腹自殺をしてしまうのです。

 ここからは、改めて「高知城」の北側を巡ります。

「江の口川」の川辺に「大川筋武家屋敷資料館」があります。
土佐藩の武士である旧手嶋家の住宅で、長屋門を備えた書院造りの建物です。
城下で当時の武家の建築様式を残している唯一の場所なのです。

 そこから西に1km離れたところに「開成門」はあります。
県立高知小津高等学校の敷地内ですが、道路に面しており自由に見学することができます。
1866年に殖産興業と西洋科学を広めるために開設された「開成館」の表門です。
現在の高知市九反田にあったものが移築されたものです。

 さて初日はここで、日が暮れてしまいました。
再び「はりまや橋」電停まで戻り、居酒屋に入ります。
高知に来て食べたかったのは、「カツオの塩たたき」です。
普段はカツオといっぱいの玉ねぎをポン酢をつけて食べるのですが、こちらでは塩でいただきます。
カツオの上にスライスしたニンニク、大根のケン、少量のワサビ、そしてそれに塩をまぶして食べます。
口の中にカツオの味が広がり、それでいて臭みがないのです。
そしてこちらのカツオは厚くて大きいのです。
一切れが一口では食べられない大きさで、それは嬉しい悲鳴です。
こちらも土佐料理のウツボの天ぷらも食べ、最初の日は過ぎて行きました。

 翌朝起きると、名物の日曜市を見に行きます。
「はりまや橋」から東西1.3kmに渡って露店が並ぶ日曜市を見て回ります。
野菜や花などが並ぶ中で、お目当ては「いも天」です。
小さめのいもに衣をつけて揚げるだけですが、甘味いっぱいでちょっとしたおやつになります。
店の前には列ができており、もちろん並んで買ったのでした。

 日曜市を見終えて、次に訪れたのは「ひろめ食堂」です。
ここは多くの店が入った市場で、買った食材を市場に備えているテーブルで食事をすることができます。
そしてその日の昼食は、この「ひろめ食堂」で新鮮な海の幸を楽しんだのでした。

 ここからはバスで移動し、桟橋通り4丁目の「自由民権記念館」を訪れます。
高知から全国に広がった自由民権運動の歴史と資料が展示されています。
中央公園に建っている立志社の碑は、この自由民権運動のものだったのかと改めて知らされます。

 さてここで、駅弁に関する耳寄りな情報をお知らせします。
高知駅で買うことができる駅弁のひとつに、「土佐かつおめし」があります。
カツオの出汁が効いた混ぜご飯で、これに鶏南蛮と玉子焼き、キュウリの酢の物がつきます。
駅弁と言えば1,000〜1,500円が相場ですが、驚くことなかれ「土佐かつおめし」は500円という安さが魅力的です。
おかずの品数は少ないのですが、味の浸みたご飯は美味しく、これが市価の1/2から1/3の値段で替えることに大変お得感があります。
是非お薦めしたい一品でした。

   
     
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