にっぽんの旅 四国 香川 丸亀

[旅の日記]

うどんとうちわの丸亀 

 香川県の丸亀、全国展開しているうどん屋の名前から、讃岐うどんを想像する人も多いことでしょう。
そんな丸亀に寄る機会がありましたので、町をうろついてみます。

 着くなり入ったのは、やはりうどん屋さんです。
うどん屋の前には、昼の時間帯を外して行ったにもかかわらず、順番待ちの行列ができています。
しばらくは順番が来るのを待ちます。
家族で切り盛りしている店で、厨房の中はてんてこ舞いのようです。
やっとのことで席に着き、やまかけぶっかけを注文し、またしばらく待ちます。
注文に応じて麺を打っているみたいで、奥からはうどんをこねる際の叩きつける音、そして麺を切る音が心地良く聞こえてきます。
出てきたうどんは腰があり、意外におなかに溜まる昼食となったのです。

 駅から10分ほど進んだところに、「丸亀城」があります。
曲線を描くように積み上げられた高さ60mの石垣の先に、「丸亀城」がそびえています。
現存する木造天守十二城のひとつに数えられています。
丸亀所の前身は、室町時代に細川頼之の重臣である奈良元安が築いた砦です。
豊臣秀吉から讃岐17万石を与えられた生駒親正は、高松城を本城とし、亀山に支城を築きます。1602年のことです。
しかし4代続いた生駒氏ですが、お家騒動のために出羽国矢島に転封されてしまいます。
代わりに1641年に肥後国富岡から入封したのが山崎家治で、この時丸亀藩が立藩します。
幕府は瀬戸内の島々にいたキリシタンに備えるための城を造らせ、銀300貫を丸亀藩に与えたうえに参勤交代を免除してまで、突貫工事で城造りを行わせています。
山崎氏は3代で断絶し、代わって入封したのが播磨国龍野の京極高和だったのです。
高和は丸亀の地に相応しい立派な城を目指して、城裏手の門を大手門に変更し、そこから見上げる石垣の上に3層3階の御三階櫓を完成します。
これが現在に残る「丸亀城」となりました。

 商店街を歩いていると、古い大きな建物が目につきます。
「旧秋山寅吉商店」の本社で、大阪の鋼材商での奉公から帰郷し農機具・鍛冶を扱う鉄の商売のために建てた建物で、大正時代の商家です。
地元出身の秋山寅吉氏が農機具・鍛冶を扱う鉄の商売を当地で始めます。
太平洋戦争時には、空襲を免れるために解体保存されていましたが、戦後再築されたものです。
いまは町の駅である「秋寅の館」として、情報発信基地や貸部屋として活用されています。

 「秋寅の館」のすぐそばには、百十四銀行の丸亀支店があります。
この場所は創業時の本店だったところで、1926年に建てられたこの建物は高松空襲で被災はするものの奇跡的に焼け残りました。
1952年には、3階部分が増築されています。
人造石が貼られた外壁が、モダンで美しい建物です。

 丸亀の特産品といえば忘れてはならないのが、全国90%の圧倒的なシェアを誇るうちわです。
京極藩が武士の内職に奨励したこともあり、丸亀の代表的な地場産業として発展を続けてきました。
うちわ作りは江戸時代から今日まで引き継がれており、こんぴら参りの土産物としての丸亀うちわは有名です。
街には「うちわの港ミュージアム」があるほか、丸亀城内にもうちわ工房があり、うちわ作りの実演や体験をすることができます。

 そして丸亀のもうひとつの顔が、骨付き鶏です。
町中には、「骨付き鶏」を掲げた店が数多く存在し、駅にも鶏の写真が飾られています。
パリッと皮が香ばしく、ボリューム感のある美味しいご当地名物なのです。

   
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