にっぽんの旅 四国 高知 桂浜

[旅の日記]

高知の桂浜 

 岡山から高知へ、JR土讃線を走る特急「南風」でやってきました。
熱に狙った訳でもないのですが、特急「南風」はアンパンマン列車と化していました。
アンパンマンの作者である「やなせたかし」が高知育ちであったこともあり、車体のラッピングがアンパンマンなのです。
そればかりではなく、中に入ると天井がアンパンマンの世界で埋め尽くされています。
さらには車内アナウンスが「みなさんこんにちは、ぼくアンパンマンです」から始まる徹底ぶりです。

 高知駅に着くと、駅前には武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎の3人の巨大な像が立っています。
それに加えて、通りにはアンパンマン、バイキンマン、ドキンちゃんの石像が所々に飾られています。
時代は違えど、高知が生んだ偉大な人物です。

 さて時間は夕暮れとき。
本日は高知で泊まり、土佐の美味しいものを食べることにします。
そこで選んだのがクジラ料理です。
「はりはり鍋」をいただくことにします。
鍋の中にはウネス、サエズリ、赤身、そして水菜やハクサイ、椎茸、エノキに豆腐などが入っています。
なによりも出汁が美味しく、これを飲むだけでも価値があります。
自宅で「はりはり鍋」を作ってもクジラの臭みが目立つのですが、今回の鍋では少しの臭みもありません。
そしてクジラ肉も柔らかくて食べやすいものでした。
和歌山の太地、千葉の勝浦などクジラの水揚げ港でもクジラは食べてきましたが、本日のクジラは満足のいくものでした。

 ホテルに戻る前に、少し寄りたいことろがあります。
高知人がお酒のシメに食べるのが、ラーメンでもお茶漬けでもなく餃子です。
その「屋台餃子」に寄ることにします。
名前の通り屋台のカウンター席だけの餃子屋です。
油で揚げたようなこの餃子は、カリッとした皮の小柄なものです。
なるほど、飲んだ後の小腹がすいた時のぴったりのものでした。

 翌朝は、海を見に行きます。
バスに乗り、「桂浜」まで30分の小旅行です。
ところが11月15日、この日は龍馬の誕生日でもあり、命日でもある日です。
浜では「龍馬まつり」が開催されており、車で埋め浮くされた「桂浜」周辺は、終点を目の前にバスはピクリとも動かなくなります。
結局50分ほどもかかって、やっと「桂浜」に到着です。

 龍馬が愛する浜は、太平洋の大海原が広がり、幾度となく波が浜に打ち付けています。
そんな花に、祭り用に集められた大漁旗が翻っています。
祭りが行われているわけでもないのに、浜は異様に活気立っています。
 浜の端には神社があります。
「龍宮橋」を渡って岬の先に進んでいきます。
そこには、小さいけれど鮮やかな朱色の祠が建っています。
「海津見神社」で、「龍王宮」と呼ばれているところです。

 丘の上には巨大な龍馬像がそびえ立っています。
ここで高知名物の「アイスクリン」に手を出してみます。
露店には「アイスクリーム」ならぬ「アイスクリン」の看板が掛かり、買う気にさせられます。
「アイスクリン」はシャーベット状のクリームで、サクサクしていて、口に入れるとスッと溶けて、甘い味が口いっぱいに広がります。
素朴な味ですが、結構いける類です。

 「高知県立坂本龍馬記念館」へは、浜から歩いてすぐのところです。
ここでは、大政奉還へと自己の理念のもと、政治を大きく動かした龍馬の生き様が紹介されています。
藩を越えて倒幕に走り世間を動かした竜馬ですから、多くの敵があったのも確かです。
竜馬が身に着けていた拳銃も展示されています。
そして長崎で結成した「海援隊」の「海援隊約規」も公開されています。

 龍馬は北辰一刀流の千葉定吉道場を訪ねて、江戸に向かいます。
そしてそこで、武道の技を磨きます。
おりしもペリー率いる黒船4隻浦賀に来航し、龍馬も品川の沿岸警備に動員されることになります。
そこで外国の巨大な船を知り、1年後に修行を終えて土佐に帰ってきた龍馬は、日本には大きな船とそれを動かせる人材が必要であることを悟ります。
1861年には、武市瑞山率いる土佐勤王党に加盟します。
志のあるものが自ら立ち上がらなければいけないと、これまでの型にはまった暮らしを捨て脱藩してしまいます。

 土佐を離れ江戸へ行った龍馬は、幕府の軍艦奉行並の勝海舟に出会い、彼の弟子となります。
その後、勝は幕府から大坂湾周辺の海防を命ぜられ、神戸に海軍操練所を建設し、龍馬も海軍の修行に励みます。
その時に、勝の使者として西郷隆盛を知ることになります。
ところが、京都の池田屋に集まる過激な尊王攘夷の志士たちが、新選組の近藤勇の標的になります。
その中に海軍操練所からの参加者もいたということで、情勢は不利になります。池田屋の変です。
操練所は閉鎖され、この時龍馬は長崎で亀山社中という商社を作り、海運業の傍ら海軍、航海術の修行機関として働きます。
亀山社中を通して、これまで仲の悪かった薩摩藩と長州藩の手を結ばせる薩長同盟を結びことに成功します。

 しかし、同盟成立の2日後に伏見の寺田屋に泊まっていた龍馬のもとに伏見奉行所が踏み込みますが、寺田屋のお龍の機転で逃げることができます。
お龍とはその後結婚し、薩摩の霧島山に傷の保養を兼ねた旅をします。
これは、日本最初の新婚旅行と言われています。
1866年の第二次長州征伐では、長州藩を助けるため亀山社中も購入したユニオン号で参戦します。
 薩摩藩と長州藩に遅れをとっていた土佐藩は、後藤象二郎が龍馬と手を結び、亀山社中は海援隊として土佐藩の組織となります。
薩摩藩と長州藩が武力討幕を考え始める一方、土佐藩は武力討幕を避けたい考えで龍馬と相談し、大政奉還へと導いて行きます。
作成した船中八策を土佐藩主 山内容堂が15代将軍徳川慶喜に受け入れさせ、政権を朝廷に奉還するという歴史の大変革を成し遂げます。
奇しくも1か月後の11月15日に、龍馬は京都の近江屋で暗殺され、その生涯を終えることになります。
「高知県立坂本龍馬記念館」は、そんな躍動感あふれる龍馬の生き様を今に伝える博物館です。

 さて今日は「皿鉢(さわち)料理」をいただきます。
高知の郷土料理で、大皿に料理が一挙が盛られたものです。
室町時代から行われていた五穀豊穣を感謝する神に供えた料理で、神事に参加した者も分かち合っていました。
江戸時代になると剛健質素を唱える藩政下で、武家や豪商の宴席料理となりました。
そして現在では土佐の郷土料理として、広く定着しています。
今回の皿鉢料理では、土佐独特のものも入っています。
貝はながらみと長太郎貝
さえずり(クジラ)の酢味噌和え
カツオのさしみとたたき
ドロメ(鰯の稚魚)
四万十の川海海老(手長海老)のてんぷらとウツボのてんぷら
カツオやクジラ、マグロなどのにぎり
それに土佐の酒「司牡丹」で、気持ちの良い高知の夜が更けていきました。

   
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