にっぽんの旅 四国 香川 琴平

[旅の日記]

琴平へこんぴら詣で 

 本日は香川県の琴平で「金刀比羅宮」詣でです。
JR土讃線は、多度津から1両編成のワンマンカーが走ります。
のどかな田園風景を見ていると、電車は「JR琴平駅」に着きます。

 ホームに立つと、駅の立柱と屋根の交差するところに「金」の飾り文字が並んでいます。
またホームの先には「灸まん」の黄色い看板が。この地方のお菓子です。
忘れずに買って帰ることにします。
改札を出た駅舎は、昔懐かしい木造の造りをしています。
外への出口のところには、頭の上で時計が動いています。

 外に出て駅舎を振り向くと、そこにはまた新たな感動があります。
左右に燈籠が並び、その先に赤い三角屋根の琴平駅舎がずっしりと構えています。
さすが大勢の客が押し寄せてくる「こんぴらさん」だけあります。
ちなみに「こんぴらさん」とは、「金刀比羅宮」を親しみを込めて呼ぶ名前です。

 ここから参道が「こんぴらさん」まで続きます。
右手に「高燈籠」が見えてきます。
「高燈籠」は27mの高さを誇る日本一高い灯籠で、瀬戸内海を航海する船の指標です。
ところがいつしか、船人が「こんぴらさん」を拝む目標灯となってしまいました。
高い石の基壇の上に築かれた木製の燈籠で、遠くからでも見ることができます。
内部は三階建構造になっています。

 琴平電鉄の「琴電琴平駅」を過ぎたところの金倉川を渡る大宮橋の入口に、大きな鳥居が建っています。
この先には「こんぴらさん」が広がり、道の左右に店が並び出します。
突き当りを左折すると、神明町の参道に土産物屋や旅館が軒を連ね、通りも賑やかになってきます。
店を眺めながら歩いて行きます。

 左手の金倉川に架かる橋を眺めていると、真っ直ぐなはずの橋がひとつだけ真ん中で食い違った形になった橋があります。
言葉では言い表しにくいのですが、「エ」の字を左上から右下まで最短でなぞった時の軌跡です。判りますか?
その反対側、右手には「こんぴらさん」へ続く長い石段の登り口が見えますが、構わず先を進みます。

 やがて道路の右側に、年季の入った看板が掲げられた店が現れます。
看板には清酒や醤油の名前が入っています。
現役の酒屋です。

 その先にお目当ての橋があります。
「鞘橋」といい、屋根のある木製の橋です。
橋脚をもたず、両岸を跨ぐように架かっている浮橋です。
「鞘橋」というのは、形が刀の鞘(さや)の形をしていることから、名前が付きました。
普段は封鎖され人が渡ることができない橋ですが、10月10日に行われる「お十日」と呼ばれる「こんぴらさん」のお祭りだけは、神様が乗る「神馬(しんめ)」がこの橋を渡ることを許されています。

 さて次は少し坂を登ったところにある「琴平町公会堂」に行きましょう。
1932年に建てられた木造日本建築で、今でも催し物に利用されています。

 その先には、旧金毘羅大芝居「金丸座」があります。
歌舞伎の芝居小屋で、1835年に建てられた現存する日本最古の芝居小屋です。
大阪道頓堀の大西芝居(後の浪花座)を模して造り、こんぴら詣での客を楽しませたのでした。
芝居小屋の名称は「金毘羅大芝居」をはじめとして「稲荷座」「千歳座」「金丸座」と所有者が替わるたびに改名され、時代の流れとともに廃業に追い込まれます。
そして今では年1回の公演とはいえ、無事復活を成し得たのです。
腰をかがめて戸を潜ると、そこには札場があります。
当時はここで金を払い、左右の下足場に下駄を吊るして劇場に入ったものです。

 ここからは説明を聞きながら場内を回ります。
まずは役者と同じく、花道を通って檜舞台へと向かいます。
花道は升席の間を貫き、その左右には桟敷席がこちらに向かって配置されています。
天井には家紋の入った提灯が吊るされ、天井はブドウ棚と呼ばれる竹で編まれた隙間のある造りです。
これは演舞に合わせて、客席にも紙ふぶきを振らせるためのもので、天井でも黒子が走り回ります。
舞台に辿り着き客席を振り返ると、気持ちは舞い上がってしまいます。
舞台は中心が円形状に切られており、廻り舞台になっています。
また四角く切り込みの入ったところはセリと呼ばれ、床が上下して下の階から現れる時に使います。
舞台裏手には支度部屋が並び、ここで出番を待ちます。
舞台の下に行くと、廻り舞台を人力で動かすための部屋になっています。
最後に2階に上り、後方の向こう桟敷から舞台を見下ろします。
これらが詳しい説明を聞きながら見て回れるのは、来た甲斐がありました。

 さていよいよ「こんぴらさん」へお参りに行きます。
「こんぴらさん」は象頭山の中腹に鎮座した神社で、御本宮までの785段の石段を登って行きます。
両側には土産物屋も多く、旅館やうどん屋も軒を並べています。
土産物屋では、黄色に金の文字が入ったうちわがあります。
香川が誇る丸亀うちわでしょうか。

 113段目の石段の場所に、「一之坂鳥居」があります。
備前焼狛犬が参拝客を迎えてくれます。
「一之坂鳥居」から大門までは、急な石段が続きます。
籠に乗って登ることもできますが、階段なので担ぎ手は左右に配するので大きく揺れる籠の乗り心地はいかがなものなのでしょうか。

 「一ノ坂」の途中168段目には、「灯明堂」があります。
船の下梁を利用して建てられた切妻造瓦葺の建物で、階段に沿って斜めに建てられています。
1853年の備後国因之島浦々講中の寄進によるものです。

 288段目のところには右手が広場になっており、その奥に第19代宮司である琴陵宥常の銅像があります。
琴陵宥常が創立した帝国水難救済会で使っていた救難具が陳列されています。
まだまだ石段は続きます。先を急ぎましょう。

 365段を登りきったところに、「大門」があります。
松平頼重候から寄進された二層入母屋造瓦葺の門です。
この脇で冷やし甘酒が売っています。
ちょっと一休みで、喉を潤します。
門を潜ったところには、「五人百姓」と呼ばれる宮内で商いをすることを許された5軒の店が、飴を売っています。

 「大門」から150m続く石畳の道は、「桜馬場」と呼ばれるところです。
春には一面が桜で彩られるところだそうです。
その先の「桜馬場西詰銅鳥居」辺りに、犬の銅像があります。
「こんぴら狗の銅像」で、可愛らしい表情をしています。
江戸からここ「こんぴらさん」への参拝は大変なことで、当人に代わって参拝に行くことを「代参」と言っていました。
人に旅を託し、旅費と初穂料渡して代参してもらいます。
清水次郎長も刀を奉納するために森石松に代参したと伝えられています。
この代参をしたのは人だけではなく、「こんぴら参り」と記した袋を首にかけた犬も飼い主の代参をすることがありました。
飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などが入った袋を首に掛け、街道筋の人々に世話をされながら「こんぴらさん」に向かったのでした。
左手の「御厩」には馬が飼われており、先ほど訪れた「鞘橋」を渡ることを許された「神馬」がここに居るのです。

 「桜馬場西詰銅鳥居」から続く石段の先には、これが最後の坂と思わせるような社が見えます。
最後の力を振り絞って、登り続けます。
ところが期待は見事に裏切られ、477段の「着見櫓」、512段の「黒門」、595段の「祓戸社」と続きます。
そしてこれが本当に最後と思った「旭社」は、高さ18mの立派な総齣「二重入母屋造で銅板葺の社で、ここもまだ628段の場所なのです。
屋根裏には巻雲が、そして柱には鳥獣、草花の彫刻が施されており、装飾の美しさには感心させられます。

 目的の「御本宮」へは右手の「黄銅鳥居」を潜って石段をさらに登って行きます。
642段の場所にある「賢木門(さかきもん)」は、檜皮葺屋根をもつ建物です。
実は1本の柱が逆さまになっています。
長曽我部元親が諸州を侵略した際、多くの神社仏閣を焼き払ってしまいます。
それを悔いた元親は門を献納することにするですが、建築を急いだあまり一本の柱を逆に取り付けてしまいました。
「逆木門」と呼ばれるようになったのですが、「逆」の文字を嫌い今では「賢木門」と書くようになりました。

 さて「本宮手水舎」で身を清め「連籬橋」を渡り、最後の4つの階段「御前四段坂」を登りきったところが、785段目の「御本宮」です。
「こんぴらさん」は、日本神話に登場する大物主大神を祀っています。
大物主大神は漁業、航海など海上の安全を守ってくれる海の神様で、「御本宮」近くの「絵馬殿」に船が治められていることでも知ることができます。
「御本宮」と「三穂津姫社」とは、長い廻廊で結ばれています。
「御本宮」でお参りを済ませると、眼下に広がる琴平の町並みを眺めます。
苦労して登って来ただけあって、ここからの眺めは最高です。
そしておみくじも引いたのですが、結果は?

 これから先、さらに583段を進むと「奥社」があるのですが、本日はここまでとします。
今度は、いま来た石段を順に下って行きます。
そして麓のうどん屋で、卵の入った素朴なしょうゆうどんを頂き、来るときに決めていたお菓子の「灸まん」を買います。
「灸まん」とはお灸の形をした饅頭で、いまや琴平土産としての第一人者になっています。

 さて帰りは「琴平電鉄」の琴電琴平から、乗り込みます。
のんびりとしたローカル線で、是非乗ってみたかった路線の夢が叶いました。
トレードマークの黄色のツートンカラーの車体ではなく、昔の車体が駅に停まっています。
これは珍しいものを見ることができました。
年季の入った電車は先に発車し、今度は意に反して真っ黄色の車体に「金」の文字が入ったものです。
高松まで1時間余りを、階段でクタクタになった身体が眠気を訴えているにも関わらず、左右に大きく揺れる電車を楽しむために眠気をこらえて帰って行ったのでした。

 
旅の写真館