にっぽんの旅 四国 香川 高松

[旅の日記]

高松と女木島 

 香川県の高松駅にいます。
前日に高松入りして、今日は高松周辺を散策してみましょう。

 朝起きて、JR高松駅に向かいます。
駅前には高層ビルが建ち、四国に来たことを忘れてしまうほどです。
朝起きて一番に駅にやってきたのには、訳があります。
朝ごはんにうどん食べたかったからです。
7:00の開店前だというのに、店の前には列ができています。
ほどなく扉が開き、列が動き出します。
この店で美味いと言われている肉うどんを頼むことにします。
そして味は期待を裏切らず、朝から十分満足できたのでした。

 さて、まずはJR高松駅のほど近くにある高松港から雌雄島海運のフェリーに乗ります。
優雅な船の旅といきたいところですが、乗船時間はわずか20分の一瞬の船旅です。
向かう女木島は、目の前に見えています。

 島では船の到着に合わせて、「鬼ヶ島大洞窟」行きのバスが待機しています。
下船した客が乗り終わると、バスは発車し島の細い道を速度を上げて飛ばしていきます。
やがて山道に差し掛かるも、いっこうに速度を緩める素振りすらありません。
ガードレースが切れている見通しの悪いところでもお構いなしで、バスは走ります。
そして出発から10分弱で着いたのは、洞窟の入り口近くのバスがかろうじて旋回できるほどの広さの駐車場です。
ここからは階段を登って洞窟に向かいます。

 もうお気づきでしょうが、桃太郎伝説に出てくる鬼ヶ島がこの島で、鬼のすみかがこれから行く洞窟なのです。
吉備津彦命(きびつひこのみこと)の弟の稚武彦命(わかたけひこのみこと)が主人公の桃太郎伝説では、桃太郎が讃岐の国に来た時に海賊の出没で住民が苦しんでいるのを知り、犬、猿、雉を率いて鬼を征伐する話です。
海賊を鬼に見立て、犬は備前の犬島、猿は陶の猿王(綾南町)、キジは雉ヶ谷(鬼無町)に住む勇士だったと言われています。
鬼が住んでいたのが女木島には、桃太郎が鬼を退治したことによって鬼がいなくなり、「鬼無」という地名があります。
洞窟内には鬼瓦が並んでいたり、宝物が隠されていた場所があったり、鬼が宴会をするための182m2にもおよび大広間があったりで、まさに鬼の生活が見て散れます。
邪魔にならないくらいの等身大の鬼の人形が配置されており、滑稽な洞窟です。
中を見て回るには20分もあれば十分で、帰りのバスにちょうど間に合う時間です。

 帰りは再びバスで女木島港まで戻り、高松行きのフェリーを待ちます。
港には待合所「鬼の館」があると思えば、モアイ像があったりで、ちょっと頭が混乱してしまいます。
何かアンバランス感がぬぐえないまま帰りの船が到着し、女木島を後にしたのでした。

 さてここからが、本当の高松の散策です。
まずは、高松港の前にある「玉藻公園」に寄ります。
「玉藻公園」は、豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正が、1590年に「高松城」を築いたところです。
4代続いた生駒家ですが、御家騒動により出羽の国(秋田県)に移されます。
代わってこの地に入って来たのが、常陸国(茨城県)下館藩主だった松平ョ重です。
ョ重は、徳川家康の孫で徳川光圀(水戸黄門)の兄に当たり徳川家からの信頼が厚く、中国・四国地方の監察役を命ぜられます。
以降11代に渡り松平家がこの地を治めることになります。
当時は約20万坪にもおよぶ広大な敷地を有していましたが、いまはその8分の1ほどが「玉藻公園」として残されています。
またすべての濠に海水が引き込まれ、軍船が直接城内に出入りできるようになっており、日本初の本格的な海城でもあります。
訪れた日は園内無料開放日で、自由に園内を散策できたのでした。

 まずは堀の外側から「月見櫓」を眺めます。
次には園内の庭園である内苑御園を見て回ります。
堀には舟も出ており、のどかな遊覧を楽しんでいます。
小倉城を模した3層5階の天守は残っていませんが、天守台に当時の姿を偲ぶことができます。
園の中央にある三の丸の「披雲閣」は旧松平家高松の別邸で、現在はその一部に管理事務所が入っています。
「披雲閣」の内部を案内人とともにみてまわることができるということなので、入って行くことにします。
手作りの波打つガラスがそれぞれの部屋にふんだんに使われ、陽の光を取り入れた室内は思いのほか明るいのです。
多くの部屋が並ぶ中、大広間の広さは圧巻です。
生駒家、そしてその後続く松平家の歴史を語りながら部屋の案内をしてもらい、高松の歴史が少しは判ったような気がします。

 ここでお昼にしましょう。
目指すは、JR栗林公園北口駅から歩いたところにある製麺所です。
高松駅から1両編成のJR高徳線に乗り込み、2駅だけの乗車です。
製麺所では、温かいうどんか冷たいうどんかの2択で、どちらにするのかを聞かれます。
まだまだ残暑の残る9月で、歩き疲れたこともあって冷たいうどんを注文します。
注文すると言っても、丼にゆがいたうどんの玉を入れ、醤油出汁をかけたものを渡されるだけです。
生姜、ネギ、天かすを好みで入れて食べます。
席があるわけでもなく、机に丼を置き立ちながら食べる者、店の外に出て食べる者など、いろいろです。
でも味は香川で食べたうどんのなかで一番美味しく、つるっと喉に入ってしまいました。

 これで満足して、いよいよ本日の最終の「栗林公園」です。
10分ほど歩けば、誰もが知っているこの公園に辿り着きます。
「栗林公園」は、松平頼重が三代将軍家光から12万石を与えられて入封し高松藩を設立した際、当時の「栗林荘」を松平家の別邸として歴代藩主により修築してきた場所です。
公園内は6つの池と13の築山から構成されており、借景の紫雲山を含めると広さ75haと東京ドーム16個分にもなります。
公園の南側には、日暮亭、掬月亭などの茶室が点在しており、庭園を眺めながらお茶を頂くことができます。
南湖には舟が浮かび、園内をのどかに手漕ぎ舟で回ることもできます。
飛来峰から半月型の偃月橋を臨む眺めは有名で、ガイドや案内の写真によく載っています。
観光客が多い南庭とは違い、公園北側は人の行き来が少なく静かで、本来の公園の姿をしています。
とくに芙蓉沼は蓮が一面に生い茂り、水面を隠しています。
大きな蓮の葉の間から、蓮の実が頭を覗かしています。
また園の中央には1899年に香川県博物館として建てた商工奨励館があり、香川県の紹介や地元の芸術・特産品の展示がされています。

 「栗林公園」で今日の散策は終了です。
琴平電鉄で高松新港駅に戻り、今夜の食事は瀬戸内の幸を味わいます。
店では太刀魚が本日はお薦めと言うことで、めずらしい太刀魚のさしみを注文します。
初めて食べた太刀魚の刺身ですが、取れたての生きのいい魚だからこそできることでしょう。
小エビの空揚げや骨付き鶏も、間違いのない味ばかりです。
そして高松の名物と言えば、穴子です。
穴子を野菜と一緒にすき焼き風に割り下で煮て卵につけて食べる、名物の「べえすけ鍋」を頂きます。
べえすえとは、この地方で呼ぶ大穴子の俗称です。
白身の穴子が茶色く色づいた頃が、食べごろのサイン。
ビールも手伝い、香川の夜を堪能したのでした。

     
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